前回からの続き(4月7日のこと)です
真如堂から金戒光明寺の三重塔ルートで戻って行きますその途中には、知る人ぞ知る
會津藩殉難者墓地
入って左に行くと幕末の会津藩藩主・松平容保公の像があります
幕末の京都の治安を守るために結成(採用)された新選組は有名ですが、彼らは自ら望んでその任についてます
片や会津藩の人たちは、幕府の命により遠く会津(現在の福島県)よりやってこられました
この頃の感覚だと異国の地にやってきたに等しかったのではないでしょうか!?🤔
そんな見ず知らずの土地で、幕府の命とは言え命を落としていかれた人の悲しさや、無念は計り知れないものがあります
例えそれが武士だとしても…
この近くを通ると、そういうことを思わずにはいられない場所です
先にもアップしてますが、墓地の中の桜を見ながら
三重塔に到着
そして京都市内を見渡す
と、金戒光明寺→法伝寺→真如堂→金戒光明寺というルート
知ってる方なら分かられると思いますが、この辺りちょっとした小山になってるので上って(法伝寺→真如堂)、下って(金戒光明寺)になります
何も考えずにいつものように歩いていたら、膝が悪い嫁さんが膝がダルいと言い出してしまいましたピーンチ
まだぜんぜん予定してるとこがあったのに💦
仕方ないので、帰ることにしようか!?と車を出しました
はてさて、レレレ家はどうなるのか!?
次回に続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ