仏法談義5 | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 ちょっと、ひさしぶりに仏法のお話
 というのも『ほしの宴(うたげ)』をスタートしてから、さまざまな質問を受ける。とりわけ多いのが「精神世界」と「経済社会」の関係性だ。
 もっと生々しくいうなら「霊性の開発・魂の進化が、どんな風に現実生活に役立つのか?」ということである。
 つまり「実利はどこにあるのか?」という質問だ。


 たしかに世界的不況のまっただ中――閉塞感に覆われた社会で、いくら神仏に祈ったところで、明日の支払いは保証されない。いくらアベノミクスといったところで「おれには、あたしには……恩恵は、もたらされていない」わけさ。
 言い換えるなら「精神世界の探求は所詮『気休め』に過ぎないのじゃないか?」ということ。たしかにそうだ。そのとおりである。


 しかしながら、これは旧世紀の考えかた……いまは『潮流は変わった――意識を変えろ!』にも書いているように高次でのパラダイムシフトが終わり――企業や宗教、哲学、文化、教育……などなどの垣根が取っ払われ、すべてが「いっしょくた」になってしまった。さらに潮流は反転し、すべてが「精神化・意識化」に向かっている。


 このことを現代の経済社会がはじまるずっとむかしに説いた聖(ひじり)がいる。
 そう、釈尊……お釈迦さまだ。まあ正確には、お釈迦さまの話したことや立ち居振る舞いの伝承をベースに――後世の覚者が再構築した物語なんだけど、そのあたりの詮索は措いて、ここでは内容にスポットライトを当てることにしよう。


 彼は弟子に対して、覚醒(悟り)の本質について解説するのにとても苦労した。だって、それまで(当時では)一度も、まったく語られなかった内容だからね。つまり、これまでの論理が役に立たないわけさ。

 それは、すなわち仏法でいわれる「般若の『空』」「法華の『中』」のこと。でも「空」とか「中」とかと名づけた途端、それは言葉という呪縛に囚われてしまう。これは困った。
 そこで彼は排除の積み重ねという手法を採ることにした。つまり「これは、ちゃう(違う)よ!」をいっぱい並べたわけ。


 これのエッセンスおまとめ版が、空海(弘法大師)が編んだともいわれる「摩訶般若波羅蜜多心経」略して「般若心経」だ。そこには「不」とか「無」とかを冠して、色んな「ちゃうよ」が並んでいる。
 不生不滅。不垢不浄。不増不減……無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無限界……てな具合だ。
 生じるものでもなければ、滅びるものでもない。汚くもなければ、きれいでもない……というようにつづき――それは「眼で見えるものでもなければ、耳に聞こえるものでも、鼻で嗅げるものでも、舌で味わえるものでも、身体に触って感じるものでも……さらに、そこから引き起こされる『こころのはたらき』でもない」と解説する。
 つまり、これらは三次元界に属するものであるから事実ではあるけど、けっして「真実」ではないというわけ。びっくりするかも知れないが「こころも(属性は)三次元」ということだ。


 これを分かりやすくするため、ボクは「人生ゲーム」というお話をしている。
 つまり、人生での出来事は事実であり、あなたがクリアすべきゲームのダンジョン(課題)ではあるけど、けっして真実ではないということだ。そう、真実のあなたは、ゲームのコントローラーを操作しているほうのあなたってわけ。


 ところが困ったことに(もしかしたらラッキーなことに?)上記のようなパラダイム・シフトが起こってしまった。いまや高次では、なんもかも「いっしょくた」になってしまい、それが現実界に反映されつつある。潮流は反転(詳細は『潮流は変わった――意識を変えろ!』参照)してしまったんだからね。


 もう、分かったろう。そうだ、あなたの精神世界の探求――すなわち「霊性の開発・魂の進化」は、あなたの現実世界と直(じか)づけになってしまったということ。
 さらにこれ(探求)は高次に属する。あなたが進化すれば、した分だけ、あなたの世界はあなたにとって快適な世界になるという寸法なのだ。すなわち、あなたの精神性の向上は、あなたの生きる(あなたの)現実世界をグレードアップしてくれるという具体的な効能効果をもたらすステージになったわけである。


 ほんで、それをみんなで連れもって、よってたかって実践しようというのが『ほしの宴』である。