声明の修練道場として開山したお寺-秋の特別公開-(来迎院) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(令和4年11月26日のこと)になります
いよいよ来迎院です
第58回 京都非公開文化財特別公開 その4です

蓮成院から上がって行くと、すぐに参道入り口があります

辺りはこんな感じで紅葉

来迎院
住所・京都市左京区大原来迎院町537
御本尊 薬師如来
札所 京都洛北・森と水の会ご朱印巡り(スタンプ形式)
駐車場なし
こちらは以前伺っています→来迎院 

歴史など
最澄の弟子・慈覚大師円仁によって仁寿年間(851〜854)に声明の修練道場として大原に創建
この声明、経文に楽曲をつけて歌詠するもので、音楽的な色彩が強く、邦楽に強く影響を与えたというものだそうですびっくり
天仁2(1109)年、良忍上人が来迎院を建立
創建当時は三尊院と称した
応永33(1426)年、火災で焼失
その後、大原は上院来迎院と下院勝林院を中心として坊が集落化する別所となり魚山大原寺(ぎょざんたいげんじ)と総称される
(由緒書きより)

聖應大師良忍上人御廟

山門

駒札
 来迎院
 魚山(ぎょざん)と号する天台宗の寺院で、仁寿年間(851〜854)に円仁(慈覚大師)が、唐で学んだ梵唄(ぼんばい・梵語の仏教歌謡)などの声明(しょうみょう)の修練道場として創建したものである。声明とは、インドで始まった学問の一つであるが、日本では仏を讃える歌謡や経を読む音律として広がり、仏教のほか民謡などの日本音楽にも大きな影響を及ぼした。
 その後、平安時代末期に、融通念仏の開祖・良忍が再興して、円仁に始まる声明を大成した。この声明は、魚山流と呼ばれ、以後、天台声明の根本道場として栄えた。
 本堂には、藤原期の薬師・阿弥陀・釈迦三尊仏(重要文化財)を安置し、寺宝として、伝教大師の得度や受戒に関する文書類三点を一巻とした伝教大師度縁案並僧網牒(どえんあんならびにそうごうちょう・国宝)などを蔵するが、現在は東京国立博物館に寄託している。
 山道を更に約200メートル上がった所には良忍が声明を唱えていると、声明の音律と融合して水音が消えたといわれる音無の滝がある。
 京都市
(原文のまま)

山門くぐった正面で特別公開の受付がありました(その建物は会館だそうです)
常はその右側のところが受付となり、御朱印もそちらで書いて頂くことになります
今回はいつもの同じかもと思い、頂いていません🙇

拝観券

由緒書き

会館の手前の左側にもちょっとした休息スペース

境内案内図

登り口にあった境内図

参拝入口を入ると、石垣の上に本堂が見えます

この階段で本堂へ
トイレはこの階段の右側にありました指差し

階段の先に見えるのは鐘楼


鐘楼
市重文
藤原国次作
室町時代【永享7(1435)年】
(由緒書きより)

その後ろに山茶花?が咲いていました

本堂
室町時代中期諸堂焼災
室町時代後期【天文2(1533)年】再建

本堂の中はこのようになっています
(特別公開看板より)
御本尊の薬師如来(国・重文)と
釈迦如来(国・重文)
弥陀如来(国・重文)
全てが藤原時代の重文の仏像です
脇侍は不動明王(左)と毘沙門天(右)
天井の天女も立派なものです
外陣には
左脇壇に慈覚大師坐像・元三大師画像・聖応大師坐像
右脇壇に徳川歴代将軍尊霊
これは江戸幕府の御朱印寺として幕府より寺領を授かっておられたからだそうです
これはいつもあるものですが、この本堂内に特別公開されるものが展示してありました
その中に国宝の日本霊異記(にほんりょういき)が展示されるということで見たくて行った訳です
複製だし、漢文だったので、こんななのかぁで済んでしまいましたがww🤣
上記の日本霊異記を紹介した本もあります
図説日本の古典 日本霊異記
古来より民間に伝承された怪異な物語を用いて因果応報の理を語り、仏道への帰依を促した説話集
と帯にあります
仏法説話集
編者 景戒(きょうかい・薬師寺の僧)
平安時代前期
日本最古の仏法説話集で、正式名称は「日本国現報善悪霊異記
その書の名の通り、仏教の因果応報、特に今生のうちに現れる現報の恐ろしさを説き、さまざまな霊異譚を収録している
(国語便覧参照)
何かの本で、この本ただの説話集でなく、道鏡にまつわるとんでもな話など市井で噂されてたような話も載っているようなことを読んでいて気になったのでメルカリのセットで格安で買いました
( *´艸`)

本堂前

動画も撮ってみました


本堂から見て、左側を少し上がったとこに

鎮守堂・地蔵堂

今回は撮り忘れてますが、獅子飛石という、獅子が良忍上人の唱える声明の調べに陶酔して、堂内をかけめぐり岩になって残ったという石が残っています
前回撮っているので、気になった方はそちらを見てください😌

そこから見た本堂

良忍上人の御廟へ向かいます

律川を渡ります

上流側
この上に音無の滝があります

下流側
この下に三千院などがあるわけです指差し

渡ったとこに無礙燈の石碑

そこから少し行くと御廟がありました

良忍上人三重石塔(国・重文)

鎌倉時代
良忍上人
1073〜1132.2.1
生地 尾張(愛知)
別称 聖応大師
宗派 融通念仏宗
平安後期の融通念仏宗の開祖
天台大原魚山声明中興の祖
13歳で比叡山に登り、出家
比叡山にて学びながら、堂僧(念仏合唱僧)を勤める
修行の地を求め大原にて隠棲
38歳で来迎院を建て、止住
三昧行に精進される
永久5(1117)年、46歳の時、念仏三昧中に阿弥陀仏から融通念仏の教えを授けられたという
天承2(1132)年、60歳で来迎院で入寂
(由緒書き、朝日日本歴史人物事典、仏教人物の事典参照)

そこから見た参道を望む

戻って、本堂の横へ出てきました

山門内側から見た紅葉
常も御本尊は拝観出来るので、仏像が好きな方は伺ってみられるのもいいかもしれません
三千院辺りは賑やかですが、少し山を登ることになるので静かなとこです照れ

次回は律川の上流にある音無の滝へ向かいます
日曜日にアップした京の冬の旅の記事で、頂いた御朱印のことを貼っておくの忘れていたので追記しました🙇
気になった方はお手数ですが、読み返してみてください🙏
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ