ひとは、ついつい他人だって自分と同じだとの勘違いを犯す。例えば、その電車賃や飲食代――あなたにははした金でも、そのひとにとっては懸命に工面したものかも知れないわけ。ただ立っているだけでも病人には苦痛だ。でも、いえないもの。だから、いつもいつでも、あなたのほうから訊いてあげよう。
未来に向き合うにはふたつの方法がある。ひとつは心配、もうひとつは期待だ――ジム・ローン。いやいや、もっと素敵な方法があるぜ。だって心配は心配だし、期待だって裏切られる心配を孕んでる。だったら、な~んも考えないで来訪にまかせる。ただ受け容れる覚悟だけは持っておくことが大切である。
唐突にスケジュール変更をいってくるヤツがいる。事故や急病ならまだしも「ほかのひとが都合悪い」だとか「ちがう用事が」「来客あり」なんて身勝手な理由。はっきしいって腹立つよね。でもさ当人は、それで正当なつもり。だからクレームは蛙の面にションベン。ええやん、違う村の住人なんだからさ。
誰かを愛するということは、誰かを愛さないということ。何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。俺は、捨てる勇気が、まだ足りないみたいだ――高橋歩。これには激しく同意。そう簡単にひとは取捨選択できるものではない。いいぢゃないか! 捨てきれないのは、まだ「なにか」がある証拠。
人生はジグソーパズル。散らばったピースを探し、拾い集めては組み合わて完成を目指す。でも、大抵はカタチの合わないものばかり。それを無理ことに押し込もうとするから歪みが生じてしまうのだ。合わない時は放っておこう。いつか合うピースが見つかるか、いまのピースが合うカタチへと変化するさ。