仕事がきついのでここで吐き出してみる | 小腸がなくても平気です!〜しょーへーのブログ〜

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23歳の時に「原発性小腸軸捻転症」という病気にかかり、それ以来小腸がない状態で生活している日々をゆるーく綴っていきます。

このところきついことばかりなのだが吐き出す場所もないので久々にこのブログに投稿してみようと思う。特に仕事がきつい。だが決して仕事量が多いわけではない。上司はとても良い人。昨日約4年ぶりにお会いした今は常務執行役員になった元上司もちゃんと僕のことを見てくれている。しかし仕事がきつい。仕事をしていないときは元気なのに仕事をしていると急にしんどくなる。どうしてこうなったのか。



4年前、ちょうど新しい元号が「令和」と発表された日、僕は自ら希望を出して部署を異動した。当時はまだ毎日会社に行っていた。今のように毎日在宅勤務になって僕が病むことなど当時は知るよしもなかった。それなりに仕事で悩むこともあったが、周りのメンバーに恵まれていて、何とか乗り切っていた。

3年前、武漢で未知のウイルスが発見されたと騒ぎになっていた頃、ポート感染で入院した。その時の採血で、クレアチニンの値が異常に高いことがわかった。クレアチニンが高い=腎臓が悪いを意味する。それまで毎月採血をしていたが、大学病院(そのときの入院先ではない)の主治医は何も言っていなかったのに、だ。

そして、海外でロックダウンをする国が相次ぎ、マスクが品薄になっていた頃、僕は腎臓の検査のために入院した。その入院中、点滴の量を一日900mlに設定された。ちょうど治験で点滴の量を減らしていた頃だったが、当時自宅では1200mlほどに設定していて、治験の前は2000mlも点滴入れていた。その頃の半分以下だ。当時の主治医がその量で良いと言ったようだ。

1回目の緊急事態宣言が発令され、世界中が未知のウイルスに怯えていた頃、組織変更で上司が変わり、案の定、退院後は座っているだけでもしんどくなった。仕事は在宅勤務で会社まで行く必要はなかったが、とても仕事ができる状況ではなく、休職することにした。

そして腎臓の検査の結果が出た。尿細管の半分が「焼け野原になっている」と言われた。原因はおそらく脱水。治験のため点滴を減らした結果だ。

同時に足首と腰が痛くなった。足首をかばうので歩きにくくなり、くしゃみをすると腰に激痛が走った。整形外科で骨密度を測定した。骨粗しょう症と診断された。同年代の平均と比べて骨密度が60%しかなかったらしい。こちらも原因は脱水。「イベ二ティ」という薬を一年間毎月注射することになった。

そして元号が「令和」になることを発表したガースーこと菅さんが総理大臣に就任した頃、僕は復職した。その年度の春に、会社の組織変更で上司が変わり、一緒に仕事をするメンバーも変わっていた。ほとんどが関西ではない、遠くに住んでいる人だ。会社からはなるべく在宅勤務をするようお達しが出ていたので、彼らとは画面を通じてしか話したことはない。まだ脱水の症状は出ているものの、少しずつ回復していた。



回復するとともに、業務の幅が広がっていった。しかしチームリーダーとソリが合わない。一度も会ったことすらなく、お互い在宅勤務で顔を合わせて話すこともない。チーム内に仲の良いメンバーもいない。息抜きをしようにも世の中が未知のウイルスに怯えていて気安く遊びに行けない。そして日本中がウイルスに怯え始めて1年ほどたったある朝、母の顔を見た瞬間、急に涙が止まらなくなった。

僕は心療内科に行った。心療内科で話を聞いてもらい、薬をもらった。話を聞いてもらった効果か薬の効果かはわからないが、とりあえず仕事は続けることはできた。しかしそれから4ヶ月後、東京オリンピックが無観客で開催されていた頃、会議の準備をしていた時、また涙が止まらなくなった。

僕は上司に相談した。担当業務を変えてもらい、違うメンバーと働くことになった。ちょうどその頃、新しい主治医に手術を受けないかと言われた。腸管延長術という、腸管に互い違いに切れ込みをいれて長さを長くし、吸収を良くするという手術である。大変な手術になると言われたが、僕は二つ返事で了承した。吸収が良くなれば身体も楽になるだろうと思ったのもあるが、それ以上に決めてになったのは、仕事を長期間休めるからだった。


長くなったので次回に続きます。