懐かしの「磯村建設」分譲地に行ってきた | たまに昭和散歩

たまに昭和散歩

某ブログで公開していた記録を保管している場所です。
昭和の頃を感じられるいろいろな場所を、たまに調べています。

某ブログに掲載していた文章の転記です。閉鎖を予定していたのですが、
考察的資料として需要があるようですので、ここで改めて公開とします。
本文の最後に記載しましたお願いをお守りいただければ、
情報のご利用については制約を設けません
(ここへのリンクやこのブログへの誘導になる記述、また転載はお断りします)。
現地を訪れる方はマナーを守って住民の方々に迷惑にならないようお願いします。


磯村建設の分譲地が今なお残存しているらしい…と聞き、調べに行ってきました。
40年近く前のCMに映っていた世界ということで、現代ではその詳細は不明だし、
すでにその気配すら残っているとは思えないのだが、
なにしろ昭和を代表する有名CMで中年世代以上には今でも記憶に強く残っている。
実際に現地を訪ねてみた人もいるようだ。しかし残念なことに映像に映っている場所を
特定した人は未だにいないらしい。さすがにもう残っていないということでしょうか。
何にしても、出向くことに意味があるかもしれない。
ということで、行くだけ行ってみることにしました。


●磯村建設を求めて埼玉県北部へ●

CMを見るとわかると思うんですが、磯村建設というのは昭和50年代前半から
埼玉県で住宅地を開発してきた会社。主に東武東上線沿線を中心に販売したが、
池袋から1時間半もかかる郊外の分譲地なので、正直なところ大変不便な環境。
当初の計画通りに行かず販売が伸び悩み、昭和60年に破産し会社解散しています。
今では当時のCMにその記録をとどめているだけです。



磯村建設の分譲地は、4つが知られています。
「柏田ニュータウン」「桜沢ニュータウン」「ひばりヶおか」「めじろ台」。
このうち「ひばりヶおか」と「めじろ台」はこの地区に地名として存在せず、
磯村建設が開発した時に適当な名称を付けて販売しただけのものらしいです。
よって磯村建設が倒産して30年以上経過した現在ではその名も消えて、追跡困難。
「桜沢」は付近の地名として残るのだが、磯村建設が販売した男衾・鉢形地区でなく、
川向こうの離れた場所のことだから、これもどうやら微妙な名付で探すのは難しそう。

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唯一絞り込めそうなのが「柏田ニュータウン」。これは該当地内に
地区名として存在します。今回はここに絞って捜索することとします。

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東武東上線男衾駅。
磯村建設が積極的に開発していた住宅地はこの駅の周辺に存在したそうです。
ここから池袋まで、途中で電車を乗り継いで、約90分。都内までの通勤は厳しい。
川越辺りなら都内まで30分程度、今なら手頃なマンションも多数売られているから、
どちらを選んだほうが正解かなど言うまでもないこと。
長年暮らすほどその差は開くばかりです。当時1000万円台前半のマイホームは
魅力的だったのかもしれませんが、現代なら1000万円台で買えるファミリータイプの
新築マンションだって都心近郊にあります。

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男衾駅は難読駅名として知られる駅です。
ただし駅名そのものの読み方の難易度が高いのではなくて、
衾の漢字の読みが「ふすま」であることを知らないから…というのが理由のようです。
漢和辞典には載っているし、文字入力でも一発変換されます。
イレギュラー的な読み方の、本来の「難読駅名」とはちょっと違う気がします。
最近まで古い駅舎でしたが、ちょうど新駅舎が建設中で、その後オープンしています。
駅は変わっても周辺が発展することはなさそうなんですが。

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●駅前に残る決定的な「磯村建設」の残影●

磯村建設が倒産してから30年以上。すでに会社の痕跡などない…はずなんですが、
男衾駅近くに奇跡的に残っているものがあります。

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かつて磯村建設の現地事務所として使われていたと思われる建物。
看板が取り払われて形跡は消えかかってますが、それでもうっすらと残っています。
今は別な会社が利用しているようですが、外装を手直ししたら消えてしまうはず。

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30年以上も昔に消滅している社名がこうして残っていること自体、奇跡的です。

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この現地事務所については、ほかの方の多くもご覧になっていて、
ネット上にもいくつか情報や画像が掲載されています。
しかし、分譲地を明らかにしたものは見つからず。
ここからがうちだけのスクープ的内容となります。


●いよいよ柏田ニュータウンを求めて移動●

磯村建設が開発した各分譲地の中で比較的明確な名前を持つのが、今回対象とした
「柏田ニュータウン」。柏田という地名が今もはっきり残っているためです。
「ひばりヶおか」とか「めじろ台」は、響きのいい名前を適当につけただけで、
早い話地元の知名にはない無縁な名詞。現在辿れるのはここが唯一かと思われます。

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有名なこの空撮ですが、どうやら柏田ニュータウンの現地ではない模様。
明らかに地形が違うし、そもそもほかの分譲地のCMにも使われていましたから。
現代なら偽装とか詐欺とか言われそうなんですが、良くも悪くも当時は大らかでした。

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至近までやってきました。北柏田交差点、柏田ニュータウンはもうすぐです。

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ここが柏田ニュータウン。
私鉄沿線に作られた大手開発のニュータウンと比較してはいけません。
「港北ニュータウン」などは数十万人の人口規模、複数の地下鉄路線と駅を作り、
駅前に大型商業施設や行政施設などを設けて人の流れを集約、
その駅前から数多くのバス路線を放射状に伸ばすことで開発地内の利便性を作る、
そういう非常に大規模で将来性を見越したプロジェクト。
デパートや大型ショッピングモール、都市中心までの鉄道を整備したから、
暮らしに便利な街として定着してマンションが林立、今では多くの人々が住まう。
ところが「柏田ニュータウン」は単なる分譲地の販売名。民家10数軒の開発規模。
従来からの農地区画を購入して、それを仕切っただけ。だから道も狭く土地もいびつ。
お店すら何もないに等しく、昔の集落を押し込めただけ…という宅地開発形態。
ニュータウンの定義はいろいろあると思うが、ここをニュータウン地区だと思って
訪れるとその落差に驚愕することとなる。

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CMの完成予想図の風景は、どこにもない。
整然と区切られた宅地、広く直線的で見通しの良い道路、
日照まで考慮された整った外観の建物、そのすべてが見当たらない。
農地の時代そのままと思われる曲がりくねった狭い道は、対向車が来たらすれ違い不可。
元の形がいびつなのだから、その土地を切り分けてもきれいな形にはならない。
だから雑然とした土地に、相応の不揃いな外観の家々が並ぶ、垢抜けない集落になる。
これが昭和50年代に夢のマイホームと謡われた、磯村建設分譲地の現実です。

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●そして決定的な確証●

いよいよ磯村建設の残影に迫ります。
まだネット上でもはっきり証明されていませんから、
うちでそれを一番に公開してやろうというのが、今回の企画意図です。

じつはこの分譲地、CM映像では「めじろ台」として使われました。
先に完成していた柏田の映像をあとで販売しためじろ台の映像に転用した、
そういう経緯かと思うんですが。
めじろ台は隣駅鉢形が最寄り、でも現実にこの家々は男衾の駅が最寄りの場所にある。
販売する土地と無関係な場所の映像を説明もなく堂々と流していた…
ということになります。もっとも当時の家はどれも個性的とはいえず、
バレることもなかったんだと思いますが。

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開発から40年近く経過、磯村建設の倒産から30数年…
すでに衰退しつつある住宅街、取り壊された家も多く、様子は変わったはずですが、
わずか数ヶ所だけですが当時の気配を残す場所が存在します。
では、CMに出ていたあの風景の、40年後です。
ネット上でまだ明らかにされたことのない、その様子を公開です。


まずは、めじろ台のCMで流れていたこの風景。角地にあるお宅です。

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そして40年後の2016年、同じ家の姿がこれ。

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長い時間を経過しいろいろと変化しているところはありますが、間違いないようです。
門扉も変わり、ブロック塀も一部手を加えられているんですが、土地の形は同じ。
家屋も改修され姿そのものが変化していますが、どうやら奥の一部は増築された模様。
屋根を見ると手前と奥で経年差があります。CMに映っているのは手前部分なので一致。
隣のお宅は外装塗装だけでほぼそのまま、これが証拠となりました。


そして、決定打がこの地点。

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家を出るご主人の車を奥さんと娘さんがお見送りしている、誰もが目にしたあの場面。

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その40年後が、まさにこの場所です。

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昔の映像と比べると塀も門もなくなり、家屋も老朽化したり増築や改築を受けたりと
変わり果ててはいるんですが、それでも景色の骨格は変わらず気配は残っています。
変化したところを削除して観察すれば、だんだん当時の姿に復元されていく。
そういう工程を経て想像を膨らませていくと、最終的にCMの光景に戻っていきます。
磯村建設を辿ってこの町を巡った人は過去に結構いるらしいんですが、
この原点を忘れて眺めてしまうと気づかなかったりするのかもしれません。
もう当時の光景は失われたと諦めてしまったり、
あるいは違う場所を示して"ここが母と娘が見送っていた場所"と言ったりと、
情報が作られたり錯綜したりして正確な情報が皆無だったのです。
これでやっと本物をご覧いただけました。
2016年7月、磯村建設が開発した40年前の分譲地は、今なおこうやってはっきりと、
しかし人知れずにひっそりと、確かに残っているんです。
あと何年見られますかね。10年後にはこの中の何かがなくなっている気がします
本当に見たい方は、早めにどうぞ。
一番目の発見者ではなくて、二番目以降の訪問者でもよい…という方だったらですが。


とにかく、一つ大きな成果を公開しましたよ。
ネット初公開、磯村建設分譲地の今をここに発表できました。
これで一つ肩の荷が下りました。


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