STACKERS日本デビューアルバム「PUNK IS PUNK」4曲目

「DOESN'T BOTHER ME」

俺には今まで生きてきた人生で「無敵」だって思える瞬間が何回もある。
それは決して俺がスゴい奴だからじゃない。
決まって俺をそう思わせてくれる仲間が側にいる。

高校2年の時、俺は親と揉めて家出をした。
泊まる所も行くところもなかった俺はテントを買い、近くの公園で野宿をすることにした。
ノリでやろうと思ったものの不安もあった。
でもその不安をなくしてくれたのは「仲間」だった。
毎日皆来てくれた。
家にシャワー浴びにこいよ!って言ってくれる奴もいた。
テントで一緒に寝てくれた奴もいた。
皆、゛やらなくてもいいこと゛を当たり前の顔しながらしていた。

そんな仲間が周りにいてくれると俺は「無敵」に思えてくる。

というのは、こんな仲間の為なら俺はなんだってできるんじゃないか!って気持ちにしてくれる。

そんな瞬間、自分がこれまで気にしていたことがスゲーちっぽけに思えて、情けなくなって、その結果、

「こまけー事は、一切無視!!」

あいつと俺が笑ってられるならそれでいいや!!そんな感じになる。

怒ってもいい場面でも俺はなるべく怒らない。
悩んでいい時でも俺はなるべく悩まない。
止めたい時があっても俺は絶対に止めない。

俺の近くにはいつでも仲間がいて、そいつらと笑える時間があるなら、どんな状況だろうと、全てめちゃくちゃだろうと、俺は少しも気にならない。

7月18日発売、STACKERS日本デビューアルバム、"PUNK IS PUNK" 3曲目

"THE CITY OF NIHILISM"

俺は基本的にあまり怒らない。
それは器がでかいとかそういうことじゃなくて、あまり腹がたたない。
ある程度の事は、「しょうがね~な~。」
で済ませてしまう。
「仕様がない」
という言葉自体は個人的に好きではないのだが、誰かがやらかした事なんかに対しては
その言葉で終わらせてしまう事が多い。
いちいち怒っても何かがよくなるとは思わないし、怒る元気があるならそれを違う方に
向けたいからだ。

そんな俺でもキレる時はある。
どんな時が一番多いかというと、黙って責任を逃れようとする時。
まだ言い訳してなんとかしようとする奴の方がいい。
でも、世の中には自分でやったにも関わらず黙って笑って何も無かったかのように
ごまかそうとする奴がいる。
そういう奴を見ると俺は腹が立ってしょうがない。

昔、仕事場でこんな事があった、、、

普段だったらありえない値段のコース料理をお客さん側から用意して欲しいと言われた。
しかし、具体的にこうして欲しい等はなく、ただ値段だけの提示、、
普段とっているコース料理の倍の値段を払うといっているお客さんに対し、
店側は何をやるのかな~??と俺はそれくらいに思っていた。
当時の俺はキッチンのナンバー2的なポジションなので、料理長が休みの時は実質
俺が仕切ってやらなくてはいけない。
しかし、俺はいっても素人。
どこかで料理を勉強したわけではない。
仕事場の俺の大嫌いだった「システム」を知っているというだけの事、、
なんで、突然のアドリブを要求される事にはめっぽう弱い。

そのパーティーが入っているのは店にいる社員は勿論全員知っていたし、
料理長もその事を知っていた。
俺は念のため当時の社員に不安だったのでパーティーの事を聞いたら、
料理長に任せとけば大丈夫だろ??と言う返事だった。
俺もそれを聞いてしっかりやってくれているのだろうと安心しきっていた。

パーティー前日、料理長は休み。
俺は料理長が次の日のパーティーの為に用意したメニューを見た。
「なんじゃこりゃ??」
まったくもって何かを考えて作ったものではなかった。
素人の俺が見ても分かるくらいの「やっつけ」だった。
さすがに焦った俺は社員にこれでいいのか??お客さんはこんなに払うといってるのに!
という旨を伝えた。
すると社員は、だったらとこんなアイディアを持ち出した。

「じゅんさんを呼ぼう」

”じゅんさん”と言うのはホントどうしようもないのだが、料理の腕にかけてはマジハンパなく俺が”兄貴”と慕ってる人の事だ。この人は元々日本料理をやっていたので、盛りつけなんかは他の人と比べては失礼なくらい奇麗に、美しくやれる。
その”じゅんさん”に頼めば、それなりのメニューになるのではないか??
と言うのが社員の意見だった。

俺は早速”兄貴”に電話をした。都合良くパーティーの日は休みだという。
”お前の頼みなら”
という理由だけで休みにも関わらず俺のいる店に来てくれるという。
俺はそれで安心した。
しかし、夜になってじゅんさんから電話がありこんな事を言われた。

「お前さ、俺明日やる事に関して全く問題ないけど、どこまで話とおってるの?」

じゅんさんは当時別の店舗で働いていたため、上の人の許可なしに別の店舗にいってそんなことをできないと言っている。それは当然である。
次の日俺は社員に電話をかけてその事を言おうとした。
しかし、リアクションはいまいち。
俺は一”やってくれる”と言っているじゅんさんには絶対に迷惑をかけるわけにはいかず、
上の人に電話をした。
状況を説明し、正直困っているのでじゅんさんに力を借りようと思ってると伝えた。
上の人は納得してくれたが、そもそもなんでそうなる前に誰も手を打たないのかと聞かれた。
俺は正直わからなかった。
その結果話がこんがらがり、じゅんさんだけでなく上の人も出てくる事になった。

結局、上からも人が来て当日に全てのメニューを組み直し、俺とじゅんさんと上の人とでなんとか
パーティーを乗り切った。
正直上の人が来るならじゅんさんは普通に休んでもよかったのだが、じゅんさんは来てくれた。そして若干不本意な部分もありながらも最後までやってくれた。

店にいた社員はというと、ギリギリまで焦らなかったくせに上の人がきたら焦り出したようで、その日一日は異様な雰囲気が流れていた。

俺は腹が立っていた。
お客さんではなく、完全に上の人の見る目の為に動く奴らを見てむかつかずにはいれなかった。
多分社員側からしてみれば、余計な事いいやがって、と思っているのかもしれない。

”余計な事?”

お金を普通のより払おうとしてる人に対して、それだけの事をしようというのは余計なことか?

俺が腹を立てているのはそれだけでなく、
その次の日に休みだった社員から、ヘラヘラ笑いながら

「大変だったらしいじゃん。」

なんて言われたもんだから更に腹がたった。

こいつらは解ってんのか??お前らが真剣に取り組もうとしなかったが為に話がでかくなっちゃった事を!!
元から一生懸命やってたら誰も来る必要は無かったし、皆が満足して一日を終える事ができた。
にも関わらず自分は悪くないでしょ??いなかったし、、
くらいの雰囲気で話しかけられた時には返す言葉もなかった、、、

その日俺は当時の店長とマンツーマンで話をし、じゅんさんに社員全員で誤ってくれと言った。
じゅんさんは俺の為だから来てくれた。会社の為でも自分の評価の為でもない。
結果、上の人が出て来たからじゅんさんが出したいものでもないものを休みにも関わらず
手伝わされただけなのだ。
俺は本当に申し訳なくて仕様がなかったので、それだけは皆が謝ってくれと頼んだ。
じゃなきゃもうこれ以上ここには居れないと思った。

俺は正直面倒臭い奴だ。
ただ、俺は自分の大好きな人をそうやって軽く見たり、迷惑をかけたにも関わらず
知らない顔をする奴らがむかついてしょうがない。

そんな奴らは誰も何のリアクションもしてくれない場所に行くべきだって思う。
人から反応を求めるなら、自分の行動に責任を持たなくして、本当の意味での
賞賛なんかありえない。
やっちまった事に対しても責任を持つからこそ人はもっと高みに上っていけると
俺は信じてる。

自分自身にも今一度再認識させ、うそくさくない誰が見ても”本物”だっていわれる存在を
STACKERSは目指して行きたい。




STACKERS 日本デビューアルバム "PUNK IS PUNK" 2曲目


「DISTORTION」


STACKERSをニューヨークで始めた時、実はピンボーカルがいた。
俺じゃないピンボーカル。
あえて名前はださないが、3回目のライブには俺が歌うようになってた。
何故、俺が歌う事しようとしなかったのか??
それは俺が歌が上手くないから。
これは正直、今でもコンプレックスにもなっていること。
「ボーカルのくせに?!!」
そう、ボーカルのくせに。
世の中のボーカルはなんであんなに歌が巧いのか?
できたら俺より歌が巧い人間を撲殺して、俺が一番!!って思われたい。
それくらい、今でも「歌」には自信がない。

歌うきっかけは、他のメンバーが技量、技術じゃなくて、お前の歌の方がいい!と言ってくれたのが
きっかけ。

へたくそでも歌う事は好きだった。
だから歌った。それでもずっとずっと自分の声、歌のへたくそさは今でも悩み。
それは何処からきてるのかと言うと、俺はもともとスゲーメロディアスな曲が好きだから。
メロディーがきれいな曲は人に色々な気持ちを与えられるって思う。
だからこそ、STACKERSを始めた時、人々が感動するメロディを作ろうって必至だった。
でも、俺の歌唱力じゃ伝わらないって思った。

そんな悩みを抱えている時に初めて「WARPED TOUR」に行った。
そこには俺が憧れるバンドが何組も出ていて、俺の中でのディズニーランドだった。
そこで、何組ものパンクバンドを見ながら俺は思った。

「俺、知らなすぎじゃね??」

当時出てたバンドは一般的に有名なバンドばかりだけど、まだまだ知らないバンドもたくさんいた。
そして、衝撃だった。
「聴かせる」って事をメインに考えていた俺に

「その場にいる奴を最高に楽しませる」

そんな事を教えられたような気がした。
皆歌っていた。皆拳を上げていた。
俺のこれまでの感覚を全て歪ませてくれた。

その年から毎年”WARPED TOUR"には通った。
色んなバンドに出会った。いろんな事を学んだ。
日本ではバンドのパフォーマンスを「LIVE」(生)という。
アメリカではそれを「SHOW」(見せる)という。
目の前にいる人にいかに見せられるか、いかに魅せられるか。
それをすごく意識するようになった。

そんな感覚を貰った時、俺の中で絶対だった「メロディ重視」
という感覚でなく、その場にいる人を何処まで引き込む空間に変えられるか?
という感覚が生まれた。

今まで持っていた感覚を「歪ませた」

そうして書いた曲が「DISTORTION」

結成当時やっていた曲に比べると本当に見違えるほど攻撃的な曲。
でも最後はサークルにいるってイメージ。
ずっとライブではおなじみになっているのは、あの時俺達が
自分達の感覚だけで突き進まず、少しでも目の前の人を意識して
その瞬間を楽しみたいって思った時に生まれた曲だからなのかもしれない。