小林繁さんが・・・ | 修三郎のジャイアンツ兄さんブログ

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2024年、俺も「新風」を吹かせるぞ!

こんにちはm(_ _ )m


今日は悲しい話題を。


小林繁・日本ハムファイターズ1軍投手コーチが昨日お亡くなりになりました。


$修三郎のジャイアンツ兄さんブログ…お前が立つその場所は熱気の渦が巻く-201001181152000.jpg


享年57歳・・あまりに早過ぎます。

          
私が野球に出会った時、小林投手は既にジャイアンツからタイガースに移籍していました。


そう、あの「江川空白の1日」事件の煽りで、一旦江川投手がタイガースに入団し、小林投手との交換トレードでジャイアンツに移籍するという、当時の金子鋭コミッショナーの「強い要望」で実現したトレードの後だったのです。


それまで、小林投手はジャイアンツのエースとして第1次長嶋政権時のV2に貢献。


そして1979年1月31日、その前年はちょっと成績を落とし、「今年に賭ける」意気込みでキャンプに向かう羽田空港の出発ロビーから球団本部に呼び戻されタイガースへのトレードを通告されたのだそうです。


彼の荷物だけがキャンプ地に着いた・・というなんともやりきれない出来事でした。


そして、その年タイガースで22勝を挙げ見事に復活を果たすのでした。


特に古巣のジャイアンツには8勝0敗!完全にトレードに出したジャイアンツを「見返した」のです。


そんな彼も、1983年のオフにあっさり現役を引退してしまいます。


「ボロボロになるまではやりたくない」・・彼のダンディズムみたいなものを幼心に感じた記憶があります。


引退後の彼は、スポーツキャスターにタレント業、政界に進出しようとした事もあったりと、まさに「波乱万丈」の人生だったように思います。


1997年から2001年まで、近鉄バファローズで投手コーチを務め、梨田監督の下リーグ優勝に貢献・・当時無名だった岩隈久志投手を見出し、後のエースに育て上げたことでコーチとしての力量を高く評価されることとなりました。


そして、韓国球界を経て、昨年日本球界に復帰・・ファイターズで2軍投手コーチに就任、糸数・江尻らの若手投手を鍛え上げた手腕を買われ、今年から1軍コーチに就任し再び梨田監督とタッグを組む・・その矢先での今回の訃報でした。


江川さんは、「一生、申し訳ないという気持ちは消えることはない」とコメントしています。せっかく2人の間の距離が30年かけて埋まっていこうとしていたというのに・・


私も、物心ついたときには敵チームの選手でしたが、あの独特のサイドスローの投球フォームはよく真似して遊んでいました・・・駆け出しの頃の明石家さんまも小林投手のモノマネで人気が出たのですよ!


亡くなる前日まで球団行事に参加していて元気な姿を見せていたはずなのに・・あまりに突然に彼は逝ってしまいました。


正直、いまだに信じられない気持ちです・・今年、ファイターズの1軍投手陣に対してどう腕を振るおうとしていたのか・・そう考えると悔やんでも悔やみきれません。


いまはただ、小林さんのご冥福をお祈りするばかりです。


合掌