磯村建設別荘地に行ってきた | たまに昭和散歩

たまに昭和散歩

某ブログで公開していた記録を保管している場所です。
昭和の頃を感じられるいろいろな場所を、たまに調べています。

某ブログに掲載していた文章の転記です。閉鎖を予定していたのですが、
考察的資料として需要があるようですので、ここで改めて公開とします。
本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ、
情報のご利用については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れる方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。

 

 

過去に磯村建設の分譲地については2回に分けてお送りしています。
埼玉県寄居町の「柏田ニュータウン」「ひばりヶおか」。
これらは過去記事に詳細を載せていますので、ご覧ください。

 

 

 

 
●じつは磯村建設は戸建住宅以外の不動産も扱っていた●

 

 

 

テレビCMでは埼玉県寄居町の主に「男衾」「鉢形」両駅近隣の分譲地を扱っていて、
そのほかの事業についてはなかなか目にすることはなかったのですが、
磯村建設はその他の形態の不動産販売にも関わっています。

 

 

一つは集合住宅販売。いわゆる「マンション」のことです。
昭和50年代に都内数ヶ所のマンションを新築し、分譲の形態で販売しています。
宅地と同じく「サンハイツ」という名を付けられた建物が多いのも特徴でしょうか
(サンハイツという名の共同住宅は都内に無数にあり、よってこの名のほとんどは
磯村建設とは無関係ですから、名前だけで磯村の建設物件と特定することはできません)。
磯村建設の本業は戸建て住宅の新築と販売、マンションはあくまで販売会社としての
関与であり、建築を請け負ったのは別な業者だと予想されるのですが、
登記や資料等では下請けは表れませんから、磯村建設の建築と記されています。
耐用年数が長く取られているコンクリート建てですから現代でも残存していますが、
マンションというのは外見から建設会社の名称は知ることはできません。
テレビCMの資料映像もなく、これらを磯村建設の残影として結びつけるのは難しいのです。

 

 

そしてもう一つが別荘地の販売。
住宅地の開発・販売と同様に、関東周辺の数ヶ所で別荘地を販売しています。
建物付きで売られたようですが、住宅以上に荒廃が早く進んだようで
一部の別荘地はすでに姿を留めていないに等しい状況になっているようです。
これまた現代にCM等の公開情報がなく、なかなか見えてこない部分ではないかと思いますが、
かつての磯村建設は実際にこの事業も行っていたのです。
判明している限り、最低でも2ヶ所の別荘地販売が確認できています。
一つは茨城県鉾田市の、旧大洋村の海岸付近。
もう一つが群馬県嬬恋村、浅間山北東側の森林地帯。

 

 

今回は群馬県嬬恋村にあった、磯村建設開発の別荘地にターゲットを絞ります。

 

 

 

●群馬県嬬恋村 磯村建設の別荘地「サンハイツ白樺の里」●

 

 

 

この別荘地の情報を特定したのはもう2年近く前なのですが、
埼玉県内の宅地分譲と比べて地味で知名度もなく、
成果も限定的と思われたので調査を先延ばしにし続けていたのです。
しかし時間が経過するほど現地の状況は変化してしまうはずで、早いほうがいい。
2018年の年明け、ちょうど群馬県に用事ができましたので、思い切って足を延ばしました。
ついに磯村建設の別荘地の様子が明らかになります。
CM画像と照らし合わせることはできないので物証にたどり着くのは無理でしょうが、
とりあえず現地の詳細については公開しておく必要があると考えたのです。

 

 

群馬県嬬恋村は、避暑地として知られた場所です。
位置的にはこの辺り。軽井沢の北側、草津の南側。
よく「北軽井沢」と呼ばれる一帯ですが、軽井沢町は長野県。
北軽井沢は群馬県長野原町と嬬恋村の一部を指し、軽井沢地区とは別の場所です。

 

 

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もうちょっと地図を拡大してみます。
都内からアクセスする場合は軽井沢から向かうのが一般的。
上信越道を降りて40~50分ほど走ればたどり着けると思います。
近くには浅間山の火山博物館や「鬼押出し」という溶岩の眺めを楽しめる名所もあります。
草津温泉と絡めての観光やレジャーも楽しめ、人気のエリアです。

 

 

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都心から比較的近く、自然も豊かで観光地も豊富、そして夏涼しく避暑に最適。
条件が良い北軽井沢一帯は高度成長期の頃から別荘地開拓が盛んに行われてきました。
昭和50年代に急成長した磯村建設も、それに加わろうとこの地に乗り出したものと思われます。
主に針葉樹が広がるこの辺りの森はあちこちが別荘地化されていて、車で走ると
「○○別荘地」「貸別荘」「別荘売買」などの看板ばかりが目につきます。

 

 

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磯村建設が開発した別荘地は、嬬恋村の鎌原という場所にあります。
この地名は嬬恋村の広域に設定されているもので、他社が開発した別荘地の多くも
同じく鎌原という地名が付いてきます。あまりに広いのでこの地名で地点を特定することは不可能。
地元の人に「鎌原に行きたいんですが」と聞いても「この村の南側はみんな鎌原、
この森の全部も、向こうの山の上も、浅間山のてっぺんもみんな鎌原だ」と言われるだけ。
仮に地番まで判っていてもこれまた無駄で、ピンポイントどころか大体の位置も絞れません。
ここと同じ地番は、西側一帯に数キロ先まで広く存在しているためです
(どうやらこの辺りの地番は標高を元に設定されるようで、等高線沿いに長く広がっています)。
数キロ離れた別荘地も、そして観光地の鬼押出し園も火山博物館も、みんな同じ地番。
枝番が違うのでこれが識別箇所ですが、5桁まであるほど膨大で、途方にくれます。
これまた村役場の帳簿に登記される目的のもののようで、複雑怪奇。
数字順に並んでいるわけでもなく、その詳細は地図にも載っていません。
ですから余所者は業者の案内図などを頼りに行くのが唯一の方法となってきます。
無論、磯村建設が廃業して30年以上経つ今、開発会社に訊ねることはできません。

 

 

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この別荘地が磯村建設所以の地であることは、いくつかの情報からわかります。
一番決定的な情報はこちらに住まわれている関係者の方々ということになりますが、
そういう情報元についてはご迷惑になるといけませんからここには書きません。
ご興味がある方は各自でお調べください(節度ある姿勢でお願いします)。
要点のみ書くと、昭和49年から58年までの10年に渡り磯村建設が開発した
別荘地が、今回取り上げる「サンハイツ白樺の里」です。
とりあえず関連事項として、こういう不動産広告が見つかります。
昭和51年の建物ということで、時代としても重なるのではと思います。

 

 

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「鬼押出し園」。浅間山の噴火による溶岩流が広がる一帯を観光公園化したスポット。
「鬼出ハイウェー」という有料道路を来れば容易に着きますが、ちょっと遠回りすれば
一般国道などを経由して通行料をかけずにたどり着くことも可能です。

 

 

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その鬼押出し園の前、道路がループするようなロータリー状の向かい側に、
森の中に入っていくような細い道が見えます。

 

 

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ここに怪しげな案内看板が。「サンハイツ白樺の里」。
サンハイツと言えば「サンハイツめじろ台」などという名で販売された、磯村建設の分譲地。
この名称は磯村建設が好んで使ったもので、前述のようにマンションにも名付けられています。
サンハイツのフォントが意味ありげ。磯村が関わったマンションにも多く使われた字体の模様。

 

 

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この看板に従えば、容易に別荘地まで行けます。
そう、この看板にたどり着くまでの情報収集が、現地を特定する苦労の大半を占めるのです。
ここまで来てしまえば、その場所に行きつくことはもうほとんど困難はありません。
先ほどの看板からすぐ近く、左に折れる道があり、ここにも看板が出ています。
ここを入れば「サンハイツ白樺の里」までは一本道です。

 

 

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1月なので北軽井沢は雪景色。夏場は賑わうこの辺りもこの時期観光客はまばらで、
別荘に訪れる人もいないのでしょう。雪道にはタイヤの跡は少ししか残っていません。
とにかく、先へと進んでみましょう。本当に磯村建設の別荘地はあるのでしょうか。

 

 

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「白樺の里入口」というゲートというかアーチというか。
ここから先がいよいよ磯村建設が開発したエリアと言うことのようです。

 

 

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薄れた字で「関係者以外は無断で立ち入らないでください」と書かれています。
許可を取ろうにももう磯村建設が存在しないのですからどうにもならず…
それに現代ではこの奥にペンションや貸別荘ができて、関係者以外でも
通行する状況になっています。磯村建設が消えた段階で、この表示も無効になったらしい。

 

 

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さらに先へ進んでみます。しばらくは森が続くだけで建物はないんですが、
ちょっと行くと家がポツリポツリと現れます。そろそろ目指す場所に着くようです。
ちなみに木々は針葉樹がほとんどで、名称になっている白樺はあまり目につきません。

 

 

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真新しい建物があります。思いのほかこの別荘地は賑わっているのかな?
この建物は現役のペンション。サイトもあり予約も簡単にできます。
もっとも1月のこの時期はお客さんはいないようでしたが…。

 

 

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このログハウスもまだ新しいですね。ということは、磯村建設が倒産してから
だいぶ後の建築ということでしょう。当時を偲ぶものではなさそうです。

 

 

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ペンションがもう1軒。シーズン中は喫茶店も営業しているようです。
今は雪の景色で北軽井沢も閑散期。シーズンオフで一時休業中なんでしょうか。

 

 

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…いやいや、これは無期限休業中でしょう。正確には「廃業」に等しい。
すでに建物は劣化が進んで、屋根の一部が風化して破損が始まっています。
こうなると内部はかなり朽ちてきているはずで、補修は容易ではないでしょう。
軽井沢というと何となく今なお華やかな高級別荘地という印象なのですが、
群馬県側の北軽井沢に限ってはあまり景気のいい雰囲気ではないような感じです。

 

 

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今度は「白樺の里管理事務所」というアーチ。
矢印の差す道路左側は空き地があるだけで、それらしい建物は見当たりません。
もう磯村建設が廃業して30数年が経過します。状況は大きく変化しているのです。

 

 

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錆付いた看板。ここが開発された当時はいろいろ記されていたんでしょうけれど、
もう赤錆だらけで何が書かれていたのか読み取ることは困難です。
そもそもこれを眺めるような来訪者もなく、役割は終えているので問題もないのでしょう。
一応写真だけ撮りましたが、あまりの荒れ具合に寂しくなっただけでした。
…しかし、この1枚の画像はのちに大きな価値を生み出すことになります。

 

 

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三叉路にカーブミラーが設置されていて、何やら小さな看板も見えます。
じつはこの地点が、磯村建設が開発した「サンハイツ白樺の里」の中心地付近。
近くには管理事務所があり、そのほかの施設もこの付近に集中していたようです。
テニスコートもあったらしいのですが、荒れ果ててしまって今ではただの空き地。
人の姿も全くなく、現在は寂しさだけですが…昭和50年代は賑わったのでしょう。

 

 

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その三差路の角に、この建物があります。
やはり屋根裏の一部の板が抜けて荒れていますが、よく見ると
「ショッピングストアー」「レストラン」という文字が残っていました。
この別荘地がオープンした当初、買い物や食事ができる店舗だったようです。
現在はこの建物が「白樺の里管理事務所」となっています。
磯村建設が廃業後、この別荘地は別な業者が引き取って続いていたようなのですが、
その業者も経営者が他界して会社清算。現在は自治組織的な形で維持されているようです。
この建物も所有者が何度も変わったりして権利が複雑化しており、
現段階で法的にどうなるかもわからないらしいのですが、暫定的に維持されていて
管理事務所への活用がされている…という事情のようです。

 

 

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そしてここからが「サンハイツ白樺の里」。昭和50年代に磯村建設が開発した別荘地です。
もう何も残っていないかと思ったんですが、どうやらたくさんの別荘が並んでいるようですよ。
会社はなくなっても購入者が守っているのなら残って当然。ここはまだ廃村ではなかった。

 

 

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…と、ホッとしたのもつかの間。別荘はたくさん建っているけど、なんだかおかしな気配です。
ちゃんと姿は留めているけど、生気がない。主のいる様子がない家々が多数。
この建物もそう。悲惨な荒れ方ではないのですが、でも誰かがやってくる感じもしない。
分譲地の家とはまた違う荒廃を辿るのが別荘地なのかもしれません。
避暑などで必要な時には主が来ますが、必要がなければ誰も来ないのです。
ここの主はもうこの別荘に飽きてしまったのか、あるいは来られない事情ができたのか。

 

 

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明らかに打ち捨てられた家が、いくつも並んでいます。
建物を見ると、男衾辺りで見た磯村建設の分譲物件と同じような匂いを感じます。
昭和50年代の陳腐なデザインと、貧相で簡素な建築手法。
ああ、ここはやっぱり昭和50年代に作られた磯村建設の別荘地なんですよ。
あの頃ちょっと背伸びして北軽井沢の別荘を手にした人々は、今どのくらいのお歳でしょう。
バブルが崩壊した後、ここに戻って来られなかったオーナーはどれくらいいるんでしょう。
この別荘地にはいろんな事情が絡んでいるのかもしれませんね。
何しろ開発した磯村建設ですら、バブルまで持たなかったのですから。

 

 

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箱型で見るからに面白みのないデザインの家。
休暇で北軽井沢の自然の中まで来て、こんなスクエアな空間ですか。
なんだか都内の葛飾区とか墨田区辺りの住宅密集地にあるみたいな造り。
これでは21世紀の若いオーナーは誰も欲しがりませんよ。
昔は別荘を持つだけで夢は叶ったかもしれないけど、今の人は違う。
夢を叶えるために無駄なものには、安くても投資なんかしませんから。
この別荘はもう役目を終えました。あとは崩れるのを待つだけですね。

 

 

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車で一帯をぐるっと回りますが、どこも同じような状況。ほぼゴーストタウン。
人が少ないだけではなくて、別荘地全体が放棄されているような雰囲気です。
もちろんしっかり手入れされて使われている別荘もあるし、
ペンションとか貸別荘として活用されている現役の建物もあります。
それらは綺麗なカーテンが吊るされていたり、窓越しに家具や家財が見えたり、
ちょっと眺めただけですぐわかります。そういうものが一切ない「廃屋」が多いのです。
現役はわずか2割くらい、3割は放置、残り5割はもう二度と人が来ることのない建物です。

 

 

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この別荘地の電話回線の維持管理は、21世紀の今もなお電電公社が行っているようですよ(笑)。
こんなところにまで残っている、昭和のあの頃。

 

 

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群馬の山奥だから、クマも出ます。自然とはそういうものです。
駆除とかではなく、共存を考えるべきところです。
開発したのは人間だけど、この山は人だけのものではないのですから。

 

 

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さらに無人の別荘地をぐるぐる。傍から見たら怪しさ満点ですが、
ちゃんと調査研究という目的で来てますから、屁理屈としては正当です。
…と、ずっと眺めていて気付いたのですが、この別荘地の物件はどれも、
自分が考えていた別荘というものとちょっと乖離したコンセプトなのかなと思うんです。
ふつう別荘というのは、日ごろを忘れてゆったり気ままに過ごすためのものですよね。
家は小さくても開放感があるだとか、近隣との面倒から解放されるだとか。
しかし、どうも磯村建設の別荘地は「お手頃価格」を優先するあまり、
そういう別荘に求められる諸条件を犠牲にして作られたものなんじゃないかなと感じます。
これらの建物、たぶん戸建ての別荘ではないんですよ。「共同住宅タイプ」ではないのかなと。
1階と2階で間取りも窓位置も同じだとか、一つの建物に同じ構造が連なっているだとか。
恐らく1棟を複数のオーナーで共有して、それで販売価格を下げていたのでは?
私は別荘の事情に詳しくないから、断言はできませんけどね。

 

 

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こんな感じのアパート風の建物もありました。推定で8~10部屋くらいでしたかね。
いやいや建物の真ん中に廊下があるようだから、左右10部屋ずつで20部屋くらいあるのかも。
合宿などで使われる建物ならいいのかもしれませんが、別荘としてはどうなのかな。
ここまで来てアパート暮らしでは全然非日常感を感じないし、
そもそも最初からリゾートマンションを買ってしまったほうがいいのです。
当時は「別荘を所有する」というのがステータスだったのかもしれませんが、
今は無駄なものを所有することはステータスにならず、結果的に負の資産と
化したのかもしれません。造りとしてもチープで、心安らぐ感じではないですよね。

 

 

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これも大きな戸建てかと思っていたら、よくよく見れば「連棟タイプ」。
外壁にギャップを付けて4分割していますが、それぞれ同じ構造とされています。
煙突も各々についていますから、これはオーナー4人で共用する建物ということです。

 

 

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やはりあちこちの板が抜けて、もう内部から朽ち始めています。
よく言われる「空き家は時々窓を開けて換気する必要がある」は、本当なんですね。
この手の「複数オーナー共有タイプ」の物件、確かに手頃な価格で買えたと思いますが、
購入前によくよく考えておくべき重要な問題点がありました。
「4名のオーナーのうち一人が欠けた段階で一気に朽ちていく」のです。
3世帯が丁寧に手入れを続けても、1軒が湿気をそのままに放置したら、
建物全体に悪影響が生じて程度が一気に悪化していきます。
そのなれの果てが、今のこの状況。

 

 

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このタイプの建物の一部は今でも現役で維持されていて、売りにも出ています。
建物だけしっかりしていれば、住み続けることは可能です。
ただし連棟タイプですからアパート暮らしみたいなもので、隣家が気になるはずですが。
不動産情報にも載っていますが、よく見るとこの辺のことも記されています。
やっぱり連棟の造りなんですね。所有権4分の1は魅力に見えますが、裏を返すと…

 

 

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ちょっと作りは違うけれど、やっぱりこれも4軒の連棟タイプですね。
現代で言う「メゾネット」というタイプのアパートと同類です。
そう、この別荘地は主にアパートで構成されていたんですね。
それも大家がいない、オーナー共有というタイプのアパート。
年数回しか訪れない別荘にこのタイプは、だいぶリスキーだったはず。
管理会社はメンテをしてくれたかもしれませんが、なにせ肝心の磯村建設は…。

 

 

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自然のままの地面に建てられたせいか、床下換気のためなのか、
あるいは冬季の積雪と関係があるのか、多くの建物が「高床式住居」のように
地面から浮いた状態で建築されています。どうもこれもマイナス要素のようで。
地表から水蒸気が上がるんじゃないでしょうか。建物が下からも破壊されています。
玄関の木製のドアは、下から腐って破れて、大穴になっています。
もう人の住まいでもなんでもありません。取壊しを待つだけです。

 

 

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放置された住宅は、オーナーがいないと取り壊し費用も出ないようです。
この別荘地は空き家が過半数となったことで、全域が荒れ果ててしまっています。
磯村建設が勢いに乗って北軽井沢まで進出、華やかに売り出した「サンハイツ白樺の里」。
しかし数年で磯村建設は倒壊、購入者にはローンが残りました。
その後訪れたバブル崩壊、不景気の時代、そして経年による建物の荒廃。
今なお大切に維持されている一部を除き、残るものはほとんどないのでしょう。

 

 

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それでも荒れ果てた一部の別荘は解体されて、新たに別荘地として売られています。
土地だけなので値段はお手頃のようですが、周りのこの状況を見て
わざわざこの場所に新しい家を建てようという人は、どれくらいいるんでしょうか。
今日本の景気は上昇の一途だそうです。しかし庶民には実感もなく無縁な話。
限られた一部のお金持ちがここを買うんでしょうかね…なんだか見えてこないんですよね。
いろいろ考えさせられた、今回の別荘地探訪でした。

 

 

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●磯村建設の物証となりそうなものは、はたしてあるのか●

 

 

 

埼玉県寄居町の旧磯村建設分譲地についても、特に名前が残っているわけではありません。
当時を確認する唯一の情報は動画サイトなどに残る当時のCMだけ。
あの映像に写っている家を確認することで磯村建設が関与した物証にしているだけのことです。

 

 

ところがこの別荘地はCMが残っていません(そもそもCM放映になった可能性すら低い)。
よって物証の類は期待せず、単に現地訪問の意味合いだけで実施することにしたのです。
それでも人間欲が出ます。何とか証拠を残してきたいという願いが出てきます。

 

 

いろいろ調べた結果、一応下記の設備などに名残がある可能性があります。
ただしこれらがどういう形で残っているのか、その辺りの確認が取れないままです。
恐らく残存はしているのですが、確認できても名称までは表示されていないでしょう。
一応並べておきますので、私の後を継いで調べてくださる方、参考にしてください。

 

 

・「サンハイツ白樺の里」関連施設(磯村建設の名が残るもの) いずれも嬬恋村役場管轄
 ①磯村配水池  所在地:鎌原1053-9128
 ②防災行政無線施設屋外拡声子局47号(旧磯村建設) 所在地:鎌原1053-9031

 

 

市販の地図やネット上のマップなどでは、これら地番は表示されないので特定は不可能です。
別な資料を当たれば絞り込めると思いますが、くれぐれも役場などに迷惑にならないよう、
慎重に行っていただければと思います。
私も調べてみようと思いましたし、現地でも回りながら気にして見ていたのですが、
残念ながら探し当てることはできませんでした。

 

 

 

●限りなく確実性の高い「磯村建設絡み」の証拠を発見か?●

 

 

 

しかし、何も残せないままでは調査結果としてはあまりにも中身がないじゃないですか。
なにか磯村建設の手掛けた気配だけでも残せれば、この調査は意味を持つものになるんです。
とはいえここから何を記録してこいというのでしょう。虚しさだけが残ります。
…と、その残影は意外な記録の中に隠れていました。

 

 

さっきの錆付いた看板の画像です。
これには「サンハイツ白樺の里」の地図が描かれていたようなのですが、
ご覧の通りすっかり劣化が進んで、もう内容を確認することはできません。

 

 

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それでも各部を詳細に調べてみると…
この解読不能の看板の中に、かろうじて読み取れそうなものが三つほどありました。
現地では全然気づかなかったので、帰宅後に記録画像を分析しての成果です。
順に見てみます。

 

 

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まずは左上の①部分。
これは管理事務所があった付近の配置地図です。
「管理事ム所」という文字のほか「テニスコート」という表示もあります。
恐らくこの看板の付近にはいろいろな施設がまとまって存在したのでしょう。

 

 

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そして右側の②。
「サンハイツ白樺の里」という、この別荘地の名前がうっすらと残ります。
ここまでは磯村建設の証拠になるものではありません。問題は次の箇所です。

 

 

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そして看板の一番下の③の部分。
一番下の部分は鉄板の風化も激しく、かなり劣化が進んでいます。
しかし、どうやら数字が書かれていたようなのです。
恐らくは電話番号です。ここを管理していた会社の電話か何かですかね。
この数字が判読できれば、そこに問い合わせしてみたら何かがわかるかもしれない。
その会社が今も存続しているなら…という条件付きですが。
とはいえ、この状況では数字は読み取れそうになく、その手段は断たれました。
…と、ここで気づいた。なんか見覚えのある数字がいくつか確認できる気がするんです。
途中に完全に脱落している数字がありますから断定はできませんよ。しかし…
これ、もしかしたら決定的な証拠の一部なんじゃないかなと考えるんですよ。

 

 

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数字の残っている部分だけ確定して、欠けている部分を推測すると…
「☎東京03-343-4911(代)」
になりませんか?

 

 

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あくまで推測です。しかしかろうじて残っている記号と文字・数字を並べると、
欠損している何かのほうが少ないわけで、たぶん50%以上の確率でこれは物証です。
この看板がすべて読めた頃には、電話番号と共に「磯村建設」の社名があったはず。
それを確認できないのが心残りですが、今だからこそ辿り着いたことに価値があるのです。

 

 

ほんの僅かの物証と人々の記憶の中に、かろうじて残る磯村建設別荘地。
CMという決定的な記録の陰で忘れ去られたままの残像は、
今なお群馬の自然の中で静かに時を刻んでいます。

 

 

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★お願い★
今回の磯村建設レポについては、当方の記録を参考にしていただくこと、
また記載を転記することに制限は設けませんが、直接のリンクはご遠慮ください
(外部からのアクセスが激増して、当方の活動に支障が出る可能性があるためです)。
当方の記録を参考にしたことを説明していただいたうえで、
独自に記事や文章をお書きいただくことには制限は設けません
(「とあるブログを参考に行ってきました」程度で可、
特にこのブログの名称や所在を明確に記載していただかなくても結構です)。
ご協力をお願いいたします。