「死」とは「不幸」ではない | 修三郎のジャイアンツ兄さんブログ

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2024年、俺も「新風」を吹かせるぞ!

こんばんはm(__)m


前回は小林繁さんの訃報を記事にしました。



小林さんの他にも、元巨人軍寮長の武宮敏明さん、桑田真澄さんの御尊父様が相次いでお亡くなりになりました。



そして…私も昨日は会社の上司の御尊父様のお通夜に参列してきました。



式の最後に住職さまがおっしゃった事が印象に残っているので、紹介させていただきます。



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御釈迦様の教えに、「死」というものを決して「不幸」ではないというものがあります。



人間には必ず「死」が訪れる。人の「死」が不幸ならば、その人のそれまでの人生すべてが不幸という事になってしまう。



そこで、御釈迦様は「死」というものを「苦」であると教えています。


四苦八苦の「苦」です。このうちの「四苦」というのが「生老病死」の4つの事をいいます。



(ここでいう「苦」というのは日本語で言う「苦しみ」とは違い、生きていく中で思うようにならないことを「苦」と呼んでいる、という事だそうです・・拙注)



つまりは、「死」というものは人の一生の最後に訪れる「苦」という事です。


そういうことですから、人の死は人の思うようにならない悲しいことではあるけれど、それを決して「不幸」と捉えるのではなく、人としての最後の「苦」に際して、故人の方に感謝の意を表す場として、そして、送る側にいられることに感謝の気持ちをもって、今日のお通夜・明日の告別式に臨んでいただきたい。



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「目から鱗」でした。


今まで、人の「死」をそういう視点で捉えた事がありませんでした。


私は、仏教に取りたてて帰依している人間ではありませんが、仏教で案外ポジティブな宗教なんだな、って思いました。


私たちは、故人に感謝しつつ「いま」を前向きに生きていくことが大切なんですね。


当ブログもちょっと湿っぽい記事が続いたので、次からは気持ちを切り替えて前向きに更新していけたらいいな、って思いました。



では、今日のお別れの曲です。






では今日はこの辺で・・昨日ペタ返し出来なかったので、これから少しずつお返しに回りますね。



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