生きるって〜ことは、何故楽しいのか | しゅ~る之助の新々観察ラン日記

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「下京のジョージ・クルーニー」を自称する、坐禅と観察ランで、                                        京都の街をしぶとく生き抜くおじさんの日記です。

けっこう好きな絵

 

「今日のこの日まで○年間、無事健康に生きてこられたことに感謝します」って~感謝しまくってるよ、朝から・・・d(^O^)b

 

昨日書いたように、誕生日なんて~ものは、人生のある時期を過ぎると「冥土の旅の一里塚」みて~なもんで、めでたいことなんか、ひとつもね~のであるが・・・。

 

そうひねくれてばかりいても、何なんで、そういう感謝の日やと自分に言い聞かせてるのである・・・。

 

そんな事より、今朝はさすがに走ってきた・・・。

 

で、走りながらつらつら考えたのだが・・・。

 

ここまで、毎月ラン距離の目標を設定し、それをクリアすることばかり考えてやってきたが、もうそろそろ、そんなランスタイルも考え直すべき時期にきてるんじゃね?

 

若い頃は、一日の距離を10キロと設定し、月間300キロが目標だった・・・。

 

そして、前職を定年で退職した時に、一日の距離を7キロと設定し、月間210キロを目標にしてきた・・・。

 

でも、もうそろそろ、体力がそれについていけてね~・・・って~気がしてきたのだ。

 

最近では、通勤時のウォークまで距離に入れてなんとか、達成してきたが、そこまでこだわることもね~やろ~・・・って~気がしてね。

 

それも「四天コース」って~走るコースの順番まで設定してね・・・^^;

 

 

 

これまでは、自分のランスタイルを「市民ランナー朝ラン派」って~称していたが、最近では、朝ランの途中に歩きが入ることも増えたので・・・。

 

もう今後は「市民ランナー朝ラン派」に看板替えするべ?^^;。

 

もう今後は、自由に好きなところを気持ちよく走り歩きする、って~ことでえ~んじゃね?・・・って~思ってね。

 

ランスタイルもそうだが、その他のライフスタイル全体も含めて、今一度、体力に合わせて、再構成すべき時なのかも知れないね~・・・。

 

毎年、誕生日に思い出すのは、30歳の時の誕生日に、急に思い立って近所の黄金山って~広島市内の山に走って登ったことである。

 

あの時から、僕のランライフが始まったのだが、あれから〇十年経って、いろんな事があったが、もうそろそろ潮時かも・・・。

 

ハナシは替わるが、この数日間、思ってることがあってね・・・。

 

って~のは、以前何回か書いたが「遊びに行くのは何故楽しいか!」・・・「それは帰る家があるから」って~あの件ね。

 

ふと、思いついたのだが、人生も同じで、「何故生きてるのが楽しいのか」って~もし、そんな質問をされたら・・・。

 

普通に考えれば、「今が楽しいから」って~ことになると思ふが、本当は「いつかは死ぬから」・・・って~のが正解じゃないかと思ってね・・・。

 

この考え方の前提には「死ぬ」=「元居たところに帰る事」って~前提があってのハナシなのだが・・・な~んかふとそう思ったのである。

 

勿論、強い信仰心を持ってるわけではね~ので、確信めいたものはないのだが、なんとなくそんな気がするのである。

 

逆に「永遠に死なないとしたら」・・・いくつかそんな小説を読んだこともあるが、「永遠に終わりのない人生は実につまらない」って~のは実感として分かるよね・・・。

 

永遠に終わらない人生、って~ホント退屈そうだもんな~・・・。

 

であれば、僕らは心のどこかで、無意識のうちに、死を前提にして生きてるわけで、だからこそ、退屈しないで、日々楽しく生きられているんじゃね~だろ~か・・・。

 

それと同じ意味で「遊びに行くのは帰る家があるから」って~理屈が本当だとしたら「生きてるのが楽しいのは、いつか死ぬから」って~理屈も本当なのでは・・・。

 

てなことを考えたのであるが、どうやろ~・・・。

 

今年の誕生日に、僕はそんなことを考えました・・・d(^O^)b

 

去年の誕生日に書いた記事を↓に貼り付けておくので、宜しかったら読んでやってくだせ~・・・お願い

 

「唯一無二」

 

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