私は重大なことがあると、世田谷区の松陰神社に行き、私が尊敬する吉田松陰先生に会いにいきます。以前 | 松陰のブログ

松陰のブログ

ブログの説明を入力します。

私は重大なことがあると、世田谷区の松陰神社に行き、私が尊敬する吉田松陰先生に会いにいきます。以前、童門冬二著の『小説・吉田松陰』という書籍を読破しました。こういう状況下には、私の心の師である吉田松陰先生のお話が一番です。以前、NHKで司馬遼太郎著の『世に棲む日々』を『蒼天の夢』という題名でドラマとして放送していました。ドラマでは松陰先生は密航を企て、ペリーと会っているのですが、小説の司馬遼太郎著の『世に棲む日々』でも童門冬二著の『小説・吉田松陰』でも直接、松陰先生とペリーが会っている場面はありません。通訳のウィリアムズと松陰と弟子の金子重輔が会っているだけです。ドラマの『蒼天の夢』の中で好きなシーンがあります。松陰先生とペリーとが議論する場面です。ペリーは中国・清が破れた理由は、清国の皇帝は国ではなく、自分の地位を守ろうとした。清国は守るべき国の形をなしていなかったのだ。だから敗れたのだと。ペリーは松陰先生に言います。「家族を考えると、国のためにつくせないのだとしたら、それは日本の国の形が歪んでいるのではないか?」。私は、「国民のためにつくせないとしたら、それは日本の国の形が歪んでいるのではないか?」と聞こえました。この場面を見て、全国民とは言いませんが、国民の大多数が不幸になるのは国自体の形が歪んでいるからなのではないかと思いました。国民が幸福になる国家のビジョンが重要なのではないかと思ったのです。ドラマでは、これがきっかけで松陰先生は草莽崛起の思想に辿りつくのです。

 ペリーと松陰先生が直接には会っていないかも知れませんが、ペリーが裏から手を回し、松陰先生が密航の罪で斬首されないように幕府へ圧力を掛けたようです。ペリーが松陰先生のアメリカ行きを拒否した理由について、小説の司馬遼太郎著の『世に棲む日々』では、アメリカの記録を紹介しています。ペリーは、この処置につき、もし提督が自分だけの感情で事をはこんでいいという立場なら、この気の毒な二人の日本人を喜んで艦内にかくまったであろうと言っています。しかし、もしここで米国が、この日本人民の逃亡に共謀するとすれば、日本の国法を破ることになる。この事を通商条約破棄の口実に利用されてしまう恐れがある上、この密航事件が幕府による米国を試す道具なのかも知れない疑いがあると記載されています(司馬遼太郎著『世に棲む日々一』 310頁参照)。さらに、ペリーは「この事件は、日本人というものがいかに強い知識欲をもっているかということの証拠として非常に興味がある。彼らは知識を広くしたいというただそれだけのために、国法を犯し、死の危険を辞さなかった。日本人は確かに物を知りたがる市民である」と言って、松陰先生のこの行為に感心しているのです。ペリーは松陰先生に好意を持っていたからこそ助けたいと思ったのではないでしょうか。

童門冬二著の『小説・吉田松陰』も読破しましたが、冒頭から司馬遼太郎著の『世に棲む日々』と史観が違うことに面白さを感じています。童門冬二氏は、松陰先生の密航に関して、緻密に事前の準備を行なっていたとし、松陰先生を用意周到な人物だと考えています(29頁参照)。一方、司馬遼太郎氏は、『(密航に失敗したのは)事にあせるばかりで十分な準備と工夫をしなかったためであった。「寅ら、奇を好み、術なし。故にここにいたる」と松陰は書いている』と松陰先生の密航の仕方を評しています(司馬遼太郎著『世に棲む日々一』 312頁参照)。私は、それぞれの方々に違った吉田松陰観があっても構わないのではないかと思います。それも歴史の楽しみ方のひとつだと思っているからです。