活動名:徳多秀香 Shuka Tokuta

職業:書道家カラーパレット

家族:夫お父さん息子お父さん

出身地:青森県雪の結晶

世田谷区で作品制作と書道教室を運営中。活動報告と日記も兼ねた書のある暮らし鉛筆

 

 

 

さてさて、

ざっくりおさらい!書道史その①はこちら下差し

 

 

 

 

 

 

さて!

三国志の映画「レッドクリフ」で

張飛が隷書を書いているシーン

ご覧になりましたか??ゲラゲラ

 

金城武さんが諸葛孔明で出てて

本当かっこいい映画ですよ!!

 

 

 

 

 

 

 

さて隷書体が曹全碑など

美しい波磔(はたく)を追求して

出来上がっていった時代ですが、

 

 

やっぱり乱世という事もあり?(多分)

もっと早く文字を書けるように

実用的な文字がどんどん出てくるわけです!

 

 

草隷(そうれい)が生まれ、

さらに速書きして草書が誕生します。

 

 

そこからどのような流れで

現在に至ったのかは以下の図をご覧ください。

 

 

こちらより拝借

 

 

 

 

隷書以降は、

順序立てて「これの後にこれが出来た」

という感じでなく、

同時多発的に出来ていったようです。

 

 

楷書も隷書と同時期に書かれていたのですが

書家が美しく書いてまとめて

世間に認知されていったのは

隷書より後という流れみたいです。

 

 

また、草書も行書とほぼ並行して

認知されていってるようですね。

 

 

「急いで書くか、丁寧に書くか」

という違いで

生まれたのではないでしょうかキョロキョロ

(手紙やプライベートな場では草書や行書、

正式な文書などでは隷書や楷書が

用いられたのではと勝手に想像)

 

 

しかも、

行書と楷書はどちらが先に成立したのか?

というのも、実は謎のままなんだそうです滝汗

 

参考ブログ

 

 

 

 

さて話は戻りまして、

三国志の戦国時代を経て、

西晋として新たな時代が始まります(280年)

その後、東晋(317年)が始まり、

そこからいよいよこの方が登場します。

 

 

 

書聖『王羲之』

(おうぎし)

 

 

言わずと知れた、

書道界のスーパースターですお願い

 

王羲之(303年〜361年)

 

 

 

貴族出身で、

本業は政治家です。

 

 

野心ゴリゴリのタイプかと思いきや

地方が好きで

基本的に地方を中心に活動した

政治家だったようです。

 

性格的にもキツさはなく実直で

周囲から尊敬されていたようです照れ

 

 

そんな政治家のお手本のような王羲之ですが

彼が成した偉業は、

 

 

それまで実用性しかなかった

書に芸術性をもたらした

 

 

点になります。

 

 

そして最高傑作品として

蘭亭序(らんていじょ)

があります。

(らんていのじょとも言ったりします)

 

 

 

書籍もたくさん📚

 

 

 

 

 

 

蘭亭序は行書作品ですが

王羲之は草書も楷書も数々の名品を残します。

 

 

◇楷書

楽毅論

(がっきろん) - (348年)

黄庭経

(こうていきょう) - (356年)

 

 

◇行書

蘭亭序

(らんていじょ)- (353年)

喪乱帖

(そうらんじょう)

 

 

◇草書

十七帖

(じゅうしちじょう)

遊目帖

(ゆうもくじょう)

 

 

 

 

作品の詳細はwikiをご覧ください。

 

もう多いのなんのって!笑

 

 

そんな数々の書作品を残した王羲之。

(国宝もたくさん!)

 

 

でも「書聖」と呼ばれるようになるのは

300年後の時代「唐」になってから。

 

 

というのも、

この時代の太宗皇帝

いたく王羲之の書を愛したからでありまして。

 

 

「あいつが王羲之書を持っているようだ」

なんて噂を耳にすれば、

そこに役人を派遣して

様々な手段で奪い取ったとか・・・滝汗

(推し活ガチ勢・・・)

 

 

挙句に「死ぬときは一緒にお墓に入れて!」と、

王羲之書を自分のお墓に埋葬してしまい、

その後に続く戦乱でほとんどの王羲之書は

紛失してしまったそうです。

 

 

なので、真筆=本人の書(真跡や肉筆ともいう)

とされる王羲之の書は一つも残っておらず、

 

現在私たちが目にしているものは全て

精巧に出来た「模写」(模刻)なのであります笑い泣き

 

 

太宗皇帝(598年〜649年)

 

推し活もほどほどに・・・笑い泣き

 

 

 

人柄も「聖人君子」のように

ほぼ人として完璧だったであろう王羲之。

 

太宗皇帝も同じ政治家として

同じ書を愛する者として

とっても尊敬していたのであろうと思います。

 

 

 

 

さて、

そんな王羲之には7人の子供がいまして

一番末っ子が父と肩を並べるほど

字が上手い事で有名になります。

 

 

その名も『王献之』

(おうけんし)

 

王献之(344〜386年)

 

 

王献之も数々の名品を残します。

上の図の右側にある作品が、

 

 

中秋帖

(ちゅうしゅうじょう)

 

wikiより

 

 

 

この作品に見るほぼ一筆書き

これから700年後に活躍する書家たちに

多大な影響を与えていきます。

 

 

ただ当時は父・王羲之と比べられる事が多く

評価もさほど高くなかったとか。

 

 

父に比べて骨気は劣るが、

艶やかさがある

 

 

と言われていたそうです。

 

おぼっちゃま気質だったようで

その行動で周りから顰蹙を買ったりもニヤニヤ

それゆえ(?)

奔放な文字が魅力的だったようです。

 

 

王献之も父同様、真跡はなく、

現存しているものは全て模写(模刻)

となりますグラサン

 

 

王羲之親子には逸話も多いので

調べてみるのも面白いですよ✨

 

 

 

参考ブログはこちらクローバー

 

 

 

 

 

 

そんな親子を総称して

二王(におう)とし

書道界に今なお鎮座し続けておりますウシシ

 

 

 

 

 

 

 

次回からは仏教も絡んできて、

楷書がいよいよ正式な書体として

メジャーになります。

 

*ちなみに日本ではまだまだ弥生〜古墳時代!

 

 

 

 

 

 

 

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