続・「磯村建設」分譲地に行ってきた | たまに昭和散歩

たまに昭和散歩

某ブログで公開していた記録を保管している場所です。
昭和の頃を感じられるいろいろな場所を、たまに調べています。

某ブログに掲載していた文章の転記です。閉鎖を予定していたのですが、
考察的資料として需要があるようですので、ここで改めて公開とします。
本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ、
情報のご利用については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れる方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。

 

 

●ついに明かされる? ひばりヶおかの正体●

 

 

 

まず、予習というか、おさらいというか。
磯村建設は昭和50年代に埼玉県内に複数の分譲地を開発。
特に東武東上線末端区間にある男衾・鉢形両駅の周辺を中心に販売しました。
昭和60年に磯村建設が倒産してから、ニュータウンの名称もいつの間にか忘れられ、
今ではその痕跡を辿ることさえ難しくなっています。
幸いにして、当ブログにて「柏田ニュータウン」の発見に成功、
初めて過去のCMに映っていた地点の現在の様子を公開できました。
ネットでほかに情報が見つからないことから、うちが磯村建設分譲地跡の
発見第1号ではないかと思われます。

 

 

 

そして、ついに「ひばりヶおか」の情報を探し当てました。

4か所の磯村建設開発住宅地の中でも、代表格のひばりヶおか。
これを見つけ出すことは一番の栄誉となるはずです。

 

 

 

 

前回の「柏田ニュータウン」同様、ひばりヶおかの最寄り駅も、東武東上線男衾駅。
「ひばりがおか」の名を名乗る土地としては、西武池袋線の「ひばりヶ丘」駅が有名。
宅地化されてから年々発展して、今では有名住宅地の一つに。
磯村建設が宅地開発を始めたころ、ちょうど西武沿線の「ひばりヶ丘」が人気になり始めの頃で、
恐らくはその名前に便乗して「ひばりヶおか」という類似した名称の分譲地を作った模様。
しかし、本家ひばりヶ丘とはあまりに違いすぎる、磯村建設のひばりヶおか。
同じ池袋から私鉄で通勤できるとはいえ、距離も環境も全く違います。

 

 

 

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「ひばりヶ丘」は池袋まで15分弱、しかしこっちの「ひばりヶおか」のある男衾から池袋は80分。
通勤で往復すると、徒歩含めて毎日4時間近く費やすことになります。
ひばりヶ丘駅の1日の乗降客数は約6万人、対してここ男衾はわずか1800人弱。
名前は似ていても発展の度合いは比較にならないということでしょう。

 

 

 

●ついに「ひばりヶおか」に迫る●

 

 

 

それでは、さっそく磯村建設の分譲地「ひばりヶおか」を。

 

 

じつは「ひばりヶおか」という分譲地は、一つの開発地を指すのではなくて、
複数の場所に点々と存在しているようです。地元の地名とは全く無関係、.
さらに一つの場所を定めて呼んでいるのとも違う。ある意味一時期の販売ブランド名として、
磯村建設の複数の開発地を指して、このシリーズ名で呼んでいただけらしいです。
探すのは困難と思われましたが、地道な調査と分析の末、ようやく決定的な情報を得まして、
ついに幻の"ひばりヶおか"をご覧いただけることになりました。

 

 

磯村建設ひばりヶおかの分譲開発地のひとつは、だいたいこの辺にあります。
前回の柏田ニュータウンとは全く違う方向に位置します。
小さな山の傾斜地、その緩やかな北斜面に作られた住宅地です。

 

 

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周囲はご覧の通り、農村のような眺め。
これが池袋から15分の「ひばりヶ丘」にあれば超絶良環境なんですが、
ここからは2時間近くかけないと山手線までたどり着けません。

 

 

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限定的ながらこの場所の情報はぽつりぽつり出ていて、この辺まで到達した人は
数人いるらしいです。ところがそれ以上の情報がないから、進まずに引き返してしまう模様。
この先を追及するのは、恐らくはうちが最初です。

 

 

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これが磯村建設が宅地開発した「ひばりヶおか」。
北向き斜面ですが、緩斜面なので日当たりは悪くないです。
もっと寂しいかと思ったけど、結構多くの住宅が集まっています。
確かに空家や廃墟化した家もありますが、今なお住んでる人は多い。
建て替えて新築になったお宅もあります。
都内まで通勤するのは困難でも、例えば埼玉県内の熊谷に通勤するなら
車で30分程度だし、仕事をリタイアした人なら通勤そのものを考える必要もない。
ここに住める人生を選択できた人なら、十分暮らせるところなのかもしれません。
買い物は大変そうですが。

 

 

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で、さっそく現れたこのお宅。

 

 

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CMで散々見た、この家と同一ではないですか。ついにひばりヶおか、確認。

 

 

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続いて、この建物も発見。

 

 

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40年近くを経て、2016年の姿が、これ。

 

 

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一気に発見なるも、残念ながらここで確認できた証拠はこの2軒だけ。
10年前の映像記録から辿るのなら、火災や災害に遭わない限りたどり着けると思うんですが、
磯村建設の分譲住宅はもう40年近くを経過していますから、 すでに建て替えられたり
取り壊されていても不思議ではありません。存在しないものはいくら探しても見つかりませんから、
どこかで諦めなくてはいけないタイミングがくるということです。
あのCMのお家の何割かは、既にこの世のどこにもないのかもしれません。

 

 

 

●ほかにも「ひばりヶおか」があるらしい●

 

 

 

さっき書きましたけど、磯村建設の代名詞でもある「ひばりヶおか」は、
一つの分譲地を示した名称ではなく、並行して一定期間販売されていた
複数の分譲地をまとめて呼称した「販売ブランド」的なもの。
調べてみたところ、時期をずらしながら4か所ほどの場所で開発されたらしいです。

 

 

このエリアにホンダの工場ができたんですが、この土地が磯村建設の
「ひばりヶおか」跡地という噂があります。しかしこれは誤りらしい。
そもそも該当の土地に宅地開発が入ったのはバブル前後、
磯村建設が倒産した後のことらしいので、時系列として成り立ちません。
「ひばり台」という交差点名が誤解の元になっているようですが、
これも偶然の一致ということのようで、「ひばりヶおか」との関係はないようです。

 

 

前回公開した柏田ニュータウンの近くに「ひばりヶ丘団地」というのがあるのですが、
これは現在のところグレーです。磯村建設が関わった形跡がないのですが、
それを否定するだけの理由もありません。造りとしては1980年代の住宅、
磯村末期の分譲地と考えればありうる話だと思うんですが…
現地を歩き回ってもそれを証明するのは難しいでしょう。

 

 

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●じつは判明している、もう一つの「ひばりヶおか」●

 

 

 

散々探しても全然ヒントがなく諦めていたのですが…
偶然情報の断片に引っかかりまして、2か所目の「ひばりヶおか」が判明しました。
本当に偶然です。それがなければ見つけることはできなかったでしょう。
あまりにも違いすぎる場所にあります。何でここが同じ名前の場所なのかすら不思議な、
他の分譲地とは全く無関係の場所です。

 

 

磯村建設の分譲地は結果的に失敗と言えるセールスになってしまいましたが、
その後この地区に移り住んだ人は結構多く、立派な真新しい住宅が多数建っています。
道路整備と共にロードサイドの大型店や飲食施設などが増え、
その後に家を購入した方々は利便性のいい快適土地に住み、家も大きく豪華です。
車で移動するのであればここは決して僻地ではなく、案外住みやすいのでしょう。
地価が安く、無理なく豪邸が建てられるという事情も想像できます。
ただ磯村建設の分譲地の場合は、時期と場所があまりにも悪すぎました。
都心と比べれば割安とはいえ、それでも高額な支払いで、悪条件の狭い戸建てです。
周囲の開発が進んだ現代で、、近隣に職場がある世帯が住むのなら需要はあるのでは。
近年越してきた人は、ある意味勝ち組なんだと思います。
反対に、昭和50年代の磯村建設分譲地で夢のマイホームに手を出してしまった方々は、
高い住宅ローンと劣悪な都内までの通勤環境に悩まされた挙句、40年近く経過した今も
商業施設の開発とは無縁な畑の中に、狭く古びた家を持ち続ける結果になってます。

 

 

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この「もうひとつのひばりヶおか」、とても予想できない場所にあります。
磯村建設の分譲地の多くがあるのは寄居町富田、東武東上線男衾駅と鉢形駅が最寄り。
ところがこの「ひばりヶおか」は、荒川を隔てて数キロ北、深谷市内に作られました。
なぜか秩父鉄道沿線、これは都内までつながってはいないローカル鉄道です。
どうしてこれが同一名称で販売された分譲地なのか、さっぱりわかりませんが、
当時の磯村建設はこういう巧みな手法で集客をしていたものと思われます。

 

 

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では、深谷市にある磯村建設分譲地の証拠を。まずはCMの映像のこの2軒の家ですが。

 

 

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間違いなく、これでしょう。ここも磯村建設分譲地であったことが立証されました。

 

 

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残念ながらCMに映っているもので残っているのはこの2軒くらいなんですが、
裏側から見るともうちょっと別角度から楽しめます。

 

 

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ほら、このCM映像と一致するでしょう。40年近く経っても、バッチリです。

 

 

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周囲の家まで入れた遠景で見れば、CMのまま。
間に新しい家もありますけど、ほかの家は当時と変わっていません。
CMにはまだ建設途中の家も映ってますが、それも健在。
完成後の姿を40年後に目にすることになるとは。

 

 

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とにかく…
磯村建設「ひばりヶおか」の物証を押えることに成功しました。
昭和50年代半ばに流れていたあの懐かしいCMの中の風景、
40年近く経過した平成28年のこの世でも、かろうじてさかのぼることができます。
なんだかずっと忘れていた何かを、久しぶりに見つけ出した気持ちになります。
自分はもう10代に戻ることはできませんけどね、こういう心の時間旅行をすると、
なんとなくほんの一かけらだけでもあの頃を取り戻せるような気がしてしまうのです。

 

 

 

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