世界一周ピースボートの旅
同級生や青春時代に共に行動した友人との交流が増えて(復活)来ました
現役の時は話した事も無い他クラスの同級生と良き友人となる事もあり面白いものです。
グループラインの数も増え、皆の生活や行動が身近に感じ、ブログを書く時間がライン時間に割かれて来てもいます。
。。。。。。
昨年、世界一周の船旅(ピースボート)を奥様と行って来た高校時代からの友人から「旅記録のライン」が毎日送られてきます。
これが…クイズあり、写真あり、動画ありでワクワクさせる内容で編集がとても面白い。
横浜港出航の動画も送られて来ましたが、テープを投げる人、大喜びな人、とても華やかなシーンでありました。
時差調整が何度もあり、出航まじかに「一時間時計を進めて下さい」とお知らせが来たそうです。
そして、横浜港出航時のクイズです。
最初の寄港地はどちらでしょうか?
A、東回りホノルル(アメリカ)
B、西回り厦門アモイ(中国)
ね、ちゃんと文章の中にヒントを出しているのですよ。
地球はどちらに向かって回っているのか?
と、いう事ですよ。
太陽や月、星が西に向かって動くという事は…という事ですよね。
陸地が全く見えない180度オーシャンブルーの太平洋の写真を送ってくれたり、私の日常にない経験した事のないリアル旅番組を見ているようでトキメキます。
思い返せば私のクルージング最長記録は高校修学旅行の時の熊本県三角から島原までの有明海横断・約一時間のフェリーボート。
夕日がきれいだった事を想い出します。
陸地は見えたし、船は湾内か湖でしか乗った事がない😭
それに、横須賀と房総を結ぶ東京湾フェリー30分強の旅でも酔った事があり、船揺れに弱いのですよ。
自衛隊さんや海洋高校の生徒さんからも外海に出た時は船酔いとの闘いだと聞いた事がありますしね
ただ、ピースボートの豪華客船はホテルのように大きくて、ほとんど揺れを感じないらしくて船酔いは無かったそうです。
グループラインには飛鳥で旅をしたと言う友人もいて飛鳥には露天風呂も付いているそうなのです。
青い空と青い海の露天風呂に入りながらの船旅……考えただけでもワクワクします。混浴であればさらに嬉しい😊
太平洋の日付変更線では一日戻し、同じ日が2回ある事に感激していました。
それを聞いて私は小学生の頃に読んだ「八十日間世界一周」を思い出しました。
80日で世界一周出来るかを掛ける冒険物語です。
日付変更線によって1日ずれていたと言うラストシーンは当時の多くの小学生を感動させたものです。
それをリアルに体験したのですからね…地球は丸くて回っている。
ただ、ハワイについてから嫌な体験もしたそうです。
市内観光するバス
見学を終えてバスに戻ると運転手は同じ人だがバスが違っていて置いておいたバックが無くなっていたという話です。
運転手はとぼけるしバス会社に問い合わせても知らぬ存ぜぬ…梨のつぶて😱
他の人もカメラ、スマホ、バックが盗まれたりしたらしい。
日本であったなら大問題だ!と思いますが外国旅行する時は荷物は手から離すな!一人行動するな!と聞いた事があります。
今、彼の旅の記録はメキシコに向かう船内ですが、当分私はこのラインにはまり続けるでしょう。
テレビの旅番組とは違うリアル友人の旅ですからね。
P、S、
彼と私は高校時代
クラスの誰もが応援しない大洋ホエールズ(現、横浜ベイスターズ)のファンで良くガラガラの川崎球場へナイター観戦にも行きました。巨人一強の時代でしたから大洋ファンはふたりだけ。
ホエールズはノ~サイン野球のようで大雑把
狭い川崎球場、全員がホームランを狙うメガトン打線
打つ時は度肝を抜くような打線だが、打てないと全く打てない!
諦め早いし粘る事をしない
試合時間は2時間にも満たない早打ち!早投げ!
4,5球でチェンジという事も珍しくない。
海面から浮上せぬ鈍クジラ、派手な勝利にはクジラの潮吹き!
良く言われておったな。
試合が終わって川﨑から家に帰って来るとテレビではまだ巨人戦をやっている(川崎球場は他球場より30分早くに試合が始まっていた)
ただ、テレビ中継される巨人戦だけは違ったな……
下位球団に優しく巨人に潮吹く!
弱気を助け強気をくじく!
でもね……横浜に移転してからは優勝チームに気前が良かったなぁ・・・・・・
。。。。
球団事務所に聞きたいのですが?
ベイスターズの歌の♪オーウオ,ウオ、ウオ横浜ベイスターズ♪の所ですが、歌が出来た時にスポンサーであった大洋漁業が魚屋さんであった事でウオは魚だと習った覚えがあるのですが……
TBSスポンサー後のフアンは聞いた事がないと皆が言う
俺は未だに先代の大洋漁業への愛を込めて♪オー魚、魚、魚(ウオ)横浜ベイスターズ♪と魚をイメージし歌っておる。
高校野球2024神奈川の夏とBMXスピリット
「俺の趣味は高校野球観戦だな」
友人が「それは趣味とは言わないんだよ……だって、自分でやってないだろう」
「音楽においても楽器を弾く事は趣味だが、音楽鑑賞は鑑賞であって趣味とは違う」
「うん、うん、ごもっともだ」と思ったね。
よく仕事が趣味だと言う人もいるが私は違う。
趣味が仕事になった…は理解できるが仕事は仕事であって趣味ではない。
と、能書きを言っても……私が毎年7月になると全身の血が騒ぐのが高校野球だ!
10日、相模原球場…
桐光学園vs横浜栄
11日、保土ヶ谷球場…
向上vs上溝南
横須賀球場(追浜)…
横須賀vs藤沢西
桐光学園の応援ブラスバンドには感動したね
横浜栄の選手がマウンドに集まった時に音量を下げていた。
最初なぜ音量が下がったのか分からなかったが、選手がポジションに散った時に音量があがりその気遣いに気が付いた。
秋の優勝校である桐光学園相手に投げる横浜栄バッテリーの頭脳の配球にも感動した。
野球は確立のスポーツ…つまり頭脳のスポーツ
プロ野球の野村監督(ノムさん)のお言葉でありましたが、明らかに体力技量が違っても相手のウイークポイントを付いた投球や試合運びをすれば大量失点はしない
横浜栄高校ナインから学んだような気がしました。
ノーアウト一塁、ワンアウト一塁のチャンス、
バントをして得点圏にランナーを送らない横浜ベイスターズは高校野球の一点を取りに行く野球を学んで欲しいと思ったよ。横浜ゲッツーベイスターズと呼ばれないようにね。
相模原球場は円形球場の為にファールゾーンが広く、とても大きなグラウンドで外野奥には丹沢山地が見えて、とても癒される野球場です。
保土ヶ谷球場は語れば永遠に語り続ける私の想い出詰まった心の聖地。牛すじカレーも美味しいのだ。
。。。。
18日は平塚球場で横浜vs旭丘、慶應義塾vs桐蔭学園
まだ平塚球場に行った事がないので意気揚々と観戦を予定しましたが……
夏バテなのか当日朝、元気パワーが全く出ずキャンセル
試合結果を知り後悔、後悔、後悔の念
応援団も盛り上がっただろうな……
一昨年、昨年と高校時代の友人と決勝戦に行ったので今年も予定し前売り券を買おうと思いましたが、試合開始時間が午後の2時。
真夏の最高気温時間帯の横浜球場の熱地獄。
人工芝の照り返し、高くそびえる観客席は盆地の暑さ。
高校生や観客の熱気、おまけに屋根がない日影がない…
老体にムチ打つ所の話ではないぞ、命を落とすぞ!
という事でこれも中止。
高野連の爺様方へ提案ですよ
準決勝からの横浜球場はナイター開催はいかがでしょう。
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11日の横須賀球場 横須賀vs藤沢西
80年代BMXチーム「横須賀フォックス」で活躍したちびっ子ライダー「ミニコング君」の息子さんが横須賀高校野球部でレギュラー出場する事を神奈川新聞で知り密かに観に行きました。
当時の横須賀フォックスのワンパクBMX少年達はライダーネームで呼ばれていて、まるで怪獣総進撃のようでした。昭和のちびっ子ギャングの世界です。
実は横須賀市が今、BMXに力を入れて下さっている原点中の原点のお話がお父さんとなった「ミニコング君エピソード」なのですよ。
まだまだBMX(バイシクルモトクロス)が超マイナーのローカルスポーツであった時代
BMXと言うスポーツがどのような競技なのかを横須賀市にアピールするために青少年課課長さんと市議会議員の先生を招待して模擬レースを大楠山のふもと阿部倉町(横須賀湯ノ沢BMXトラック)で開催した事があります。
雨天の後でコースはドロドロ、20インチのBMXをやっと乗り始めたちびっ子ライダーのミニコング君にとって走る事さえ困難なレースでした。
小さな体はファーストジャンプを越える事が出来ない。
でも、BMXのルールはどんな困難にも立ち向かい自転車を押してでも引っ張ってでも、誰の力も借りずに自転車と共にゴールしなければならなかったのです。
ミニコング君は全身泥だらけになりながら自転車を押し続けファーストジャンプを一生懸命に登ろうと努力しました。
何回も、何回も、何回も、何回も……
フャーストジャンプはミニコング君にとっては崖のような大きな山のようで、もう少しと言う所で毎回も転げ落ちました。
大人が手を貸せばそこで失格。
他のライダーは全員ゴールイン。
観客やチームメイト達は一人遅れながらも頑張り続けるミニコング君に熱い声援を送りました。
ミニコング君は決してあきらめず、全力でチャレンジを繰り返しました。
そして、ついにファーストジャンプを重い自転車を押しながら乗り越えたのでした。
このシーンは市議会議員さんと青少年課の課長さんを心から感動させました。
「こんな素晴らしい少年スポーツがあるなんて!」
自分の事は自分で最後までやり遂げる自立のスポーツにです。
大人が「してくれないスポーツ」ですよ。
どんなちびっ子でもスタートゲイトに立った時からゴールラインを越えるまで一人前として扱われる。
その後、横須賀市はBMX(バイシクルモトクロス)に大きな理解を示し、1991年7月28日に造成中の平成町に1日限りの特設コース(横須賀BMXシーサイドトラック)を造り「第7回JBMXF全日本選手権」開催を協賛下さったのです。
その全国大会レースは首都圏初であった事もあり多くのマスコミの間で話題となり「うみかぜ公園」建設の伏線となりました。
全日本選手権は1年をかけて準備するものだったのですが、横須賀大会はたった3ヶ月で準備した大会だったのです。
市内の多くの企業様や団体様の協力を得て成功裏に終わりました。
小さな問題は多々ありましたが横須賀市や市民へのアピールという点においては大成功でした。
準備期間が短かったのは本来の開催予定地であった茨城県古河市のコースが河川法に触れるという事で最終的に許可されなかったからです。
主催する全日本BMX連盟は大会中止も考えましたが、横須賀市の協力もあり急きょ開催を決定しました。
5月の連休後、資金ゼロからのスタートでした。
たったひとつの小さな出来事が大きなうねりとなって成長して行く……
ミニコング君の頑張りが横須賀市のBMX理解へと繋がったという事です……
そして今、息子さんが高校球児となり頑張っている……
横須賀高校は負けてしまいましたが、悔し涙を流す坊主頭の息子さんを見ながら何かとても清々しい気持ちになりました・・・・
そう言えば……今年のカレンダーBMX全日本選手権横須賀大会の1991年の夏と同じだ!
28日の日曜日に向けて狂乱の日々を想い出す・・・・・・・
それから……横須賀高校のユニフォームは漢字文字の方が伝統的な迫力があったな。相手校から見るとね。
P、S、
ユーチューブで横浜高校vs桐光学園戦での二塁手とランナーの接触が守備妨害であるのではないか?と話題になっています。
横浜高校の監督さんが強く抗議をしていました。
私はこのようなプレイを見る時いつも思う事があります。
高校野球の主役は高校生だという事です。
審判への抗議、あまりおすすめはしませんが高校生による応援のヤジ、これは彼らの権利だと思って観戦しています。
たとえ感情的になろうとも、少々間違った事でも、教育課程において彼らのひとつの経験だと思うからです。
絶対に許せないのは観客やOBの下品なヤジ!ビールや酒を飲んでの観戦!裸野郎は言語道断!
また、監督さんの抗議についても、選手達は実際どう思っているのか?です。
選手が不可抗力だと納得しているプレイに監督の執拗以上の抗議は余計なお世話だと思いますし、監督の怒りの代弁を選手がされているとしたら本末転倒だとも思います。
横浜高校の元監督の渡辺元智さんが「究極の高校野球は無サイン野球だ」と仰った事があります。
試合が始まったらダックアウトの中は全て高校生、指令も高校生。
監督はサインを送れない隔離された観客席から見てるだけ。
私はこう解釈しました。
練習においては大人達の指導は重要な事だと思いますが、試合が始まったら大人達の手を離れ高校生の選手だけで判断し作戦を作りプレイする
まるで、ラグビーのようにね。
そうそう、BMXも競技中にいかなる反則があろうと抗議のアピールができるのはレースを走ったライダーだけというルールがありました。
文句のあるライダーはゴールしたら手を突き上げて審判にアピールする。
抗議があってからコースマーシャル(トラック審判)がプレイを協議し、最終決定はトラックディレクター(審判長、裁判官です)が下すと言うものでした。
どんな反則があろうとライダーから抗議がなければレースは成立し監督や大人たちは発言権のない単なる観客……という事だったのです。
「自分の正当性は大人に頼らず自分自身で主張しなさい!」BMX精神です。
高校野球で何を学ぶのか……
高校野球は教育課程の一貫だと思います。
昨年の全国優勝、慶應義塾
選手は「監督に従わない!」
監督も「選手に強制しない!」
高校生の自主自立…いいなぁ😊
磯部南海雄先生の至誠一貫⑧
<精神浄化、書道復活>
前回のブログに記したように
恩師や同窓生との再会によって、今私は青春時代への感謝と思いに心底から酔いしれております。
何か漲る思い!
高校卒業以来……
全く忘れていた事を思い出しました。
なんで、忘れていたのだろう?
心の奥底から…その思いがグツグツと湧き上がって来ました。
「下敷きの感触、半紙と墨の香り
硯に溜めた墨をたっぷりと筆に染み込ませるワクワクした気持ち
半紙の上を走るサラサラとした筆の音」
「クソッ!俺は50年以上の間、何で忘れておったのだ」
高校卒業後の学生時代は映画制作
自転車屋になってからの独身時代はBMX
結婚して親となってからは子育てと経営
一生懸命にやって来たとは自分では思っていますが……
その間、筆を手にする事は全くありませんでした。
磯部先生から書道展のお知らせは毎回頂いていましたが、結婚してからは行くことは全く無くなりました。
昨年春の滋賀県での個展は久しぶりに家内と行きましたが、その時も自分自身の気持ちは休火山のままでありました。
数年前、先生から落款(らっかん)を頂いた事があります。
私の名の一番下の文字「哉」が彫られていました。
可愛い手作りのハンコです。
全く使われることなく仕舞われていました。
。。。。。。
「なぜ?気が付かなかったのだろう……バカヤロ~めが」
「たまには書いてみないか?」
と言う先生からのお気持ちだった事にも気が付かず😭
早速・・・・・・・筆や硯、下敷き、文鎮、墨を買いに行きましたよ
でも、驚いたのは町の文具店が無くなっておる。
小中学校の近くには必ずあった文房具屋さんですよ
お店のおばちゃんも書道に詳しくて楷書、行書、草書に適した筆や墨の濃さなどを教えてくれていたのになぁ…
小学生用のお習字のセットが欲しい訳ではなく、暴れる書にも対応できる…下手な人向け筆が欲しいのに、私のゴツイ手に合う筆が少なくて困りました。
気に入った筆や硯があっても超予算オーバーで超庶民の私には高嶺の花。
やっとの思いで納得できる筆をみつけ書斎の机の上を整理して、机いっぱいの大きな下敷きの上に硯、筆立て、文鎮を並べました。
机の上を写真に撮り、開設したばかりの書道部ラインの青春友に送り「復活宣言」
宣誓!
「頭に浮かび、その時に思いついた『書きたい字』を自由に楽しく書き続ける事を誓います」
自分で自分を強制するものではなく「自然と湧き上がる泉」のような気持ちを持って臨みたいという思いですよ。
すぐに先生からラインが入りました
「いい言葉を思った時が筆を執る時、
その臨場感がヤッチの言葉の形となって現れる、ヤッチの自然体が現れる
既成の形から自由になるには簡単な事ではない
「百錬」は筆の機能を知る
筆の線を知るためにできるだけ筆と日常的に親しくしていくことが大切
そして、いい言葉を書く時は練習なしで【気】一筆入魂だ!」
恩師のお言葉……嬉しかったな😊
それから具体的な筆と墨の使い方をお話下さいました。
でもね…先生
それは全て覚えていますよ
高校の授業…
書道の授業は今でもはっきりと覚えています。
あ、体育も覚えています…
苦手な化学(バケガク)など、ちんぷんかんでまるで分からなかった…
政経だけは得意科目でありましたが……
と、いう訳で「一筆入魂」の筆おろし
墨をたっぷりと筆に馴染ませて……
「考えて浮かんだ字よりも心の中から湧き上がった字(書)」
寝る前の密かな楽しみとなりました
一日に二三枚、少しづつ、「今日の字」を書き続ける快感~~~
書、描、至誠一貫、鯨、二九来ふくきたる、福来くるぞ、来福、新夏、元気だすぞ・・・・
まるで「書日記」
晩酌の感覚かな😊
先生は高校時代の授業でよく「色気を持って書いた書に感動はない」と仰っていました
「上手に書こう、褒めてもらおう」と言う色気です。
もっと、ありのままの自分を描き、日々の生活を大切にして一生懸命生きろ!
また、日展入賞作品についても「それがどうした!もっと大切なものが君達自身の中にある!」
権威とかに踊らされず「自分で見る」と言う姿勢をいつも手本に見せて下さいました。
私の「それがどうした!ぼくドラえもん」の精神の根源は高校時代の書道の授業だったのですね。
権力にあぐらをかこうとする「偉そうで知ったかぶりの野心家野郎」に牙をむく私の性格もここから来ているのかな😱
うん・・・・それはないか
P、S、
風呂に入っている時にふと思いました
湯船に墨汁をたらして墨風呂にしたらいい香りに包まれるのではないのかと……
家内の反応が怖くてまだ実験しておりませんが・・・
。。。。
祖父は僧侶でした
祖父の部屋からはお塔婆を書く墨の香りとお線香の香りがしました
本堂からは畳の香りも……
雨の日に靄のかかる大楠山を見ながら「和」の香りに包まれる
。。。。。
高校の書道室の香りも好きでした
石を投げれば女子高生に当たると言われた女子高から開校した我が母校は男子よりも女子が多かったのです
だから、書道室は女生徒の甘い髪の香りもいっぱいでした。
そう言えば……
人生初告白も書道室であったのでした。
声は裏返る、彼女は小刻みに震えておる
一発撃沈でありましたが、当時としては最大の勇気を振り絞った行動であったのですよ