サイクルショップショーワのブログ
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磯部南海雄先生の至誠一貫⑧

<精神浄化、書道復活>

 

前回のブログに記したように

恩師や同窓生との再会によって、今私は青春時代への感謝と思いに心底から酔いしれております。

 

何か漲る思い!

 

高校卒業以来……

全く忘れていた事を思い出しました。

 

なんで、忘れていたのだろう?

心の奥底から…その思いがグツグツと湧き上がって来ました。

 

「下敷きの感触、半紙と墨の香り

硯に溜めた墨をたっぷりと筆に染み込ませるワクワクした気持ち

半紙の上を走るサラサラとした筆の音」

 

「クソッ!俺は50年以上の間、何で忘れておったのだ」

 

高校卒業後の学生時代は映画制作

自転車屋になってからの独身時代はBMX

結婚して親となってからは子育てと経営

 

一生懸命にやって来たとは自分では思っていますが……

その間、筆を手にする事は全くありませんでした。

 

磯部先生から書道展のお知らせは毎回頂いていましたが、結婚してからは行くことは全く無くなりました。

 

昨年春の滋賀県での個展は久しぶりに家内と行きましたが、その時も自分自身の気持ちは休火山のままでありました。

 

数年前、先生から落款(らっかん)を頂いた事があります。

私の名の一番下の文字「哉」が彫られていました。

 

可愛い手作りのハンコです。

全く使われることなく仕舞われていました。

 

。。。。。。

 

「なぜ?気が付かなかったのだろう……バカヤロ~めが」

 

「たまには書いてみないか?」

と言う先生からのお気持ちだった事にも気が付かず😭

 

 

早速・・・・・・・筆や硯、下敷き、文鎮、墨を買いに行きましたよ

でも、驚いたのは町の文具店が無くなっておる。

 

小中学校の近くには必ずあった文房具屋さんですよ

 

お店のおばちゃんも書道に詳しくて楷書、行書、草書に適した筆や墨の濃さなどを教えてくれていたのになぁ…

 

 

小学生用のお習字のセットが欲しい訳ではなく、暴れる書にも対応できる…下手な人向け筆が欲しいのに、私のゴツイ手に合う筆が少なくて困りました。

 

気に入った筆や硯があっても超予算オーバーで超庶民の私には高嶺の花。

 

やっとの思いで納得できる筆をみつけ書斎の机の上を整理して、机いっぱいの大きな下敷きの上に硯、筆立て、文鎮を並べました。

 

机の上を写真に撮り、開設したばかりの書道部ラインの青春友に送り「復活宣言」

 

 

宣誓!

「頭に浮かび、その時に思いついた『書きたい字』を自由に楽しく書き続ける事を誓います」

 

自分で自分を強制するものではなく「自然と湧き上がる泉」のような気持ちを持って臨みたいという思いですよ。

 

 

すぐに先生からラインが入りました

 

「いい言葉を思った時が筆を執る時、

その臨場感がヤッチの言葉の形となって現れる、ヤッチの自然体が現れる

既成の形から自由になるには簡単な事ではない

 

「百錬」は筆の機能を知る

筆の線を知るためにできるだけ筆と日常的に親しくしていくことが大切

そして、いい言葉を書く時は練習なしで【気】一筆入魂だ!」

 

恩師のお言葉……嬉しかったな😊

 

 

それから具体的な筆と墨の使い方をお話下さいました。

 

でもね…先生

それは全て覚えていますよ

 

高校の授業…

書道の授業は今でもはっきりと覚えています。

 

 

あ、体育も覚えています…

 

苦手な化学(バケガク)など、ちんぷんかんでまるで分からなかった…

政経だけは得意科目でありましたが……

 

と、いう訳で「一筆入魂」の筆おろし

墨をたっぷりと筆に馴染ませて……

 

「考えて浮かんだ字よりも心の中から湧き上がった字(書)」

 

寝る前の密かな楽しみとなりました

 

一日に二三枚、少しづつ、「今日の字」を書き続ける快感~~~

 

書、描、至誠一貫、鯨、二九来ふくきたる、福来くるぞ、来福、新夏、元気だすぞ・・・・

 

まるで「書日記」

晩酌の感覚かな😊

 

 

先生は高校時代の授業でよく「色気を持って書いた書に感動はない」と仰っていました

 

「上手に書こう、褒めてもらおう」と言う色気です。

 

もっと、ありのままの自分を描き、日々の生活を大切にして一生懸命生きろ!

 

 

また、日展入賞作品についても「それがどうした!もっと大切なものが君達自身の中にある!」

 

権威とかに踊らされず「自分で見る」と言う姿勢をいつも手本に見せて下さいました。

 

 

私の「それがどうした!ぼくドラえもん」の精神の根源は高校時代の書道の授業だったのですね。

 

 

権力にあぐらをかこうとする「偉そうで知ったかぶりの野心家野郎」に牙をむく私の性格もここから来ているのかな😱

 

うん・・・・それはないか

 

 

 

P、S、

 

風呂に入っている時にふと思いました

 

湯船に墨汁をたらして墨風呂にしたらいい香りに包まれるのではないのかと……

 

家内の反応が怖くてまだ実験しておりませんが・・・

 

。。。。

 

祖父は僧侶でした

祖父の部屋からはお塔婆を書く墨の香りとお線香の香りがしました

 

本堂からは畳の香りも……

 

雨の日に靄のかかる大楠山を見ながら「和」の香りに包まれる

 

。。。。。

 

高校の書道室の香りも好きでした

 

石を投げれば女子高生に当たると言われた女子高から開校した我が母校は男子よりも女子が多かったのです

 

だから、書道室は女生徒の甘い髪の香りもいっぱいでした。

 

 

そう言えば……

 

人生初告白も書道室であったのでした。

 

声は裏返る、彼女は小刻みに震えておる

 

一発撃沈でありましたが、当時としては最大の勇気を振り絞った行動であったのですよ

 

 

 

磯部南海雄先生の至誠一貫⑦

<十把一絡げではなく、生徒一人一人と・・・・・・・>

 

芸術とは何か?

書とは?

教育とは?

誠意を持って生きる事とは……?

 

青春時代の幕開けだった高校時代に多くの種をまき、私達を導いて下さった担任であり書道部顧問だった磯部南海雄先生が滋賀県から私達に会いに来てくださいました。

 

81歳、大阪府立茨木高等学校の現役の先生です。

 

 

5月21日(火)

逗子で書道部同窓会ランチ

高校3年時のメンバー先生を含めて10人(4人が下級生女子)が集まりました。

 

中には50年ぶりに会う人もいて懐かしさに嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

 

学校に無許可だったという長野県菅平高原への夏合宿の話。

男女ペアで行われた肝試しの話etc.

 

また、その後の人生をひとりづつスピーチしましたが皆の素晴らしき人生に感動。

 

それぞれの道を皆一生懸命に生きて来たんだなぁ……

 

話し出せば喋り方も当時のまま、グループラインも作り今後の皆の近況も分かるという事。

 

 

あっという間の時間を終え、先生、部長のO川、H田、Y田と私の車で横須賀中央経由、衣笠の某店に着。

 

野球部のバンカラ野郎A貝と野球部マネージャーであった奥様の経営する店です。

 

お二人とも先生の来店に大喜びでした。

 

爺さんになってもA貝のバンカラ精神は健在、さらに迫力倍増。

 

 

長坂に住むY田を送る。

彼は誰もが知る某大手企業定年後、自宅で畑仕事をし野菜作りに励んでいて、昨年は世界一周クルーズ船旅行に行った愛妻家。

 

また、毎年のように大阪、京都、滋賀へと先生の書道展に行く温情味溢れるメチャクチャいい奴です。

 

Y田を降ろした後、先生が独身時代暮らした赤羽にあった教員アパート跡地へ。更地になっていました。

 

それから、先生が新婚生活をした和田の朝倉商店さん隣にあったアパート跡地へ。ここも更地になっていました。

 

 

先生が幼児の頃のお嬢さんの手を引いて散歩をしたという近所の白旗神社へ。

 

昭和のスポコン青春ドラマに登場するような急な激階段に驚く😱

 

この様な神社の階段を運動部はうさぎ跳びで登ったのだ。今は手すりにつかまりながら登らないと無理。

 

 

廃校となってしまった我が母校「神奈川県立三崎高等学校」跡地に建てられたスーパーマーケット「ベイシア」へ。

 

先生が大阪へ移られた後、県立高校100校増設計画により中学生時の学力上位者だけが受験できる「狭き門であった県立高校」がとても広き門となって校風が変わってしまった事、そして廃校になってしまった事を嘆く。

 

私達が現役の頃は交通の便は悪かったし、三浦市の学力優秀な生徒はわざわざ遠くの追浜高や逗子高(廃校)まで行かなくても「我が三浦市に三崎高あり」と通学時間や交通費を惜しみ志願して来ていたのですよ。

 

先輩方には三浦市最高学府とも呼ばれていたらしい。

 

2年生になると「三崎高の中に追浜高あり」と呼ばれる優等生の進学クラスもあったのだしね。

 

ちなみに先生は進学クラスの担任でもありました。……劣等生の私には受験資格さえでありませんでした。

 

 

また、東に東京湾・房総半島、西に相模湾・富士山・伊豆半島、南に太平洋・伊豆大島を一望出来る絶景。

 

三面ある大きなグラウンド。

 

私達が入学した時に最新の4階建て新校舎完成。

 

畑に囲まれた静かな環境。

 

 

神奈川県内高校、最高の環境だったと言っても過言ではないでしょう。

 

大きな空、青い海、新鮮な空気、朝日、夕日の美しさ。

 

 

今……2階建てのベイシアじゃ絶景が見えない😭

 

京急さんに資金出させて展望回転レストラン付き巨大タワーを作り「スカイツリーと三崎タワーを結ぶ赤い電車」をキャッチコピーに三浦市の観光経済効果、貢献させろ!

 

大學や研修所、合宿所を作り地元の若者と恋愛させて三浦市人口増だ!

 

三浦市長は三崎高ひと学年下級生だし、市議会議員も多くいる、何とかならんのかな?

 

「頼みますぜ!」もう一度、俺達はあの日の絶景を見たいのだ!

 

「市役所建設反対!消防署は移転せよ!」と、選挙権のない横須賀市民の私が勝手な事ばかり・・・・・・・・・

 

 

 

三崎の町に降り城ケ島大橋を渡り、O川の生誕地「城ケ島」へ。

 

小学低学年の頃に通った小学校(分校)の建物が残されていたりと島っ子O川のガイドで城ケ島を回る。

 

H田が「まるで、24の瞳の映画のようだな」と感動していた。

 

O川を降ろし、先生、H田、と3人で京急三浦海岸駅近くにあるマホロバマインズ・リゾートホテルへチェックイン。

 

13階建ての高層マンション、全室オーシャンビューの広いお部屋に海洋深層水の大浴場。

 

マグロ、三浦野菜、新鮮料理の食べ放題バイキング……何度来ても素晴らしい旅館(ホテル)だ。

 

夕食中、小学校の先生となったT口から電話。ロビー横の喫茶室に来ているとの事。

 

T口先生は磯部先生担任の進学クラス、高校時代は接点が無かったが我が娘が小学生の頃、池上小学校に勤務した事がきっかけとなって親しくなった。

 

とても良い先生だし生徒達にも人気があった。特に女子児童に😊

 

 

もう一人、進学クラスだったS女子が来ていた。

 

Sさんも高校時代には接点なしであったが、1年生の時に生徒会本部役員で3年生の時は体育祭の緑軍女子応援団長だったらしい。

 

5人で10時過ぎまで熱く想い出話。

 

 

部屋に戻り、先生、H田の3人でまるで学生時代に戻ったような会話。

 

教育、政治について……

夜明かし討論した青春の日々を思い出す。

 

H田も教育の仕事。

お兄さんは元某市の市議会議員だし、その思慮深さに頭が下がる。

 

学生時代は某有名大学教育研究会に属し、学園祭の実行委員長もしていたと……初めて聞き驚く。

 

数千人の学連を束ねる訳だから相当な知識と行動力を求められる。

 

さすが書道部の影の部長と言われただけの事はあるし、誇れる友人だ。

 

 

「ヤッチ、小学校の先生は一年間、同じ授業をしないんだよ……これが、中高の先生との大きな違いだ」

 

つまり、ひとりの先生がひとつのクラスを受け持つ訳だから、教科ごとの授業を何度もしない…という事だ。

 

また、小学1年生と6年生はまるで違う人種で先生方の間でも低学年が得意な先生、高学年が得意な先生と色々いる。

 

児童が先生の能力によって学力差が出てはいけないし、ここが小学校教育の問題点でもあると話した。

 

現場であるがゆえの経験談だ。

 

 

磯部先生はクラス40人を十把一絡(じっぱひとからげ)に授業をするわけでなく、40人ひとりひとりを見て授業をしていると仰った。

 

だから、同じ内容の授業をしてもクラスごとに全く違う授業になる…という事も。

 

この感覚は私も多くの人を前に話す時に経験しているので分かるような気がする。

 

この人とは通じ合う(話を理解している)が、この人とは壁を感じる……大衆を前にしても不思議とひとりひとりの雰囲気で分かるのだ。

 

 

今でこそは笑い話となっていますが、私は学生時代に大きなコンプレックスがありました。

 

「それを話題にするな!」と言う位に嫌な事でした。

 

大学4年時に行う教育実習体験の話題です。母校に行き授業の経験をする大学の授業です。

 

 

教職に就く気は全くありませんでしたが、教職課程の授業を取っていました。

 

教育史概論、社会学としての教育論……うろ覚えに学んだ記憶があります。

 

偏差値が超低い私めが先生になれる訳ないし、母校での教育実習にビビり途中で挫折?したのですよ😭

 

 

友人達は教育実習で女子高生にモテたとか、面白かったとか楽しそうに話しましたが私は蚊帳の外でした。

 

だから、教育界に進み問題を抱えながらながらも一生懸命働く友人達を見るとワクワクするし、話題に入りたくもなると言う事ですよ。

 

私の取材趣味とマシンガントーク炸裂「自転車屋から見る地域の子ども達の教育論」

 

でも……話した後、必ず陥る自己嫌悪。

 

「一体、俺に教育の何が分かるのだ…」

 

 

。。。。。。。。。。

 

 

5月22日(水)

マホロバの部屋からは房総半島から登る美しい朝日が見えます。

 

ただ、今は日の出の時刻が早いために目覚めた時には太陽が高い位置に「ああああ、寝坊した」

 

朝食バイキング

ふたりの食事のマナーに感心する。

 

「結婚相手はバイキングで判断しろ」

若き日に聞いた覚えがあります。

 

食い散らかし残す人は自分の食べる量も分からない、自己コントロールの出来ない人だ…と。

 

確かにバイキングで他のテーブルを見ると食事後の残し方が酷い人を見る事があります。

 

先生もH田も自分の食べる量だけを取り残す事なくとても綺麗な食事でした。

 

血糖値を急上昇させない様に野菜から食べていたし。

 

 

部屋に戻るとH田は食後のウォーキング、先生は柔軟体操。

 

 

俺なんぞ首を回して手足ブラブラで終わる所だが丁寧に腹筋、背筋を始め身体の節々まで時間をかける。

 

ウオーキングから戻ったH田が同じように朝のトレーニング。腕立てを50回。

 

これは俺も見習わなければ……

 

 

 

マホロバチェックアウト。

バトン部だった我が学年のスーパー可愛い子ちゃんのⅯちゃんを迎えに再び三崎へ。

 

Ⅿちゃんは1年生時の先生の担任クラスで私のクラスメイト。

 

高校野球バトン部、体育祭と活躍し3年生の時は黄軍の女子応援団長。学年同窓会では一緒に幹事をし気心が知れている。

 

Ⅿちゃんを車に乗せると高校時代と全く変わらないバトン部女子特有の超明るさ。

 

話題豊富で喋る喋る😊

車の中は花が咲き、まるで遠足のよう。

 

観音崎にある美術館に到着。

ここで自営業者社長のK杉と待ち合わせ。

 

K杉は同級生結婚で高校時代はテニス部。奥様はバレー部。

クラスのペースメーカーで争いごとも収める明るい雰囲気で満ち溢れている。無くてはならない存在だ。

 

元気で笑顔、小さなことにクヨクヨしない彼の天性なのだろう。

 

美術館で昨日初めて話したSさんとも合流。

 

ジブリ開催の為、レストランも全て超満員。

 

事前の問い合わせでは土日は混むがウイークディは大丈夫との事だったのに……

 

ジブリ人気に改めて敬意。

 

 

子どもの頃、ゴジラの滑り台のあった「たたら浜」へ移動。

博物館横のレストランで落ち着いてランチ。

 

ゴジラが初めて日本上陸した地として足跡のモニュメントまであるが「嘘つくな!」

 

ゴジラ映画の全てを見ている私が「ゴジラは原爆の象徴であり、元祖作では横須賀に上陸していない!」

 

「それは、横須賀が空襲を受けなかったからだ!」

「アメリカ軍が横須賀に基地を作ろうとしていたからだ!」

 

ゴジラの話になると止まらなくなる!

(これについては我がブログ「ゴジラたたら浜上陸の謎を追う」にグダグダと愚痴っておる)

 

 

ランチを終える頃……

先生が初めて先生となった時の教え子である我が学年の6学年上の書道部先輩が合流。

 

どんな爺さん婆さんが来るんかと思っていたが、お二人の若さに驚く!

 

どう見ても年齢より15歳は若く見えるし、とてもインテリジェンスで上品な話し方。ヨボヨボなどまるでしていない。

 

 

卒業アルバムを見せて頂く。

その写る生徒達のキッチリとした立ち居振る舞いに驚く。

 

私達のふざけた野郎の写る卒業アルバムとはまるで違う「昭和の進学校」の雰囲気漂う。

 

先生方も知る先生が多く写っていましたが、磯部先生がまるで大学生のようにお若いのに驚きました。

 

 

 

今になっても後悔するのが我が学年の卒業アルバム……その幼稚さ😱

 

アルバム委員であった私がカメラマンと同行しながら撮影したのですが、超目立ちたがり屋だった当時の私の軽率な行動。

 

飛び入りで色々な部活写真や学級写真にふざけながら写っているのですよ。

 

一生残る卒業アルバムへの意識も低く、我が学年の品位を一人で台無しにして。

 

一ページ目の校歌も編集後記も「書道部の恥さらし」のような下手くそな筆字で書かれている。

 

同級生の皆様、本当に申し訳ございません……

 

 

 

また、書道部部長であった先輩のI井さんは当時の書道部の活躍を資料と共にお話下さいました。

 

I井さんが県内最高の賞を受賞された事。

書道部が県内高校団体評価2位であった事。

また、予算審議会でその実績から文化部で一番の予算を取れたお話まで。

 

それに引き換え我が書道部は「グループ男女純愛交際部」のようでトランプ遊びや誕生会、雑談ばかりしとったなぁ……

 

私も教育なんとか賞を受賞した事があるがH田にそそのかされて口で書いた「鬼」と言うふざけた書だったなぁ…

 

県庁での厳粛な表彰式……罪悪感でいっぱいでしたよ。

 

予算審議会においても学年1,2位を争うリーゼントのツッパリであったO川の脅しに近い無茶苦茶な手法での予算分捕りであったしな……

 

 

先輩方へ申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

それにしても我が母校書道部に輝かしい歴史があったとは今の今まで知りませんでした。

 

ちなみに磯部先生の現在、大阪府立茨木高等学校書道部は60人もの部員がいるマンモス部です。

 

名門野球部のような規模に驚きました。我が部は11人(男子6人、女子5人)でした。

 

また、茨木高校をインターネットで調べ驚きました。

 

神奈川県で例えれば誰もが知る県立高の名門・湘南高等学校レベルですよ。

 

 

その後、先生は先輩方と夕食の為、我が同級生は解散。

 

先生と先輩を京急久里浜駅まで送りました。

 

 

先生は夕食後東京のご実家へ行き、明日は先生の高校時代の同級生との同窓会との事でした。

 

とても、81歳とは思えぬバイタリティ溢れる行動力に、私が先生のお歳になっても負けぬように………

 

食べ物や生活習慣に気を付けるぞ!アンチエイジングだ!

 

 

 

P、S、

 

同窓会が終わると必ず陥る胸キュンの青春わずらい……

 

ウイークディだった為に時間が取れず先生と会えなかった同級生達と電話連絡。

 

もし、今回のプチ同窓会が土日に行われていたら何人の同級生が集まるんだい!

 

私達の学年だけではないぞ!

 

 

改めて先生が高校時代にまいた種の種類と大きさに感服。

 

「授業は十把一絡げではない……クラスの一人一人としているんだ」

 

私達は高校時代に一人一人違う種を頂いたという事なんだな・・・・・・・・

 

 

 

 

アンチエイジングと自転車

2月のブログ「真偽を確かめる」でも書いた事なのですが、弟の入院を機に「健康とアンチエイジング」に興味を持ちプライベートタイムはユーチューブ検索の日々です。

 

良い時代になったなぁ…と感謝しています。

昭和の時代だったら興味ある学問は大学に合格して授業を受けなければならなかったし図書館で膨大な量の書物の中から探すしか方法はなかったからです。

 

又、興味あるセミナーも一日かけて東京まで聞きに行かなければならない面倒くささ。内容に失望した事もありますし…・。

 

でも今は授業料を払わなくても家で好きな時間にラジオを聞く感覚で聞ける。

聞きそこなった所は本を読み返すように何度も聞けるし、道理に合わないと思う講義はすぐに飛ばせる。

 

時間とお金の有効活用をしながらスキルを高める「学ぶ欲求、自己実現欲求」を満たすことが出来るんですからね。

 

 

医食同源>

薬は使い方によって麻薬

健康は食事と生活習慣から

 

薬の怖さについては当店のお隣さん(良きアドバイザーである薬屋さん)から日々ご指導頂いております。

レジに持って行けば何でも売ってくれる大型ストアーとはわけが違う。親身さが違う。

 

ひとつひとつの薬の副作用まで話して下さる尊敬できる人です。ストレートにものを申す所も良い。

 

食事は家内がずっと気を使って食材を選んでくれていた…・

最近になって目覚めた私に「何を今さら」とほほ笑む。

そう言えばマーガリン、ベーコン、加工食品、カップラーメンは我が家の食卓にはない。

 

買い物に行く時も一々食材を吟味し成分表示を確かめながら買う家内のまどろっこしさにイライラだったが、理由がやっと分かった。

 

学生時代から「栄養学」を学んできた事も最近になって知った。そう言えば…我が家族は大病をしていない。

 

「人の細胞は食べた物から出来ている」

この年齢になってやっと知った愚かな私。

 

健康とアンチエイジングに目覚めてから3ヶ月

酒、缶コーヒーを始めとする飲み物、菓子パン、お菓子、甘いもの、添加物保存料まみれの食品を口にするのを止めた。

 

大好物の納豆や豆も国産以外は買う事を止めた。

 

3ヶ月の身体の変化>

体重5キロ減、ウエスト4センチ減。

血圧、体脂肪率は今の所変化なし。

 

また、野菜本来の甘味や旨味も感じる舌となって来た。

昔の野菜は美味かったと思っていたが、人工甘味料によって私の味覚が変わっていたのだ!と気が付いた。

 

。。。。。。。。。

 

 

「健康とアンチエイジング」

友人やお客様との雑談でこんなにも皆様が興味を持っている事なのか…という事を知った。

 

私と同世代ばかりではない。

むしろ40代の若い世代の人に多い。

 

「野菜から食べる 食べる順番を意識する」

「ビタミンCやリコピンを毎日意識する」

「楽しく軽く身体を動かす」

 

 

そう言えば同業者のHサイクルさんが30年程前にヤクルトオバサンはヒップラインが美しい。理由は仕事でいつも自転車に乗っているからだと言っていた事を思い出した。

 

 

。。。。。。。

 

 

私のおせっかい取材攻勢は最近さらに激しくなって来ました。

 

自転車に乗っている人は動きも機敏だし元気である事に気が付いたからです。

 

そして好奇心旺盛で色々な事に興味を持ち、会話のキャッチボールが上手いし、楽観的で笑顔なのですよ。

 

特に一重目蓋女性の笑顔はたまらんのぉ~~

(単純に私の好みですが、我が一族は全員二重なもので一重に憧れるのです)

 

 

それに引き換え更けて行ってしまう人……特に高齢男性に多いですが

 

1,小さな事やどうでも良い事にこだわり強要し偉そうになる

2,過去の武勇伝を語りだす

3,活舌が悪くなり同じ話題を繰り返す

4,「かわいそうだ」とか「今の若い者」と言うセリフが多くなる

 

これには私も大いに反省すべき所があるので大きな声では言えませんが🌝

脳が古びてきているんでしょうね…私の二番目の悩みでもありますよ。髪の毛も含めて

 

 

 

P、S、

映画「あまろっく」を観て来ました

主演の安藤サクラさんがとても良かったのでラストシーンのキャストタイトルを余韻に浸りながら見ていたのですが、スクリーンに名前が出てこない?

 

家内は「見損ねたんじゃない?」と言っていましたが?そんなはずはない俺はじっくりと見ていた??

 

帰りの車の中でもゴジラと言い彼女の魅力は素晴らしい…と夫婦の会話でした。

 

帰って来てからインターネットで調べたら主演は江口のりこさんという女優さん?

 

驚きましたよ!

 

ふたりは似ているという記事もありましたが……これも脳の老化か!

 

家族ラインで聞いてみましたが、娘からは全く似ていないと返事😊

 

ガーーン

 

 

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