防災の日 9月1日 (東京消防庁)
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今後、まずその日の正確な把握をするため、こうしたその日の、
説明を載せてもらう。
やはり、この日は、関東大震災だったか。
引用だらけで失礼するが、関東大震災とはなんだったか?
Wiki
「関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12
年)9月1日11時58分32秒[1](11時58分31.6秒 [2]、日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって南関 東 および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害[注釈 1]。死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。」
主に、火災による死者が多かったらしいが、
東日本大震災と比べると、
復興庁
「東日本大震災においては、死者 18,131人、行方不明者2,829人、負傷者6,194人の
人 的被害が生じた1)。」
どうしても、人数で話してしまうが、実際は一人一人の、
かけがえのない、死、である。
私は、東京生まれなので常に地震を意識して生きて来た。
東海大震災は、ここ数年で確実に訪れるとされて来た。
新幹線が脱線し、富士山が噴火、新宿副都心(今もこう呼ぶのか)
のビルが倒れる、そう言われ、そんな映画がいくつもあり、
私たちは自然と、それをシュミレートするようになった。
特に大学時代は、多摩市に下宿していた事もあり1階に住んでいた
「あ、来た。縦か?横か?コリャ大きいぞ」などと、
一人で叫び表に出ると、少しずつ止み、その思いを誰にぶつけて、
いいのか分からず、
またグラリと揺れると、
そっちは彼女を連れて出て来たりして、
全く今は知らないが、この頃は「彼女がいる」「彼女がいない」
事は、地震よりも重要な問題であった。結局、学生時代彼女は、
できなかったので、「縦の糸」は何も温めなかった事になる。
大学を出て、大阪の会社に就職した。
大阪で1番ビックリしたのは、地震がない事。
毎日生活していて、何か物足りないなと思っていたら地震だった。
考えると、豊臣秀吉は、徳川家康にあの地震のある江戸の土地を、
押し付けたわけで、性格の悪いオッサンである。多分その頃も、
地震の多さは一緒じゃないのか? あんな揺れるところに、
いくら平地が広いとはいえ、あの時の技術レベルで家を建てて、
城を建てるなんて、凄い事である。
ところが、僕は5カ月しかいないで、
その地震のない関西で、阪神・
更に、その東南アジアの某国では、これもまた、
警戒していた東京では、少なくとも僕が生きた55年間、
大地震は来ていない。今こうしてまた日本に帰って思うのは、
あの時の様に関東で頻繁に地震が起きないことだ。
或いはもしかして、建物が進化して地震を感じにくくなった、
可能性もある。
本当に減ったのか調べたが、何も出なかった。
そうでなくても、コロナで手一杯。
地震という鯰の平安を仏様に祈るしかない。
合掌
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