仏法談義6――布施と乞食 | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 ボクは「ほしの宴」では、なんの惜しげもなく、これまでに培ったノウハウや情報を開示している。とりわけボクが直接に説法をするリアルの「ほしの宴」セミナー等では、どんな質問にも(個人情報等に問題がない限り)お答えするようにしている。


 すると当然のことながら「そんなことばかりしていると損しますよ」と気を使ってくれるかたも登場する。そんなかたにボクは「もし本当に、そう思われるなら、仕事をオファーくださるか紹介ください」と応えることにしている。こういうと相手が本気なのか社交辞令なのかが分かる。まあボクのほうは、さほど期待してないけどね。


 かといって、ボクは社交辞令が悪いといっているわけじゃない。むしろ一瞬でも、そんな言葉を口にしてくれた気持ちに感謝している。だって人間「のど元過ぎれば、なんとやら……」だからねそれはボクだって、そう――。なのに、せっかくの気づかいを言質に取ってもはじまらない。


 ただ、できれば……一瞬でも、そんな気持ちになったのなら(相手はボクでなくってかまわないので)具体的に行動してほしい。お金、時間、労力、人脈、権限……等々、あなたの持っている財産を自分以外の必要なひとのために使ってほしいのだ。


 これを仏教では布施行という。

 お釈迦さまがまだ、輪廻転生という修行の場にあった時――つまり、その前世の人生の逸話がある。本当かどうかは分からないんだけど、これを「布施波羅蜜」というそうな。まあ、ファンタジーといってもいいだろう。けど、素敵な話だ。


 未来(来世では釈尊として誕生する予定)のお釈迦さま――う~ん、ここでは分かりやすくAさんとしようか……。
 このAさんが、女房と子どもを連れて旅をしていた。旅は過酷を極め、路銀も使い果たし食べものもなく、乞食(「こじき」ではなく「こつじき」)で凌ぐ毎日という状態だった。
 そんなAさん一家のまえに、身なりのいいオッサンが現れた。そしてAさんに向かって、
「おまえら夫婦が修行のために大変な旅をするのは勝手だが、子どもにはなんの罪もない。わしが子どもを養子にして大切に育ててやろう」
 と申し出た。
 Aさんは奥さんを説得して、子どもを養子に出した。
 夫婦ふたりで旅をつづけていると、こんどは奥さんが病気になってしまった。そこにまた、ひとりのオッサンが現れて、
「奥さんをわしが看病してやろう。元気になったら側室に迎えて大事にしよう」
 と申し出た。
 Aさんは彼に奥さんを託して、旅をつづけることにした。するとこんどは、Aさんの前に自分以上に貧しくひどい状態の乞食の比丘(びく)が現れた。Aさんは、
「これでも、少しはマシだろう……」
 と自らの衣服を脱いで、これを与えた。
 やがて夕暮れが訪れ、Aさんが休息を取ろうとすると、なにものかの気配――顔をあげると、そこには腹を空かせた虎(獅子という説もあるみたい)がいた。Aさんは、
「この痩せ細った身体だが、これでもおまえの飢えのしのぎにはなるだろう」
 と自らを投げ出した。
 その刹那、あたりには光が満ちた。虎は、ひとりの翁(古代仏〈ずっとむかしに成仏した存在〉ともいわれる)に姿を変え、
「Aよ。おまえは見事に執著(しゅうじゃく――執着のこと)に打ち克った。来世は仏陀として輪廻転生の最後の務めを果たせ!」
 といったとか。
 こうして釈迦如来が誕生したそうな。


 だから、お釈迦さまの悟りとは「おれは、ず~っとむかしに悟っていたんだ」と思い出したことといわれるわけ。また、お釈迦さまは、その境涯で「後有を得ず」つまり「今回が自分の輪廻転生の最終回で、もう生まれ変わらない」といったわけである。


 さて、このことは、ボクたちが人生を送るということに素敵なガイダンスを与えてくれている。つまり、その目的である「魂の進化」「霊性の開発」のためになにをすればいいのか? ということへのヒントだ。
 そう、ボクたちが進化の道を歩むことを望むなら、その行為はすべからく「布施」でないといけない。同時に受け取る時は「乞食(こつじき)」であるということ。


 ほら「情けは、ひとのためならず」の本当の意味は「ひとに無償でなにかをしてあげるなんて甘やかしになる」といった解釈じゃなく「ひとに尽くすことは、やがて大きく環流し、結局は自分のためになる」といわれる。
 だけど、この「自分のため」というのは、あくまで「進化のため」ということなんだ。けっして「ひとに親切にしておけば、きっといいことがあるぞ」なんて、いじましい私利私欲のためじゃない。できる状況にある自分への祝福行為だ。


 なので、ボクが惜しげもなくノウハウや情報を提供することは、ボクの自身の進化のための「布施」であり、仲間と連れもって仕事をすることは「勧進(自ら進んで布施をすること)」であり「知識(みんなで寄ってたかって布施をすること)」で……そして、そんな「喜捨(よろこんで現世の財を手放すこと)」仲間との饗宴が「ほしの宴」で、ボク自身が受け取る時は謙虚に「乞食(よろこんで積極的に施しを受けること)」でありたいと思っている――。