このあいだ、会ったひとから「仏教って葬式とか、仏壇やお墓での先祖供養のためのもんでしょ……」という話をいただいた。
たしかに――日本人の大半は、そんな認識なんだろうね。まあ、それはそれでかまわないし……それで、こころが安穏になるのなら素敵なことだ。
ところが、もともとの仏法には、いまの日本のような葬式もお墓も、先祖供養もなかった。知ってるかい?
仏教がインドから中国を経て渡来する過程で、儒教の先祖崇拝の要素が組み込まれてしまった結果である。
この儒教――廟(びょう)はあるけどお墓は原則的にない。先祖崇拝の対象は、あくまで位牌である。
もともと呪術的な要素の大きかった儒教(原儒)は、先祖霊にお伺いを立てる非常にシャーマニックな儀式をした。その時に使ったのが先祖の頭蓋骨。
例えば――孫がお祖父ちゃんの頭蓋骨を被って、専門家の導きで儀式に臨み、お祖父ちゃんの霊を降臨させ、アドバイスをあおいだということである。だけど先祖代々の頭蓋骨では不便なので簡略化されたのが位牌。それが仏壇に格納されたって寸法だ。
お墓に関しても、もともとはお寺の管轄じゃなかった。
明治維新の時、それまでの檀家制度による戸籍係という国家の出先機関としての機能を剥奪されたお寺が「そいじゃあ国庫補助金が来ないやんか。大変や!」と、はじめたのが霊園……つまりお墓管理というビジネスである。
これだったら、絶対に逃げない(だって死体や遺骨だもん)し、各檀家を回っての読経作業も一括でやれば楽になるし、いまの檀家以外も取り込める……とても効率のいい収入源である。で、いまは墓地霊園というとお寺、つまり仏教という感じだ。
だから、いまでも田舎のほうにいったら――所有する敷地(裏庭だとか田圃の横、山の上なんかが多い)に永代墓(○○家 先祖代々……というヤツ)や集合墓が見られる。けっしてお寺の所有する土地じゃない。
ちなみに当時、明治政府は文部省(いまは文部科学省)をつくって、お寺から「寺子屋」という教育ビジネスも取りあげた。だから、なおさらのこと、お寺としては安定財源確保の顧客囲い込み事業を必要としたのだろうね。
葬式は、もっと面白い。
この葬式のお経は、もともと死んでからあげるものじゃなかった。じつは死にそうな時にあげるものだった。
次第は、こうである――
平安時代に比叡山にいた僧侶連中が話し合った。
「おれ、仏道修行してるけど、死ぬ時、ホンマに大丈夫かいな?」
「う~ん。死ぬ時、痛いとか苦しかったら、仏さまのこと忘れちゃうかも」
「おれも自信ないなあ……」
というわけで、25人の僧侶が集まり「二十五三昧会」というクラブをつくった。
クラブの趣旨は「極楽浄土いき相互支援」というもの。つまり、部員のだれかが死にかけると、みんなで集まって、お経を唱え、そいつに「死ぬ時に仏さまのことを忘れないように支援しようや」ということ。
それがやがて死んだひとに適用され、先に述べた儒教の影響から、先祖供養にまで拡大されたわけだ。
だから葬式仏教と、ある意味、バカにされている部分があるけど、それが励まし合いで、こころの平安に寄与するなら、それはそれで素敵なことだとボクは思っている。