これから始まるのは、病院での生活。
どこかが痛くても、息苦しくても、それは自らに
帰着すること。
いや仮に、他人があなたの痛みに、大幅に関わっていても、
あなたの存在に帰着すること。
全て私の払うべき痛みである。
このことは、その立場になって、初めて教えられた。
まだ治療前の僕が、どれだけ情け無い状態であったか、
その後知り合った病院の職員は、みな説明してくれた。
そして今、如何に回復したか。
この文法は、病院の人々の文法だと思うし、
そう言う小さな驚きの連続に、
病院の言葉の輝きを貰うのです。
頑張ったね、以前はこんなこと出来かったのにと。
前はこれだけ動かしても、痛がったのに。と。
実際には、僕の右手と右足が、なんせ全く動かないのだから最も今後に深刻なダメージである。しかし左上の褥瘡は左足の上に、べったりと肉のような汚れが載り、また心臓上には穴が空き、顔の半分は
崩れているらしく、これらのインパクトは、強いが、以外に
辛い事にはならなかった。
最初は名前もわからず、右左何がどうなってるのかも、
なんだかわからない状況だった。
今日、今の時点では、右足、右手が一生の闘いになりそうた。
体半分、何処へ行った。
手半分、何処へ行った。
足半分、何処へ行った。
味覚半分、何処へ行った。
暑い冷たい、何処へ行った。
口の半分、涎の姿、何処へ行った。
しかしそれらは、決しておまえから逃げず、
おまえの人生の重しとし、そこにいる。
しかしそれらは、決しておまえから逃げず、
いつの日か、蘇るだろう。