母性豊かな母親に育てられた女は、母性を喪失するのか・・・みて~なハナシ^^; | しゅ~る之助の新々観察ラン日記

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「下京のジョージ・クルーニー」を自称する、坐禅と観察ランで、                                        京都の街をしぶとく生き抜くおじさんの日記です。

 

今朝は、「計画休足」の日なので、朝ランはなし!d(^O^)b

 

って~ことで、計画では明日は、市内を軽く流すつもりだったが、勿体ないので、亀岡ハーフの試走に行くことにした・・・。

 

試走しなくても、何度も走ったり歩いたりしてる道なので、その必要性もね~のだが、いろいろ諸事情もあってね・・・(^_^;)

 

ま~、半分以上は歩き宴会になる可能性が高いのだが・・・^^;

 

さて↑は今月の仏光寺さんの「ブツのお言葉」であるが、最近の傾向として、相変らず「だから何?」って~反応してしまうお言葉である・・・。

 

あえて、偏見ばりばりで言うと「若い女の子」が書きそうな内容だと思ふ・・・。

 

若者に関心を持ってもらいたい、って~気持ちは分かるが、あくまでも伝道掲示板だから「疑義」だけでなく、何か指針を示して欲しい・・・って~思ふのはわしだけか?

 

そりゃね、信仰の入り口やきっかけは「疑うことから」って~のは分かるよ・・・。

 

そこから発心して「教えを乞う」って~のもその通りだろ・・・。

 

例えば、このお言葉から「何故、他人と自分を見比べるわたしがいるのか?」って~疑問を持てば、信仰の入り口に近づいた・・・って~ことになるやろ~・・・。

 

ならば、来月の伝道掲示板で、その疑問にちょっとでも答えるような「お言葉」が出れば、それなりの意味もあると思うのだが・・・。

 

たとえば「そんなあなたを、そっと見守る人があなたの後ろにいるかも」・・・とかね・・・(^_^;)

 

「ひょっとして、背後霊のこと?」って~受け取る奴もいるかも知れね~けど・・・^^;

 

さて、話しは替わって、まだ書いてなかった映画「母性」のハナシである。

 

 

この映画は、あくまでも永野芽郁よりも戸田恵梨香が重要だったと今更ながら思ふ・・・。

 

この作品では、永野芽郁芽衣演じるキヨカが、はっきり二つの問いを提示する・・・。

 

ひとつは「母性」とは、本能として本来、すべての女が、持ってるものか?

 

もひとつは、女には二種類あって、「いつまでも誰かの娘でいたい女(母性を持たない女)」と「母親になりたい女(母性豊かな女)」がいるのではないか・・・。

 

このふたつの問いかけは、実は同じことを言い換えただけかも知れね~・・・。

 

この二つの問いかけを通して、話しは進んで行くのであるから、永野芽郁は、主役って~より進行係みて~なもので、ミステリーなら「探偵役」やろう・・・って~思った。

 

まるで非の打ちどころのないクリスチャンの理想的母親(大地真央)に育てられた「戸田恵梨香」演じる「ルミ子」は、明らかに「母性」を喪失している、と僕には思えた・・・。

 

よって、ルミ子は「母性を喪失した(拒否した)、いつまでも誰かの娘でいたい女」なのだろう・・・。

 

その対比で、キヨカは、「母性豊かで、母親になりたい女」として、母親であるルミ子の変質さを浮き彫りにする・・・。

 

そんなルミ子ではあっても、自分の理想の母親が死んだアト、苛め抜かれた姑(高畑淳子)に徹底的に尽くす・・・。

 

つまり、実の母親亡きアト、今度は姑に母性を求めたのだと思ふ・・・。

 

そんな、非常に深い内容の作品であったと思ふが、映画作品としては、このテーマが終始ぼやけており、何が言いたいのかよくわからなくなっていたと思った・・・。

 

こうして、文章にして初めて分かったことが多く、観てる最中は終始、もやもやしてたからな~・・・(-_-;)

 

役者さん達の名演技、特に戸田恵梨香の一挙手一投足まで意識された演技が素晴らしかっただけに、ちょっと残念だったかも・・・。

 

やはり、原作を読んでから観るべきだったのかもね・・・d(^O^)b

 

もし、この作品を観るなら、やはり「湊かなえ」の原作を読んでから観た方がよいと思ふ。

 

原作読まずに映画だけ観たわしがゆ~のも、なんやけど・・・ははは^^;

 

って~ことで、今週は珍しくちょっと忙しいS社のバイトに行ってめ~りやす。

 

もしスムーズに仕事が処理出来て、残業がなければ、帰りに映画観にいくかも・・・(^_^;)

 

では、行ってめ~りやす・・・ごめんm(__)m

 

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