防災の日  9月1日  (東京消防庁)

「9月1日は、関東大震災が発生した日であるとともに、暦の上では二百十日に当たり、台風シーズンを迎える時期でもあり、また、昭和34(1959)年9月26日の「伊勢湾台風」によって、戦後最大の被害(全半壊・流失家屋15万3,893戸、浸水家屋36万3,611戸、死者4,700人、行方不明401人、傷者3万8,917人)を被ったことが契機となって、地震や風水害等に対する心構え等を育成するため、防災の日が創設されました。」

 

今後、まずその日の正確な把握をするため、こうしたその日の、

説明を載せてもらう。

やはり、この日は、関東大震災だったか。

引用だらけで失礼するが、関東大震災とはなんだったか?

 

Wiki

「関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年大正12年)9月1日11時58分32秒[1](11時58分31.6秒[2]、日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって南関および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害[注釈 1]。死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。」

 

主に、火災による死者が多かったらしいが、確かに凄い死者である。

東日本大震災と比べると、

 

復興庁

「東日本大震災においては、死者 18,131人、行方不明者2,829人、負傷者6,194人の人 的被害が生じた1)。」

 

どうしても、人数で話してしまうが、実際は一人一人の、

かけがえのない、死、である。

私は、東京生まれなので常に地震を意識して生きて来た。

東海大震災は、ここ数年で確実に訪れるとされて来た。

新幹線が脱線し、富士山が噴火、新宿副都心(今もこう呼ぶのか)

のビルが倒れる、そう言われ、そんな映画がいくつもあり、

私たちは自然と、それをシュミレートするようになった。

 

特に大学時代は、多摩市に下宿していた事もあり1階に住んでいたが、

「あ、来た。縦か?横か?コリャ大きいぞ」などと、

一人で叫び表に出ると、少しずつ止み、その思いを誰にぶつけて、

いいのか分からず、俄か地震評論家になって友人と長電話したりした。

またグラリと揺れると、付き合いゼロのとなりの部屋の人も出て来て、

そっちは彼女を連れて出て来たりして、挨拶もせず部屋に戻ったりした。

全く今は知らないが、この頃は「彼女がいる」「彼女がいない」という、

事は、地震よりも重要な問題であった。結局、学生時代彼女は、

できなかったので、「縦の糸」は何も温めなかった事になる。

 

大学を出て、大阪の会社に就職した。

大阪で1番ビックリしたのは、地震がない事。

毎日生活していて、何か物足りないなと思っていたら地震だった。

考えると、豊臣秀吉は、徳川家康にあの地震のある江戸の土地を、

押し付けたわけで、性格の悪いオッサンである。多分その頃も、

地震の多さは一緒じゃないのか? あんな揺れるところに、

いくら平地が広いとはいえ、あの時の技術レベルで家を建てて、

城を建てるなんて、凄い事である。

ところが、僕は5カ月しかいないで、東南アジアに行ってしまったが、

その地震のない関西で、阪神・淡路大震災が起こりビックリである。

更に、その東南アジアの某国では、これもまた、絶対地震が起きない筈で、あったが、津波が起きてリゾート地で沢山人が亡くなってしまった。

 

警戒していた東京では、少なくとも僕が生きた55年間、

大地震は来ていない。今こうしてまた日本に帰って思うのは、

あの時の様に関東で頻繁に地震が起きないことだ。

或いはもしかして、建物が進化して地震を感じにくくなった、

可能性もある。

本当に減ったのか調べたが、何も出なかった。

 

そうでなくても、コロナで手一杯。

地震という鯰の平安を仏様に祈るしかない。

 

合掌

 

 

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