久しぶりの清水寺へ(地蔵院善光寺堂) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(1月9日のこと)です
今回の目的は冬の旅で公開されてる成就院でしたが、少し時間が早かったのでまずは久しぶりの清水寺を参拝することにしました
実に9年ぶりでした泣き笑い
実はこの後、記事を書いていて、気になった箇所が何ヵ所かあったので再び2月に再訪しています🤣
なのでメインは9日のことですが、アップとかになってるもので2月23日のものもあります
だから一旦丹波国めぐりを挟んだ訳です😁
そんななので、みんな行ってる(知ってる)清水寺なのに長〜〜〜いです不安
気長にお付き合い頂ければ幸いです🙇

清水坂を上った先が、皆さんご存知の
清水寺
住所・京都市東山区清水1丁目
世界遺産
御本尊 十一面千手観音菩薩
HP 清水寺 

札所 西国三十三所霊場(第16番)
         洛陽三十三所観音霊場(第10〜14番)
         法然上人二十五霊場(第13番)
         洛陽六阿弥陀めぐり(第3番)
         神仏霊場巡拝の道(第117番、京都37番)
駐車場なし
歴史など
北法相宗は清水寺1寺のみ
宝亀9(778)年、賢心【けんじん・後の延鎮(えんちん)上人】が「木津川の北流に清泉を求めよ」との夢告を得て音羽山麓の滝にたどりつき、その地で長年修行を続けていた行叡(ぎょうえい)居士と遭遇
居士より観音力を祈りこめた霊木を授かり、その木で千手観音像を彫って居士の草庵に安置したのを開創とする
宝亀11(780)年、妻の安産を祈願してこの地に鹿を求めて来た坂上田村麻呂は、延鎮と出会って殺生の非を悟り、夫婦共に観音に帰依
仏殿を造立して十一面千手観音を祀る
昭和40(1965)年、元々は法相宗の寺院であったが、大西良慶和上により北法相宗を興して独立する
(以降も京都・世界遺産手帳参照)
以前の記事→清水寺 

ハッキリ言ってこちらの方がダイジェスト的にあっさりと見れます🤣

境内図

まずは上がったところを左へ行きます
地蔵院善光寺堂
御本尊 如意輪観音
札所 洛陽三十三所観音霊場(第10番)
御朱印は清水寺の朱印所で頂けます

駒札
 16世紀中頃に描かれた清水寺古図「清水寺参詣まんだら」には、この場所に六地蔵の石仏が安置され、小堂が建つ。この小堂が地蔵院の前身と考えられる。また奥の院の南庭に建つ美しい御堂は、長野善光寺の本尊を勧請した善光寺如来堂と思われる。
 以来、観音信仰の盛行によって地蔵院に如意輪観音(鎌倉時代作)が祀られ、洛陽観音第10番札所として洛中洛外の尊拝を博し、堂正面に「洛陽第十番 如意輪観世音 地蔵院」の額を揚げている(洛陽観音第11番は奥の院、第12番は本堂、第13番は朝倉堂、第14番は子安の塔である)。
 明治中期の境内整理によって善光寺如来堂を合併し「善光寺堂」を称してきた。
 如意輪観音坐像を中央に、向かって右側に善光寺阿弥陀三尊像、左側に地蔵菩薩立像を安置。
 現在の堂は昭和59(1984)年の改築である。
 なお堂右手前の「首ふり地蔵」は、願い事のある方向に首をまわして拝めば願いが叶えられるといわれ、江戸時代以来、衆庶の深甚な信仰を伝統している。
 音羽山 清水寺
(原文のまま)

洛陽十番 如意輪観世音菩薩

本堂
中に入ってお参りすることも出来ます

斜めから

本堂の前には首振地蔵
祇園の幇間(たいこもち)であった鳥羽八(とばはち)という人物を祀ったと伝わる
360度首を回すことが出来るため、借金で首が回らない人が借財苦から逃れるよう祈ったり、想い人の方角に首を向けて祈ると恋が叶うなどと云われているそうです
今では主に恋愛成就がメインとなっいるようですね😌

清水寺へ向かいます
仁王門の手前左側にあるのが
馬駐(うまとどめ・重文)
室町時代の建物
ここで下馬して馬を繋ぐ場所だった
応仁の乱後に再建

全然手前で済んだでしょ!?
この様に、この後も遅々として進ません!🤣
小出しにするつもりではないのですが、見るとこも多いためこんなことになりました😵‍💫
そんなですがよかったら、お付き合いください😌
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ