STACKERS 日本デビューアルバム"PUNK IS PUNK"
7曲目 「LAST FOREVER」
俺には一生かかっても頭が上がらない人がいる。
そして、俺はその人を一生尊敬し続ける。
中学時代の恩師「小川先生」。
先生の存在が俺の中で進むべき方向、取るべき行動をいつも導いてくれているように思う。
小川先生、またの名を「グレートティーチャー小川」(GTO)は、最近ではよく聞く
「元ヤン先生」。
学生の頃は散々悪をしてたが、「先生になりたい」と強い意志を貫き通し見事”教員”という
職業に就いた。
そんな先生ははっきりいってしまえば「暴力教師」。
殴る蹴るは当たり前。
挨拶代わりに、、、なんて事もあった気がする。
でも、俺達は先生の事が少しも嫌いじゃなかった。
先生はいつだって俺達の事を考えてくれてた。
当時は俺等から言わしてみれば、「学生時代、先生だってやってた事でしょ??」
ってな事を一目見たもんなら鬼の形相でブチ切れ!!
そういう事をやってきた先生だからこそ、当時の俺達がそういう事をする事が
プラスにならない事をよく理解し、ああして怒ってくれてたんだと今になって思う。
先生との付き合いは中学を卒業してからも続いた。
卒業しちまえばこっちのもんと言わんばかりに、先生は高校生の俺達を飲みにも連れてってくれた。
先生、生徒っていう立場を超えたスゲーいい時間を俺達は過ごす事が出来た。
その一方、色んな噂を聞いた。
荒れに荒れてると有名な中学へ移動になった先生は、まったく今までのスタイルを変えずに
生徒にぶつかりまくった。
その結果、力が有り余ってる生徒達は先生を囲んでボコボコにした、、など。
それでも先生が逃げる事はなかった。
一年が終わる頃には全ての生徒と打ち解けていった、って話を人伝いに聞いた。
そんな話を先生は一切俺達にしなかった。
自慢話にもなる話なのに、それを先生自ら語る事は決してなかった。
ある日、俺達の中学の同級生が家を飛び出した。
俺達は皆でそいつを探した。
そしたら駅でたまたま先生に会った。
俺はその話を先生にすると先生は生徒が警察にやっかいになり、警察から帰ってきた所だったが
少しも嫌な顔をせずに一緒にそいつを探してくれた。
高2の夏、親と喧嘩した俺は軽い気持ちで家出をした。
公園にテントを貼ってしばらく家には帰らなかった。
結局親が迎えにきて家には帰ったんだけど、その帰った日、
先生はうな重を持って俺が寝床にしてた公園を訪ねてきてくれていた。
高校卒業の時、中学時代の仲間と先生とで飲みにいった。
先生もかなりいい調子で飲んでて、仕舞いにはおちょこを投げ出すという、
大人らしからぬ態度を俺達の前で披露してくれた。
スゲー楽しかった。
俺がアメリカに行くっていう事を聞いた先生はこんな事を言ってくれた。
「しゅん、アメリカいくならドラッグでもなんでもやってこい。できる経験はなんだってやってこい。
ただ溺れるな。やった後にそれが自分にとっていい事か悪い事なのか判断しろ。」
その言葉があったからこそ、俺はドラッグに溺れるなって事はなかった。
俺達にとって先生って存在はいつだって特別だった。
ある日、双子の弟から突然メールがきた。
内容は信じられないものだった。
「小川先生が急死されました」
俺は何を言っているのか分からず、すぐさま弟に電話をかけた。
すると弟曰く、先生と仲の良かった亀井先生から突然電話がかかってきて、
その事を聞いたという。
それを聞いた日、俺はライブだった。
どんな気持ちで歌ったらいいのかさっぱりわからなかった。
いつものように出来る気がしなかった。
それでもなんとかライブはやった。
よかったとかよくなかったとかそんな事を考える余裕は俺にはなかった。
メンバーより先に帰らせてもらった俺は電車の中で一人号泣した。
家に帰ってからも号泣した。
涙が止まらなかった。
泣く事なんてまったくっていっていいほどなかったのに、本当に悲しくてしかたなかった。
お通夜の日、そこにはこれまで先生が教えてきたたくさんの生徒の姿があった。
なんだか誇らしかった。
俺等が大好きな先生の事をこんなにも多くの人が同じように好きだったと思えるだけで
すごく嬉しかった。
一人、深夜まで働かなくちゃいけない仲間がどうしても行きたいというので、迎えにいき
再び会場に向かった。
そこには先ほどのように多くの人はすでにいなく、親族のみが残っていた。
そこには先生の奥さんもいた。
先生の奥さんに俺は先生に対する感謝を言うと奥さんは大粒の涙を流した。
俺も涙が出てきた。
その日、俺達は地元に集まり先生の話を尽きる事なくした。
俺達にとって本当に「偉大」な存在である事を改めて皆が実感した。
俺は先生に見て欲しかった。
自分がもっともっと成長した姿を見せたかった。
今出来る事は、先生に見せたかった自分の姿になる為に歌い続けるしか俺にはできない。
先生が残してくれたものは俺の中で消える事は絶対にないから。
先生はきっと、俺達に何かを残そうなんて少しも考えていたかった。
だからこそ俺だけでなく俺達の仲間は本当にたくさんのものを先生から貰っていると思っている。
その先生から貰ったものを皆が大事に今日を一生懸命に生きている。
かっこつけずに、いいわけせずに、前だけ見てた先生のように、
そう思いながら。
先生が今後新たな生徒に教える事はもうない。
しかし、先生が教えた生徒達は今でもたくさんの事を先生から学んでいる。
そして先生から学んだ事を俺達は自分達のやり方で誰かに伝えていきたい。
そうやってずっとずっと終わる事なんてないって俺は信じてる。
7曲目 「LAST FOREVER」
俺には一生かかっても頭が上がらない人がいる。
そして、俺はその人を一生尊敬し続ける。
中学時代の恩師「小川先生」。
先生の存在が俺の中で進むべき方向、取るべき行動をいつも導いてくれているように思う。
小川先生、またの名を「グレートティーチャー小川」(GTO)は、最近ではよく聞く
「元ヤン先生」。
学生の頃は散々悪をしてたが、「先生になりたい」と強い意志を貫き通し見事”教員”という
職業に就いた。
そんな先生ははっきりいってしまえば「暴力教師」。
殴る蹴るは当たり前。
挨拶代わりに、、、なんて事もあった気がする。
でも、俺達は先生の事が少しも嫌いじゃなかった。
先生はいつだって俺達の事を考えてくれてた。
当時は俺等から言わしてみれば、「学生時代、先生だってやってた事でしょ??」
ってな事を一目見たもんなら鬼の形相でブチ切れ!!
そういう事をやってきた先生だからこそ、当時の俺達がそういう事をする事が
プラスにならない事をよく理解し、ああして怒ってくれてたんだと今になって思う。
先生との付き合いは中学を卒業してからも続いた。
卒業しちまえばこっちのもんと言わんばかりに、先生は高校生の俺達を飲みにも連れてってくれた。
先生、生徒っていう立場を超えたスゲーいい時間を俺達は過ごす事が出来た。
その一方、色んな噂を聞いた。
荒れに荒れてると有名な中学へ移動になった先生は、まったく今までのスタイルを変えずに
生徒にぶつかりまくった。
その結果、力が有り余ってる生徒達は先生を囲んでボコボコにした、、など。
それでも先生が逃げる事はなかった。
一年が終わる頃には全ての生徒と打ち解けていった、って話を人伝いに聞いた。
そんな話を先生は一切俺達にしなかった。
自慢話にもなる話なのに、それを先生自ら語る事は決してなかった。
ある日、俺達の中学の同級生が家を飛び出した。
俺達は皆でそいつを探した。
そしたら駅でたまたま先生に会った。
俺はその話を先生にすると先生は生徒が警察にやっかいになり、警察から帰ってきた所だったが
少しも嫌な顔をせずに一緒にそいつを探してくれた。
高2の夏、親と喧嘩した俺は軽い気持ちで家出をした。
公園にテントを貼ってしばらく家には帰らなかった。
結局親が迎えにきて家には帰ったんだけど、その帰った日、
先生はうな重を持って俺が寝床にしてた公園を訪ねてきてくれていた。
高校卒業の時、中学時代の仲間と先生とで飲みにいった。
先生もかなりいい調子で飲んでて、仕舞いにはおちょこを投げ出すという、
大人らしからぬ態度を俺達の前で披露してくれた。
スゲー楽しかった。
俺がアメリカに行くっていう事を聞いた先生はこんな事を言ってくれた。
「しゅん、アメリカいくならドラッグでもなんでもやってこい。できる経験はなんだってやってこい。
ただ溺れるな。やった後にそれが自分にとっていい事か悪い事なのか判断しろ。」
その言葉があったからこそ、俺はドラッグに溺れるなって事はなかった。
俺達にとって先生って存在はいつだって特別だった。
ある日、双子の弟から突然メールがきた。
内容は信じられないものだった。
「小川先生が急死されました」
俺は何を言っているのか分からず、すぐさま弟に電話をかけた。
すると弟曰く、先生と仲の良かった亀井先生から突然電話がかかってきて、
その事を聞いたという。
それを聞いた日、俺はライブだった。
どんな気持ちで歌ったらいいのかさっぱりわからなかった。
いつものように出来る気がしなかった。
それでもなんとかライブはやった。
よかったとかよくなかったとかそんな事を考える余裕は俺にはなかった。
メンバーより先に帰らせてもらった俺は電車の中で一人号泣した。
家に帰ってからも号泣した。
涙が止まらなかった。
泣く事なんてまったくっていっていいほどなかったのに、本当に悲しくてしかたなかった。
お通夜の日、そこにはこれまで先生が教えてきたたくさんの生徒の姿があった。
なんだか誇らしかった。
俺等が大好きな先生の事をこんなにも多くの人が同じように好きだったと思えるだけで
すごく嬉しかった。
一人、深夜まで働かなくちゃいけない仲間がどうしても行きたいというので、迎えにいき
再び会場に向かった。
そこには先ほどのように多くの人はすでにいなく、親族のみが残っていた。
そこには先生の奥さんもいた。
先生の奥さんに俺は先生に対する感謝を言うと奥さんは大粒の涙を流した。
俺も涙が出てきた。
その日、俺達は地元に集まり先生の話を尽きる事なくした。
俺達にとって本当に「偉大」な存在である事を改めて皆が実感した。
俺は先生に見て欲しかった。
自分がもっともっと成長した姿を見せたかった。
今出来る事は、先生に見せたかった自分の姿になる為に歌い続けるしか俺にはできない。
先生が残してくれたものは俺の中で消える事は絶対にないから。
先生はきっと、俺達に何かを残そうなんて少しも考えていたかった。
だからこそ俺だけでなく俺達の仲間は本当にたくさんのものを先生から貰っていると思っている。
その先生から貰ったものを皆が大事に今日を一生懸命に生きている。
かっこつけずに、いいわけせずに、前だけ見てた先生のように、
そう思いながら。
先生が今後新たな生徒に教える事はもうない。
しかし、先生が教えた生徒達は今でもたくさんの事を先生から学んでいる。
そして先生から学んだ事を俺達は自分達のやり方で誰かに伝えていきたい。
そうやってずっとずっと終わる事なんてないって俺は信じてる。