サイクルショップショーワのブログ
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2022・8・7 BMXレジェンドライダー来たる!

80年代のBMX創世記に活躍した我が「横須賀チームFOⅩ」の有志が店に集まってくれました。

 

ワンパクだった少年達も今や「たくましい親父達!」。

 

(BMXとはバイシクルモトクロスの事で色々な形のジャンプやバームと呼ばれるコーナーのあるコースを6~8人のライダーが走り順位を争うアメリカ生まれのスポーツです。自転車の障害物競走という事かな。今はオリンピック競技にもなっています)

 

これには伏線がありました。

 

先月中旬、高校球児の父親となった元BMXライダーのミニコング君が家族で息子さん(横須賀高校野球部)の自転車を買いにきてくれたのです。

 

高校野球狂の私はそれだけでも嬉しかったのですが、そこでさらに嬉しい、涙ぐんでしまうほど嬉しい話を聞きました。

 

「ギャオスがBMXの全日本選手権レジェンドのクラスで優勝した!」と言う話です。

 

それも80年代のスーパースター「どすこい宮城君」や10回大会(山梨県韮崎市)での全日本選手権で全日本チャンピオンに輝いた「エノキン君」を押さえての優勝!

 

 

 

ギャオス>

 

ギャオスは80年代半ば鎌倉から来ていた小学生ライダーでした。

 

(横須賀FOⅩのメンバーはライダーネームで呼ばれていました。怪獣の名前が多く怪獣総進撃のようでした。)

 

横須賀のワンパク達とは違いお上品な雰囲気を持った少年でしたが、分からない事を徹底的に聞きまくる好奇心が旺盛で「何で?何で?」と、喋りまくりうるさい!

 

(FOⅩには葉山から来ているタケゾーというライダーもいましたが、彼も答えに困る質問をよく投げかけていました)

 

葉山、逗子、鎌倉方面から来る子ども達はどうしてこんなに質問好きなのか?研究熱心なのか?……私も不思議でした。

 

 

 

理屈抜きの野生児!である横須賀の少年達に超音波光線を発するように「何で?それで?それから?」を繰り返す鎌倉の小学生。

 

すぐにライダーネームが付きました。

 

「あいつ、ギャオ!ギャオ!うるせえよ!まるでギャオスだ!」

 

 

また、彼は頭の回転が良くレースも速く、行動もテキパキとしていて腕をはりハンドルを素早く振り込み、高回転でペダリングする走行スタイルも何もかもが、羽を伸ばし音速を越えマッハのスピードで滑空する怪獣ギャオス!そのものだったのです。

 

超負けず嫌いの性格でレースに負けると、カンシャクを起こして暴れる事はないが悔し涙を流し、泣く!

 

そして、勝てなかった理由をしつこい位に聞きいてくる。

 

 

優勝した時は人一倍喜び、負けて落ち込んで今にも感情爆発しそうなライダーに「今日の僕、どうだった?カッコ良かった?」と聞きまくるので先輩の中学生ライダーから「自分の事が精一杯でギャオスの走りなんか誰も見てねえよ!黙れ!」と、怒られていました。

 

中学生に脅されれば少しは大人しくなるものですが、彼はそんな脅しにもまるでめけず超音波光線を吐き続ける!

 

 

 

まるで……小学生の頃の私を見ているようでした。

 

 

 

ギャオスにとって一生悔いるような悔しいレースがありました。

 

1987年、第3回JBMXF全日本選手権(福島県吾妻スカイランド)です。優勝候補筆頭と言うよりも敵なしで挑んだ全日本でした。

 

でも、勝ち上がった決勝でファーストジャンプを越えた第一コーナー手前、ホールショット(一番でコーナーに突っ込む)を取るか!という時に転倒しました。

 

 

私はその大会でスターターだったので、そのシーンはスローモーション映像となって今でもはっきりと脳裏に刻まれています。

 

 

ギャオスの年下のクラスではクニオが北海道白糠ベアーズのちびっ子ライダー君をぶち抜き優勝。

 

次のクラスではクリボ、コカールのワンツーフイニッシュとクラス別チャンピオンを次々と生み出した直後の事だったので、ギャオスの悔しさはどんなものだったのでしょう。

 

また、そのレースはTV中継もされており、解説者がこのクラスの優勝候補として彼の名を上げた後の転倒でした。

 

 

ギャオスはその後中学生の時、山梨県白州耀園でのサマーナショナルレースの練習中に足首が反対方向を向くような大きな複雑骨折をして入院し……ヘルメットとナンバープレートを置き、卒業しました。

 

プレートナンバーはBMXライダーの誇りで前年度の成績順に付けられます。

 

 

。。。。。。

 

 

 

大人になっても忘れた頃に店にやって来て、少年時代に置いてきた「チャンピオンの夢」が達成できなかった事を悔しそうに語りました。

 

ギャオスやFOⅩのOB達が度々BMXレースに参戦している事は聞いてはいましたが、まさかの全日本優勝に私自身も何年もの間忘れていた「あの頃」がよみがえりました。

 

 

すぐにギャオスに電話をしました。

 

「ミニコングに聞いたぞ!レジェンド全日本チャンピンだってな!」

 

「なぜ?すぐに教えないんだ!」

 

ギャオスは電話の向こうで照れていました。

 

BMXに対して冷めに冷めている私の心情に遠慮していたのでしょうかね・・・・。

 

 

2022年8月7日。ギャオスの声掛けで7人のレジェンドライダーが店に寄ってくれました。

 

 

「BMXレーシング・横須賀チームFOⅩ」は80年~94年までの15年間に大きく分けて5つのチームがありました。高校野球のようにメンバーの入れ替えによってチームが変化するという事です。 どの時代も30~40人のライダーによって構成されていました。

 

 

1、チーム結成期のツッパリ1981年チーム>

 

ブリヂストンの赤袖ジャージを着て、水色のハチマキをしヘルメットの後ろでピラピラさせていました。別名ブルーリボン!

 

JBA日本BMX協会所属でした。

 

新人いびりの「おまえ鼻血出てるぞ!」と、出てもいないのにみんなで寄ってたかって驚かせる茶化しはこのチームによって生まれました。中には貧血を起こしフラフラするライダーもいました。

 

交通違反したライダーへのチューブビンタもこの時代です。

 

平作町の瘡守稲荷神社下に横須賀初のBMXトラック「フォックスフィールド」が完成しました。6人用スタートゲートのあるコンパクトコースでした。

 

日本人で初めてアメリカのレースに参戦し「神風ライダー」の異名がついた初代NBA(全国BMX協会)ナンバー1プレートを付けていた益子さんがチームのコーチとして横須賀FOⅩに入団しました。

 

ちなみに「フォックスフィールド」と、その後1991年に横須賀平成町造成地で開催される全日本選手権の「横須賀BMXシーサイドトラック」の設計も彼です。

 

憧れのスーパースターの入団で喜んだ子ども達の笑顔は今も忘れません。

 

 

 

2,アメリカンナイズな1983年チーム> 

 

NBA全国BMX協会へ移籍。

横須賀ベースのアメリカ人の子ども達が多くいたチームです。

益子さんのデザインしたイエロージャージはこのチームからです。袖の水色ラインはハチマキの名残でした。

 

伝統となった「ウイーナンバー1!FOⅩゴー!」と、皆で声を合わせて大声で叫ぶファイテイングコールはアメリカ人キッズが作ったものです。日本の王者であった東京ワイルドキャットへの打倒精神から生まれたものです。

 

交通違反やルール違反したライダーがズボンを脱いでおケツを見せる「ノーパンライダーの刑」これもアメリカン人キッズが大喜びで始めたものです。米兵のアルバムには戦艦の甲板で並んでお尻を出してふざける写真が必ずあるのですよ……

 

BMXだけではなくバスケットボール、ベースボール、スイミング等、色々なスポーツのチームに所属しているのもアメリカンキッズ達で小、中学生の頃は色々な環境に身を置く事だ!という事も学びました。

 

大人になり仕事に付くとオンリー人間(専門家)にならざる得ないので、少年時代は自分の適性を知るために多くの事を経験する事も大切だという事です。

 

 

また、BMXフリースタイルはこのチームに在籍していたメンバーによって始まりました。武山のライダーの家の庭に横須賀初のBMXランページが作られました。映画「E、T」によってのBMX大ブームの時でもありました。

 

初のTV出演もこのチームでした。

 

 

全国にあったBMX協会の上部団体としてJBMXF全日本BMX連盟が発足し、真の全日本チャンピオンを決めるべく第1回全日本選手権が1985年夏に北海道白糠町で開催されました。

 

FOⅩからはサカエちゃんとヒキノングの2名の参加でしたが全日本の壁は厚く予選敗退でした。

 

 

 

3、泥臭く全力で頑張る86年チーム>

 

チーム一丸となって戦った「ちびっこギャング」の小、中学生達によって作られた成長期の時代でした。

 

チームジャージの袖の水色ラインがJR横須賀線の青ライン色に変わりました。

胸マークTEAⅯ・FOⅩと背中のYOKOSUKAマークの赤は京急レッド!

京急快速特急にあやかっていました。

 

チームスローガン「全力ライディング!全力フィニッシュ!」はこのチームによって誕生しました。

 

どんな天候と悪条件に置いてもベストを尽くすチーム精神に「田んぼの中の泥キツネ🦊」の異名。

 

また、開会式表彰式等の立ち居振る舞い(私語禁止デレデレと座るな)に他チームから「軍隊」「部活」「社会主義」とも呼ばれていましたが、「自由とは規則の上に成り立つ!」「公道を皆が思いのまま自由に走ったらどうなるのか?」との方針の旗の下で何と言われようが絶対に考えを曲げませんでした。

 

軍都の歴史を持つ横須賀は行進曲や全体主義をこよなく愛し、チャラチャラとした軟弱の能書き野郎が大嫌いだったからです。

 

「グラグラしないでピシッとしろ!守るべき事はしっかり守れ!」という精神です。

 

実はこの精神哲学は自由の国で育つ83年チームのアメリカ人キッズによって学んだものです。

 

彼等のお父さんはアメリカ海軍ブルーリッジの艦長さんをはじめとした大佐、キャプテン等、幹部の兵隊さんだったのです。

 

エリートの子ども達はふざける時ときちんとする時のメリハリがしっかりと出来ていたからです。

 

自由の本当の意味もです。

 

 

ちなみに高校野球の入場行進を軍隊式と呼ぶ輩がいるが、正しくは高校野球式です。観客(特に家族)は涙を流している事をご存じでしょうか…

 

 

横須賀市長への初の表敬訪問、市制80周年記念パレードに参加したのもこのチームです。

 

表敬訪問の時はブルーリッジの艦長さんファミリーの写真をトップページにしたアルバムを持参し、横山市長にBMXというアメリカンスポーツをとくとくと語りました。自立心と自主性を育てるスポーツだという事も含めて……

 

「日米友好スポーツじゃないか」との市長さんのお言葉は忘れません。

 

横須賀市が県内他市に先駆けてBMXに理解を示した表敬訪問でした。

 

ライダーは散髪に行き中学生は校章の付いた制服をきちんと着ていました。BMXは「バカがやってるスポーツだ」と絶対に思われてはならない事はチーム全員が知っていたからです。

 

 

オートバイモトクロスチーム「トムソンガゼル」と共有していた阿部倉町のコースがBMX専用コースとなり「横須賀湯ノ沢BMXトラック」と命名されて完成。関東地区エリアの地区レース(湘南マンスリーレース)や関東、中部、関西エリアからライダーが参戦する(チャンピオンシップレース)も開催されました。

 

 

4,日本最大のチームへと成長した89年チーム>

 

1991年夏に横須賀平成町で開催された全日本選手権を支えたメンバーです。

チームFOⅩ10年の歴史の中で作られた伝統が花開いた時です。

 

テレビラジオ出演に始まりテレビコマーシャル、ファッションショー、新聞雑誌……マスコミにもよく登場しました。

 

イエロージャージのFOⅩは全国のBMXライダーに知れ渡り、国内最大の軍団となりました。

 

全日本BMX連盟(JBMXF)の下部団体に全国BMX協会(NBA)と、全国を名乗る団体があるのは組織図を書いた時におかしいと言う理由で、NBAを地域ごとの協会に独立させ南関東BMX協会(SKBA)を設立。

 

 

「1991年・第7回JBMXF全日本選手権」は当初、茨城県古河市での開催を予定し、前年の夏から南関東BMX協会の東京支部が主管となって準備されていたのですが、河川敷に作られたコースが河川法に触れるという事で取り壊され、古河市での開催は絶望的になりました。

 

5月のゴールデンウイークの頃です。

 

大会日は1991年7月28日。 連盟や協会の東京支部から横須賀の阿部倉町にあった「横須賀湯ノ沢BMXトラック」での開催を打診されましたが、コースは小さい6人スタート用(全日本は8人スタート)だし、駐車場もない山の中。

 

連盟も協会もボランティア団体で予算は全くない。それに7月までの3ヵ月間で「何が出来るんだ!絶対無理!」でした。

 

この全日本選手権の裏話を語れば、1本の映画が出来るのではないのかと思えるほど色々な事がありました。

 

 

たった3ヵ月で数百万円の予算を集め、横須賀市、横須賀商工会議所をはじめとする多くの市民の協力の元、埋め立て造成地であった平成町建設予定地に一日限りの「横須賀BMXシーサイドトラック」を大会3日前に完成させ、全日本選手権大会を開催した涙ぐましいストーリー。

 

協会運営には口は出さないが出来る限りの協力を惜しまないFOⅩの父兄の皆様の団結力と底力も見事でした。

 

BMXの歴史においても準備期間がたったの3カ月間で開催した横須賀大会は伝説の大会となっている事でしょう。

 

また、台湾ナショナルチームから4名のライダーを招待し世界へと羽ばたき始めたのもこの大会です。

 

 

 

5,世界選手権出場ライダーを次々と生み出した92年チーム>

 

連盟でオリンピック競技へ向けての準備が始まっていた頃でFOⅩでも日本を代表するライダーが揃いました。

 

横須賀大会の次年度、岡山県建部町で開催された全日本選手権は世界選手権出場選考レースでもあり、FOⅩから2名のライダーがオランダへの世界選手権出場の切符を手に入れました。横須賀市スポーツ栄光賞を受賞。

 

チームカラーも96年チームのような「学校で知らない人はいない!」「BMXやってなかったら、おまえら絶対番長だろ!」というようなワンパク少年が多く在籍していたFOⅩから、真面目で大人しい子が多いチームとなりました。

 

だから、怪獣の名前を付けられる事も、「鼻血が出てるぞ!」といじられる事も、ズボンを脱いでおケツを見せる事も、チューブビンタも、「ワイルドキャットにジャージの背中のYOKOSUKAの文字を見せつけろ!」「ウイーナンバーワン!FOⅩゴー!」のファイテイングコールも、根性と闘志むき出しも、無くなって来ました。

 

また、父兄も「団結するちびっこギャングの子ども達」を周りから皆で見守る全体主義から、個々の家庭で行動する個人主義へと変わってきました。

 

レース中に大人達が立ち入る事の出来ない、ライダーだけの聖域であるパドックが消えたという事です。

 

パドックとは野球で例えるならばダックアウト、ライダーの待機場所です。レースを走り終えたライダーはチームメイトの元へ行き勝利の喜び、敗北の悔しさを分かち合っていたのです。

 

それが家族の元へ行き、コーチ面した父親が自分が走ってもいないのに能書きを言うというムードに変わってきました。

 

 

横須賀湯ノ沢BMXトラックが横横道路のサービスエリア建設の為に閉鎖。

 

代替え地を探すが見つからず造成中の「うみかぜ公園」内にBMXコースを作るという事で横須賀市との話が進みました。

 

 

最強のライバルであった東京ワイルドキャットのボス平木さんが若くして亡くなられ店が閉店し、80年代のチーム文化(相撲部屋文化)も崩壊し始めました。

 

燃えるワイルドキャットのホワイトWのジャージも見なくなりました。

 

 

JBMXF全日本BMX連盟の役員も自転車屋からライダーの親へと世代交代が進みました。

 

。。。。。。

 

 

 

自転車屋のお兄さん達が近所のワンパクを集めて始まった80年代のBMX創世記。

 

それは自分自身が子供の頃、「めいっぱい男の子であった時代」への恩返しだったように思えます。

 

私にだって86年チームのライダーのような「めいっぱい男の子」の頃があったのですよ。

 

 

 

。。。。。。。。。。。。

 

 

 

8月7日に集まってくれた伝説のライダーの紹介をしましょう。

ギャオスがいた「泥臭く全力で頑張った86年チーム」が中心となって集まりました。

 

 

らっきょ>

 

86年チームのリーダー。横浜港南区から来ていて、口数が少なく寡黙だが勝つ事にとても純粋なライダーでした。彼の根性走りが後輩の小学生達に大きな影響を与えました。

 

レースに負けるとヘルメットを叩きつけ!自転車をぶん投げるのは彼です。

 

小学5年生からBMX自転車に乗って、横浜から毎週日曜朝6時から始まる練習に来ていました。

 

一学年上にシンゴリラという優勝常勝のチームのトップライダーがいて、彼を目標に頑張りました。

 

「シンゴリラ」と「らっきょ」のツートップが勝つ事にこだわるチームカラーを作りあげました。

 

二人とも主役となって編集されたTV番組に出ています。

 

 

また、横須賀中央メイン通りで行われた1987年横須賀市市制80周年記念パレードで2階の高さまで飛ぶハイジャンプを披露したのは中学生となったこの二人です。

 

 

でも、らっきょは中々優勝できませんでした。

 

トップで来てもゴールライン手前で力みクラッシュする!一回や二回ではありませんでした。

ゴール前に魔物のがいるのではないかと思うほど何回もでした。・・・そして、そのたびに暴れる!

 

らっきょが負けると暴れるのはチームメイト全員が知っていたので、彼がパドックに戻ると小学生は皆、緊張しました。

 

ちなみにシンゴリラは負けると静かに目を閉じて自分の世界に入る。

 

一人で静かなシンゴリラ!暴れるらっきょ!そして泣くギャオス!……面白かったなぁ。

 

 

らっきょは初優勝してから快進撃が始まりました。チャンピオンシップレース5連覇!地区レースでも敵なし!

 

シンゴリラとは年齢クラスが違ったので直接対決はあまりありませんでしたが、ふたりが対決する日がやって来ました。

 

打倒シンゴリラ!に全身で闘志を燃やすらっきょと、自分よりキャリアも少ない年下のらっきょ!からの挑戦を受けるシンゴリラ!

 

舞台は山梨県白州遊園で開催されたチャンピオンシップレースでした。

 

小柄なキン肉マンであるシンゴリラより一回り大きくなった、ごっついらっきょ!

 

結果はガッツポーズでゴールするらっきょ!静かに深呼吸しながら2位でゴールするシンゴリラ!でした。

 

その後、シンゴリラはあまり来なくなり、大きな目標を失ったらっきょもBMX熱が次第に冷めて行きました。

 

 

個人競技であるBMXは通常このように2トップが生まれるとお互いが意識しすぎてチーム分裂も考えられるのですが、FOⅩがチーム内チームという6つの班に分かれていて、それぞれにキャプテンがいて、二人ともキャプテンであった事が幸いしました。

 

トロイカ体制を取っていたという事です。

 

また、パドックでは二人とも意識して離れて座っていると思っていましたが、いつも近くにいました。

 

らっきょはいつも先輩シンゴリラに対して少し下がって座っている事に気が付きました。彼流の先輩を敬う仁義だったのでしょう。

 

そして、パドックにいつも元気を与えていたのがギャオスです。応援の声も大きく年下のライダー達もギャオスを見習って大声でチームメイトを応援していました。口数少ないシンゴリラ、らっきょに、ギャオスの進軍ラッパ!

 

ブルーシートの上に靴を脱いでみんなで座り、チーム旗を掲げるFOⅩの「お花見パドック」はレース場の名物でした。

 

 

ちなみに宿敵の東京世田谷のワイルドキャットは組み立て式のテーブルでお洒落にモーニングコーヒー。

 

ベンツで来るフャミリーや彼女を連れたライダーもいて……。

 

「絶対、ワイルドキャットに負けるな!横須賀の根性見せてやれ!野郎ども~~~」

 

 

。。。。。。。。。

 

 

 

らっきょの歌♪(ウルトラQ・大怪獣の歌)

バームを砕き!ジャンプをぶっ壊し、地鳴りと共にやって来る!

バラセンに突っ込み!ヘルメットをぶん投げて、全身血だらけやって来る!

頭蓋骨をひびいかせ!記憶喪失、救急車と共にやって来る!

らっきょ!らっきょ!テンパらっきょ!

 

 

シンゴリラの歌♪(アラベスク・恋のメリーゴーランド)

目をむき出して口をとんがらせ!ぶっちぎれ!ぶっちぎれ!シンゴリラ!

 

 

ギャオスの歌♪(鉄人28号の歌)

レースの前にギャオ~!レースが終わってギャオ~!

今日速い?僕速い? ギャオ~!と鳴いてるギャオス!なぜ?勝てないの~

スーパーで買い物ギャオ~!日付見ながらギャオ~!

これ古い?これダメだ? ギャオ~!と鳴いてるギャオス!なぜ?買わないの~~

 

 

応援歌というより、おちょくった歌であったのです。

 

ちなみにらっきょは地元での自主練習中に頭を打って記憶喪失となり入院した事があります。

 

記憶喪失の入院は彼だけではありません。その後、数人のライダーが入院しお見舞いに行きましたよ。

 

店には奥様と1歳9カ月となる可愛いお嬢さんを連れてきてくれました。

 

 

 

モグジュニ>

 

86、89年チームメンバー。

ライダーネームの由来は先輩ライダーにモグラというライダーがいて、彼に似てるという事で付けられたモグラジュニアです。

 

三浦市から来ていた可愛い小学生ライダーでした。とても優しい心を持っているのでチームの人気者でした。

 

入団して間もないころ朝練の終了後、チームメイトと自主練習中に「転倒して泣き止まない」とチームキャプテンだった高校生のタケゾーが店に助けを求めに来ました。お母さんに連絡してコースへ行き、どこが痛いのか聞きましたが「わからない」と泣き続けるばかり。

 

お母さんに連れられて帰りましたが三浦市民病院に入院したと聞いたので夜、病院にお見舞いに行きモグジュニの家へ謝りに行きました。

 

建設会社を経営するお父さんはロックグループのキャロルのジョニー大倉さんに似ている人で番長だけが持つ雰囲気を持った人でした。

 

男気溢れるお父さんに監督不行き届きを詫びましたが、とても優しい言葉で元気付けてくれました。

 

その後も父兄の良きリーダーとなってコース作りや観光バスの手配、青少年の家での合宿の準備等をして下さいました。

 

モグジュニは優勝するような速いライダーではありませんでしたが、一生懸命走る姿が皆の感動を生み、いつも大声援でした。

 

鎌倉のマウンテンバイカーの青年がBMXレースを観戦したいと愛知県岡崎で開催されたレースに便乗した事がありました。

 

 

モグジュニの走りに心から感動し、新チーム「チーム鎌倉トマホーク」を結成しました。

 

虐げられた子ども達よインディアンの斧(トマホーク)を持って立ち上げれ!というコンセプトでした。

 

その後、FOⅩの強敵となって成長するのですが、モグジュニの走りを見なければチームは生まれなかったのでしょう。

 

それにしても「トマホーク」は横須賀市民にとって米軍のミサイル!

 

「ミサイルを打ち落とせ~~~!バカヤロ~~」

 

 

ちなみに三浦市生まれのモグジュニはお化けを全く怖がりませんでした。夏の肝試しに怖がるライダーを尻目にあっけらかんとしていました。

 

数年前、モグジュニが三浦市青年会議所(JⅭ)の会長として新聞に載っていました。お父さんの建設会社を継いで社長さんです。

 

優しい心、一生懸命に取り組む姿勢と人望が多くの人の信頼となったのでしょう。

 

 

モグジュニの歌♪(鉄腕アトムの歌)

ジャンプでこけて記憶喪失、ここはどこだ?ベット(病院)の中だ!

心優しい三浦市の子、10万モグリキ(力)頑張れモグジュニ!

 

。。。。。。。

 

 

イノサン(86,89年チーム所属)

クリボ(86,89,92年チーム所属)

アンパンマン(89,92年チーム所属)

笠島君(92年チーム所属)彼の時代にはライダーネームがなかったのです。

 

後の4人のライダーの事は次回に書きます。

 

 

P、S、

 

今やったら「イジメで大問題」となるような事も、実にあっけらかんとやっていたのが当時の横須賀FOⅩでした。

 

おおらかでワンパクで、小さなことで傷つくな!スケールの大きな男となるのだ!

 

「それがどうした!ぼくドラえもん」の精神です。

 

 

年末の恒例行事クリスマス会もそうでありました。

 

スーパーライダー(最優秀選手賞)

ガッツライダー(努力賞)

アクションライダー(技能賞)

 

ワイルドライダー(一番のワル)

アイドルライダー(一番の怠け者)

ダンムライダー(一番トロクてマヌケ)

ドンケツライダー(一番のろい)

 

ライダーの間で投票で行われました。

大人の選挙権とは逆で子どもにしか投票権は与えられませんでした。

 

スーパーライダーとドンケツライダーのトロフィーが一番大きく。

ドンケツライダーのトロフィーの上には「牛歩」の意味が込められて牛が乗っていました。

 

上位3賞は名誉の表彰でしたが、下の4つは大爆笑の表彰式でした。

実はこの表彰はチーム誕生の時からの恒例行事だったのですが、下の4賞が誕生したのはアメリカ人キッズ達のいた83年チームからです。

 

アメリカンスクールでは卒業式で一番の「お調子者バカ」を皆で投票し、盛り上がるのだと言っていました。

 

アメリカ人がいた時のパーティは騒がしく大暴れ!益子さんがプレゼントに持ってきた玩具のピストルで日米対抗銃撃戦が始まりました。

 

また、食事も皆が持ち寄った食い物を大雑把に盛ってあるものを食い散らかす。早いもの勝ちでした。

 

誰誰の分など公平に分けたものではありませんでした。公平さは大人によって与えられるものではなく、自分達で考えろ!

 

そこが又、クレージーで面白かったなぁ……。

 

次回へ続く。

 

 

忘れられない高校野球!

前回のブログで敗戦の悔しさと自己嫌悪にカンシャクを起こし暴れるのも良いではないか?とふざけた事を書きましたが、私は悔しさを露にした選手を一度だけ見た事があります。

 

清く正しく美しくを信条とする高校野球ファンからしたら、あまり褒められるような行動ではなかったと思いますが、私は彼の悔しさが手に取るように分かり感じ、むしろ…「もっと、暴れろ!自分の思いの丈を吐き出せ!」と心の底から彼を応援したい気持ちにかられました。

 

高校野球は高校3年間という限られた時間の中で、敗北感、自己嫌悪、後悔等の悔しい思いを知る事のできるスポーツだと思って、いつも観戦させて頂いています。

 

観客にとっては多くある試合のひとつの出来事も、当事者である選手にとっては青春時代の一生忘れられないの想い出となるからです。

 

。。。。。。。

 

 

☆2012年 保土ヶ谷球場、武相高校vs日大藤沢高校。

 

2対2でむかえた9回裏1アウト満塁。

日大藤沢高校の攻撃でサード上空に上がった内野フライにインフィールドフライが宣告されました。

 

これで2アウト満塁。武相高校の内野陣は次なる作戦を練るために集まりますが、その間に日大藤沢高校の3塁ランナーが進塁し、ホームベースを踏み試合終了というユーチューブ動画でも話題となった試合です。

 

日大藤沢高校の選手は勝利に喜びながら試合後の挨拶に整列しますが、武相高校の選手はタイムをかけていた事を審判団に抗議し、誰も整列しません。

 

日大藤沢高校の選手は一旦ベンチに引き上げ状況を見守ります。

 

球場内は両校の応援席から怒涛の大声ヤジが飛び交い嫌なムードになります。

 

私が高校野球観戦で一番観客に怒れた時です。

 

 

高校野球観戦(高校生以外の人)のルールは試合に口出しをしない事だと思っています。

 

だから、高校野球観戦に拍手や声援はあってもヤジは絶対にあり得ない事なのです。

 

ましてビールや酒を飲んでの観戦など言語道断!

 

 

高校生同士の罵倒は(いけない事だと思いますが)彼等の問題なのと、自分たちで解決しろという気持ちから、あっても良いと思っています。

 

私にも高校時代はあったのだし、いけない事から学ぶ経験も多々あったからです。

 

 

武相高校選手の抗議、ベンチで成り行きを見つめる日大藤沢高校の選手。観客席のアホな大人やOBの下品なヤジ!

 

 

両校応援団と控え選手はお行儀がよく「さすがに甲子園出場経験のある伝統校は違うな」と思いました。

 

数分間の抗議の後、主審から場内へプレイの説明(ボールインプレイ)があり試合終了のサイレンがなりました。

 

 

両校整列の挨拶の時、最後まで悔しさを露にする選手が目に入りました。

 

好投を続けた武相高校のピッチャー君です。

 

怒りの声も聞こえ礼もそこそこに、チームメイトになだめられながらベンチへと向かいました。

 

 

日大藤沢高校の勝利の校歌が終わった後、武相高校ベンチ内から怒りの声が聞こえました。

 

納得の行かないゲームセットに彼は純粋な気持ちを抑えられなかったのでしょう。

 

 

やりきれない悔しさにカンシャクをおこす。

 

私がBMXレーシングチームを率いていた時も頑張った選手(優勝を狙える選手)ほど負けの悔しさを露に暴れたものです。

 

ヘルメットをぶん投げ!大声をあげる!

 

 

プロ野球の選手もグローブを投げつけ!ベンチの壁にパンチして骨折した選手がいるではありませんか…。

 

恥ずかしながら……私自身も青春時代にカンシャクで骨折の経験もありますし、自己嫌悪と悔しさで家の柱が歪むほどの大暴れの経験はあります。野球ではないですが……

 

 

青春時代とは「敗北感の記憶だ」とも思っています。思い通りにならなかった事の後悔と悔しさ。

 

一生懸命やればやるほどその悔しさは大きくなる。

 

 

私は多くの高校野球を見せて頂きましたが、この武相高校のピッチャー君への思いが一番強く心に残っています。

 

彼の素直さと純粋な気持ちが痛いほど伝わって来たからです。

 

 

今、どんな社会人となって活躍しているのでしょうかねぇ?

 

私は彼が高校野球や少年野球の指導者や監督になって欲しいなぁ…。と、思っています。

 

きっと、選手の悔しい気持ちをよく理解して指導して下さると思うからです。

 

。。。

 

また、この試合には選手の怒りの伏線がありました。

 

1対1の接戦が続く6回表(だったと記憶しています)武相高校攻撃ランナー1塁でレフトへ打った打球がダイレクトキャッチと判定されアウトになります。またこの判定が遅く、ランナーは戻る事が出来ずWプレイになるというシーンです。

 

アウトと判定されましたが私が見る限りにおいてワンバウンドしていました。

 

審判は絶対なので判定に従わねばなりませんが、すぐに塁審が判定(コール)していればランナーも戻る事ができてWプレイは避けられたかもしれません。

 

 

そして、もうひとつ9回表2対1でリードされていた武相高校の攻撃でのホームベース上でのクロスプレイ。

 

セーフの判定。これはアウトでした。私はこのプレイが良く見える3塁側の前の席で見ていたからです。

 

たぶん、主審は6回のレフトフライがワンバウンドだった事を知っていたから、武相高校におまけしたのかなぁ…とも思いました。

 

アウトと判定されればここで試合終了であったのですが、2対2同点となり試合は続いたのです。

 

。。。。。。。

 

 

高校野球ニュースや新聞マスコミは上手に編集するなぁ…と、いつも思っています。

 

この試合もそうでした。

 

 

選手の後悔の逆鱗に触れるようなプレイを掘り下げないからです。

 

ここがプロ野球報道との違いだとも思っています。

 

 

今年の横浜vs東海大相模の決勝でも9回裏の東海大相模校高校の「少々焦ったと思われる守備のプレイ」が、決勝サヨナラを生んでしまった事は大きく報道されませんでした。

 

きっと、東海大相模高校の選手にとっては大きな後悔で、悔やんでも悔やみ切れなかった事でしょう。

 

そして、そのひとつのプレイが選手の一生の記憶となり、いつかそれは良き青春時代の美しい想い出として昇華され「大きく花開く時が来る」のだと思うのです。

 

 

高校野球で学ぶ「敗北感」「悔しさ」「自己嫌悪」……

 

観客である私はそんな彼等が羨ましくてなりません。

 

 

。。。。。。。

 

 

高校野球の決勝戦は今までに3回観戦したことがあります。

 

☆1976年 全国大会甲子園球場 桜美林(東京)vsPⅬ学園(大阪)の東西対決。

 

「オビリン、チャチャチャ!」と「打て!打て!PⅬ‼」の人文字応援が良く見える外野のスコアーボード横からの観戦でした。

 

観客席は80%が地元PⅬ学園の応援でした。

 

延長戦の末、レフトに大きく上がり外野フェンスに当たった打球をPⅬ学園のレフト君が取りそこね、桜美林高校のサヨナラ勝利となりました。

 

当時の甲子園球場はラッキーゾーンという厄介な金網フェンスがあったのです。

 

フェンスに当たったボールは素直にバウンドせずレフト君を困らせました。

 

閉会式の選手場内一周セレモニーでPⅬ学園のレフト君はうな垂れて目に涙をいっぱい溜めながら行進していました。

 

 

 

🌻当店担当のメリダの営業が桜美林高校のOBだと知り驚きましたよ。

 

 

。。。。

 

 

☆2005年 神奈川大会横浜球場 桐光学園vs慶応高校

 

前半、慶応高校がリードするものの桐光打線が爆発し逆転勝利。

 

優勝決定した時、応援スタンドのてっぺんで大団旗を掲げていた桐光学園応援団旗手が歯を食いしばって泣いていたのが印象的でした。

 

カッコ良かったなぁ……。ちなみに私は大団旗様の旗の下で夏の風を感じながら観戦するのが好きなのです。

 

 

。。。。。。。。

 

 

今年の横浜高校vs東海大相模高校の決勝戦。試合時間1時間40分という投手戦の好試合も一生忘れないだろうなぁ・・・・。

 

 

 

 

P、S、

 

海の向こうのツールドフランス自転車レースよりも高校野球!

 

ショーワの夏は店内ミュージック♪もコンバットマーチ!

 

地元には野球部、ブラスバンド部、応援団、そしてOB達がいっぱいいるのですよ。

 

横浜高校、東海大相模高校OBもいますしね。

 

 

。。。。。。。。

 

 

裏話を聞くのもこれまた楽しい。

 

横須賀高校、逗子高校で監督をされていた先生から聞いた話。

 

「なぜ?試合前のシートノックの練習は7分なのか?」

 

答えはスコアーボードのBSOの青黄赤の7つのランプにありました。

 

 

横須賀消防レインジャー部隊の元高校球児さんから聞いた話。

 

「なぜ?母校のユニフォームのストッキングに3本ラインが入っているのか?」

 

それは、甲子園への出場回数だそうです。

 

 

 

また、今年の試合を最後に卒業する野球部員に聞いた話。

 

ブラスバンドの応援マーチは大きな励みで自分の好きな曲を聞いて来て、それを練習して「選手のテーマ曲」として野球場で演奏してくれる。 感謝と共にとても感動したそうです。

 

 

。。。。。。

 

 

そう言えば、30年以上も前の話ですが・・・・

 

BMXレースの全日本選手権で大阪に向かっていた真夜中の東名高速道路足柄サービスエリアで横浜商業高校(Y校)の甲子園行のバスと遭遇した事がありました・・・

 

選手、ブラバン、バトン部、応援団、またまた父兄、応援の人達を乗せた大型バス20台以上が駐車場に入って来ました。

 

同じ全国大会に向かう者同志だと思いましたが、高校野球の規模の大きさに驚きました。

 

坊主頭の野球部員がサービスエリアにいる多くの人から「がんばれ!」と声を掛けられていました。

 

 

BMXの選手には誰も声を掛けてくれない・・・・うう。

 

それに……BMXの我が横須賀フォックスはいつも観光バス1台だけだっただし。

 

 

 

横浜vs東海大相模!頂上決戦22

高校野球神奈川大会、横浜高校vs東海大相模高校の試合を決勝で観戦する事は私の長い間の悲願でした。

 

決勝戦でこの2校の対戦が決まっても店が定休日でなければ行けませんし、切符を買えなければ入場できません。

 

また、激戦区の神奈川県で両校が決勝で当たる事は数年に一度です。

 

特に今年の予想では桐光学園、桐蔭学園が優勝候補にあげられていましたし、両校とも第一シードではありませんでした。

 

 

神奈川県はベスト8以降は横浜球場で開催され、入場券も前売りで当日券はありません。

 

だから、まだ対戦カードの分からない決勝戦の切符を数日前に買うしかないのです。

 

その切符の買い方が面倒で爺には全く分かりません。

 

高野連の爺達に文句を言って暴れてやろうと思いましたが、娘が買ってくれるというので定休日に開催される「まだ対戦カードの決まらない切符」を手に入れる事ができました。

 

 

準決勝で横浜高校が決まり、東海大相模高校が接戦の末に横浜創学館高校(YTⅭ)に勝ち両校の対戦が決まった時の嬉しさは何とも言えぬものでした。

 

先月、中高からの同級生(高校教師)の旅立ちに悲しい気持ちが続いていましたが、久しぶりに感じる喜びでした。

 

きっと彼が天からプレゼントしてくれたのだ!と思う事にしました。

 

 

 

数年前も2校頂上決戦の観戦チャンスはあったのですが、朝まで降った雨の為に順延され、それを知らずに球場まで行き現地でガッカリした事もあり、当日まで天気の心配とワクワクに眠れぬ日が続きました。

 

両校とも好きな学校なのでどちらを応援という事もないのですが、横浜高校野球部は甥が松坂選手卒業後にいた事もあるし校歌は歌えるし、どちらかと言うと横浜高校ビイキなのでしょう。

 

ちなみに東海大相模高校の校歌は何度聞いても覚えられません??

 

不思議だが本当だ。

 

 

。。。。。。。。。

 

 

試合は投手戦。両校なかなか得点が出来ず試合は緊張感の中で続いて行きましたが、ユニフォームも応援マーチも一度に見る事ができるし、感動が二乗三乗と膨れ上がりました。

 

 

一塁側の席だったので横浜高校の応援生徒席がまじかに見えました。

 

チァガールが可愛いすぎる!

 

全身がキピキピと一糸乱れずの素晴らしいダンス応援でした。

 

また、リーダー部(指揮を執る男子)にボーイッシュな紅一点の女子高生がいて彼女の進行、応援席をシャキシャキと動きまくり生徒を指導する姿に感動しました。

 

騎馬立ち、突き!それがそれがカッコ良すぎる!

 

私が見る限りにおいて今や県下最強の応援団でしょう。

 

🌻今日は朝から横浜高校の応援ユーチューブ動画を見入っています。

 

 

 

それに引き換え……東海大相模高校の応援にかつての迫力がないように感じました。

 

東海と言えば「T、O、K、A、I、トォカイサガミ~~♪」に始まる大応援!

 

70年代にコンバットマーチを先駆け、バトン部(昔はこう呼んだ)は華々しく球場を盛り上げたものです。

 

でも、今年はチアガールは横浜高校より少ないし、東海大相模高校は女子高か?と思わせるようにリーダー部に男子の姿は見えない。女性応援団長が頑張っていました。

 

 

応援団には「鬼だるま」と呼ばれる身体と声のでかい強面や坊主頭の応援団員がいて、進軍陣太鼓と大団旗と共に敵校をビビらせるものですが、その迫力が伝わらない。

 

それに、全校応援じゃないのかな?と思わせるくらい一般生徒の数が少ない。

 

 

 

試合は0対0で迎えた9回裏2アウトランナー2塁からのサヨナラヒットで横浜高校劇的勝利。

 

通常勝利校は守って最後の打者をアウトにして勝つのですが、サヨナラの場合は攻撃中の突然の勝利になるので観客席の盛り上がりと雄叫びは大変なものでした。

 

「おい、おい、コロナウイルスは飛び散ってないだろうな!」

 

 

 

東海大相模高校……敗戦の時に内野手全員が崩れ落ちた気持ちは本当によく分かりますが、横浜高校勝利の校歌斉唱の後、ベンチ前のグラウンドで泣き崩れていた部員達。

 

 

「大観衆が見てるんだぞ!泣くんだったら見えないベンチに下がって泣け!」

 

「敵の前で涙を見せるな!来年の逆襲に向けてツッパレ!」

 

鬼だるまの応援団長がいたらきっと大声でカツを入れただろうな!そして学校に帰ってから2年生1年生を集めて根性注入ケツバット!来年は絶対負けるな!

 

 

応援団は自分がやってもいないのに偉そうなのです。

 

本当に困ったものだ。

 

クエッ、クエッ、チョンワチャンワ!

 

 

押忍

 

 

 

 

P、S、

 

高校球児は大変にお行儀がいい。

 

そこが私も好きなのですが、たまに悔しさと自己嫌悪で暴れる選手がいても良いのではないかと思っています。

 

1塁側のベイスターズベンチを壊すのはいけませんが、3塁側の阪神並びに他チームのベンチはボコボコにしてかまわないとも思っています?ついでに冷房機も壊してくれるとありがたい??椅子も座れない程壊してくれないかな???

 

3塁側のシャワールームの温水が出ないのもいいなぁ……

 

ついでに外野スタンド上に大きな扇風機を作って、ベイスターズ攻撃の時は外野に向けて風が吹き、阪神攻撃の時は内野に向けて風が吹く。

 

。。。。。。。

 

 

 

地元の横須賀高校野球部の生徒さん2人がクロスバイク、ロードバイクを買いに来て下さいました。

 

今年は鎌倉学園高校に負けたそうです。

 

来年は優勝して横須賀市初の甲子園に出場するようにガンバレ!

 

 

 

私の悲願は横須賀市内の高校が甲子園に出場する事と市内の高校全てに横須賀の名を入れて頂く事です。

 

横須賀三浦学苑、横須賀湘南学院、横須賀追浜高校、横須賀津久井浜高校……とね。

 

 

 

 

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