首途八幡宮の春の様子 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(4月13日のこと)です
桜井公園の隣には首途八幡宮(かどではちまんぐう)があります
住所・京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1
御祭神・誉田別尊・比咩大神・息長帯姫命
駐車場・なし

駒札

首途八幡宮かどではちまんぐう)

  宇佐神宮(大分県宇佐市にある八幡宮の総本宮)から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(神功皇后)を祭神とする。 

  もとの名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)」といい、平安京の大内裏(皇居や官庁があった場所)の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。  

  かって、この地には奥州(東北地方)で産出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸) は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、ここ で道中の安全を祈願して出発したといわれている。「首途(かどで)」とは、「出発」を意味し、この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。 

  このことから、特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。 

  京都市
(原文のまま)
首途(かどで)って、上記したように出発の意味ということですが、これって人生の門出と言うあの門出のことのようでした
門出で調べたら、首途の文字もありました
現在では「かどで」と言うと、門出の文字の方が一般的だから、この文字があててあるこちらの神社の意味と文字を照らし合わせると初めて成る程と思う次第でした😄

狛犬


参道

鳥居をくぐってすぐ右手にこんな花が

源平枝垂れ桃
紅白 咲き分け
バラ科 サクラ属
(原文のまま)


参道沿いに大きくはありませんが、このような木が点々と植わっていましたひらめき

源義経奥州首途之地


  武勇と仁義に誉れ高き英雄、源九郎義経(幼名牛若丸)は高倉天皇の時、承安4年(1174)3月3日夜明け、鞍馬山から、ここ首途八幡宮に参詣し旅の安全と武勇の上達を願い、奥州の商人金売橘次(かねうりきちじ)に伴われ奥州平泉の藤原秀衡のもとへと首途(旅立ち)した。この地に橘次の屋敷があったと伝えられ、この由緒により元「内野八幡宮」は「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。
時に源義経十六才であった。
源義経が奥州へ首途して以来八三〇年を記念し碑を建立する。
「雍州府志(ようしゅうふし)」 
貞享元年(1684)黒川道祐著 
橘次井在 西陣五辻南桜井辻子。相伝、此処 売金商橘次末春之宅地也。此井大而水又清冷也。 
源義経従橘次東行時、自此処首途。
平成16年9月吉祥日
 首途八幡宮奉賛会
(原文のまま)
関西は判官贔屓と言われるくらい、義経の肩を持ちますが、今読んでる永井路子氏の「はじめは駄馬のごとく ナンバー2の人間学」ではなんで義経がああいう末路をたどったのかが解説されていました
「鎌倉殿の13人」を見られていた方も分かられると思いますが、あのことがすでに1989年には書かれていたことは驚きでしたあんぐり
と同時に、さすが永井路子!鎌倉に強いなぁとも思いました😄

照手花桃
白 咲き分け
バラ科サクラ属
(原文のまま)

これは違う種類じゃなかったかな?🤔


源平花桃


アップで

二の鳥居

鳥居くぐった左手に手水舎
水が出るとこはやはり鳩( *´艸`)

何石?

道は三方向に分かれています
右の鳥居へ行くと辨天社があるようでした

左側の鳥居をくぐって上がって行きました

本殿
その横に授興所があり、御朱印の書き置きが置いてあります指差し

ボケの花?

次は右側の階段から降りて行きます

そこには花桃?

その下には祠があります

その上側


ここにも狛犬がいます




境内を出て、参道歩いていると、公園の椿と

残雪枝垂れ花桃
白 咲き分け
バラ科 サクラ属

もありました
こんな感じで、隣の公園には桜がいっぱい咲いてましたが、こちらは花桃はありましたが桜があるようではありませんでした😅

謎の地名?
この辺りを歩いてるとき、桜井町とは別にこんな表示も見つけました
で、調べてみるもこの地名無いんですよね!?🤔
五辻通り桜井町のことなのか?
この辺りには五桜町地蔵尊というのもあるようなので、もしかしたらそうなのかもしれません?大あくび

次回でこの日のことは終わります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ