身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法 -33ページ目

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、

今月は我孫子道院でも、道場での修練を休止しております……

 

しかし、どんな状況下でも、楽しみを見つけて、陽気に暮らせるというのが、

真に強い人間で、いわゆる修行ってのは、そのためにあるのでは、と考え、

 

拳士の自宅での修練をサポートするために、

インターネットを使って、一人稽古用のプログラム、教材を門下生に提供しております。

 

 

「弟子たちよ。すべてのものは移り行く。怠ることなく精進せよ」(釈尊)

 

使えるツールは、どんどん使って、しぶとく、明るく、前向きに、自己研鑽を継続しましょう。

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『100』

コロナ禍の影響で、修練にもいろいろと制約かかってきている当今、

「常在道場」の精神で、一人稽古も大事になってくる。

 

そこで、まず坐禅から。

 

 

坐禅は、「調身・調息・調心」の流れで。

 

座り方は、半跏趺坐。

お尻をペタッと床につけるのではなく、“坐骨で立つ”ようにして座る。

背筋は伸ばし、肩の力は抜いて、結手した手を臍下三寸=臍下丹田に軽く当てる。

目は軽く閉じて、胸を張って、顎が前に出ないように。

 

・調息

金剛禅総本山少林寺に伝わる呼吸法は、

①吸気(鼻から深く大きく息を吸入 「宇宙の精気我体内に入る」と思念する) 約七秒

(※ 吸い込んだ息で、体幹全体が前後・左右・上下に均等に広がるようにするのが要諦)

②漏気(鼻より少しフムと漏らす) 

③充気(息を止め、気を満たす) 約三秒

④呼気(「ダーマの徳性、我に発する」と思念しながら、七分の息を吐き出す) 約十秒

⑤残気(三部残して吸気にもどる) 約三秒

の五つの息法を繰り返し、意識的に気を充実させるように行う。

 

この調息法の目的は、

ずばり「陰気な気分を吹き飛ばし、宇宙の大精気を取り込んで、身心の活力として用いる」こと。

 

調身=身体を調え、調息=呼吸を調えれば、やがて自然に心が調う(調心)というのだが……

 

しかし、坐禅を組んでいると、なぜだか余計なことばかり頭に浮かんできてしまう!!

(意馬心猿/マインドワンダリング)

「精神統一」には程遠い。

さてどうしたものか。

 

いや。心が迷い出すのは自然なことなので、心が迷っていることに気付いたら、坐禅に意識を戻すだけ。

気付いたら、思いを手放す。これを禅語で「覚触」(かくそく)という。

 

坐禅を組んでいる間は、何度も「覚触」すればいい。

そう考えれば、坐禅は難しくないはず!?

 

 

最近、注目されているストレス低減メソッド、「マインドフルネス」は、仏教が起源の言葉で、直訳すると「気づき」という意味。

もともと坐禅などのエッセンスを抽出したものなので、坐禅の「調身・調息・調心」は、そのままマインドフルネス訓練になる。

 

一番肝心なのは、

坐禅もマインドフルネスも、なにか効果を期待してはいけないということ。

坐禅を組んだら、心が落ち着く。心が広くなる。胆力がつく。太っ腹になる……。

これらを期待して、坐禅を組んではいけない!

 

もちろん、結果としてはかなりの効果があるわけだが、効果を求めてやると、効果が逃げていく。

「無所得、無所悟」

やっていれば勝手に変わる。

そんな気持ちで、気長に毎日やれるようにしたい。

「一日一禅」

 

 

「正」という字は、「一」+「止」と書く。

つまり、「一度止まる」=「正しい」ということ。

 

一週間に数回でも、坐禅を組むことで、日々の暮らしにワンストップ。

自分を見つめ直し、ストレスや不安、楽しかったこと、うれしかったことも、全部一旦リセットする。

過去(反すう)や未来(心配)へさまよう心を捨てる。

 

空腹は最大のご馳走といわれる通り、

心も一度空っぽにできると、見たもの、聞いたもの、体験したものがなんでも新鮮に感じられ、

豊かな気持ちになれるはず。

 

坐禅は何かを得るためではなく、心の中のものを捨てるためにするのです。

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『107』

開祖 宗道臣先生の著書に、

「少林寺拳法入門」という本があります。

 

 

初版は1977年の刊行(写真は文庫版)

じつはこの本、1975年に出版された「少林寺拳法奥義」が底本になっていて、中身は大きくは変わらない!?

しかし、「奥義」と「入門」が表裏一体になっているところが、なんとも武道的なところではありませんか。

どちらの本も長く読み継がれていましたが、残念ながらすでに絶版……。

(アマゾンなどで中古品を検索すると、400~500円で入手可能)

 

そんな、この本、「少林寺拳法入門」を古本で入手した方が、今月、新たに少林寺拳法に入門してくれました。

 

 

こちらが新入門のS・Tさん(38歳)

予備知識ゼロでの入門も大歓迎ですが、このTさんのように、開祖の本を読んで、少林寺拳法の思想・哲理に共鳴し、技法に興味を持ったうえでの入門というのはうれしいものです。

 

コロナ禍の影響が長引きそうな昨今だからこそ、少林寺拳法を修行することで「生き抜く力と智慧」を高めていきましょう!!

 

我孫子道院においても、

「密閉」「密集」「密接」の三密を避けるために、先日は屋外での稽古も行いました。

 

 

 

↑ こちらはこの春、小学校、中学校を卒業した拳士たち

(おめでとう!!)

 

 

こちらは先日 白帯を卒業し、黄帯になったT・O拳士(おめでとう)

 

明日から新年度。

我孫子道院では、まだまだ新しい仲間を募集しております。

 

新入門からベテラン拳士まで、ともに一歩ずつ成長していきましょう。

 

(我孫子道院の専有道場がある 子ノ神大黒天の境内の桜)

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『104』

 

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために

少林寺拳法の大会や行事、修練なども、中止や休止、延期されるものが増えてきました。

 

あらためて、当たり前の日常というのはなく、

一日一日が、“ありがたい日”、つまり「有ることが難しい」「めったにない」日だということが実感できます。

 

今日はちょうど、2月29日、閏年の閏日でした。

4年に1度の日というと、なんだか貴重な日、特別な日に思えてきますが、

本当は毎日が一期一会。

「一期」とは、仏教用語で「一期=人が生まれてから死ぬまでのこと、一生」のこと。

「一会」は一回しかない出会いという意味。

つまり、「一つ一つの瞬間は再び繰り返される事なく、その時その時を大切にしなさい」という教え。

 

師曰く、「禅とは、一瞬一瞬を全身全霊で生きること」

生きているのは、今だけ、息をしているこの瞬間だけ。

その一瞬を大切にして、一所懸命生きてほしいし、

一回一回の稽古を大事にしてほしい。

 

そんなお話をした、2月29日の稽古でした。

 

※ウイルス対策もやっています!

 

門下生のH拳士の提案で、
アロマディフューザーを使って、抗菌・抗ウイルス作用の強い精油を拡散させて、空気を浄化!?

 

 

 

手洗い、うがい、マスクも奨励

 

 

修練によって、

金剛の肉体と不屈の精神力を養成し、

まずよりどころとするに足る自己を確立し、

他人のために役立つ人間を目指すのが少林寺拳法

 

 

稽古ごとに、大事なものを積み上げていく、そんな春にしていきたいと思います。

 

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『103』

昨日、2月10日は、少林寺拳法の創始者

宗道臣先生の誕生日でした。

(開祖は、1911年2月10日 岡山県英田郡江見村=現美作市の母の実家で生まれた)

 

開祖は、敗戦後の混乱した祖国の姿を見て

「このままでは日本が駄目になってしまう」と憂いて、

祖国復興のために、少林寺拳法による人づくりをはじめられた。

 

そこで昨日の稽古では、下記のような法話をしました。

 

「皆さん、『馬鹿』という言葉の語源を知っていますか?

『馬鹿』とは、中国全土をはじめて統一した秦の始皇帝の跡を継いだ、二世皇帝の胡亥と、その実権を握っていた悪臣、趙高の話が語源とされています。

悪臣、趙高は、国の実権を握っていたにもかかわらず、ついに秦の国を乗っ取るクーデーターを計画し、

その前段として、自分に忠誠を誓うものがどれぐらいいるかを確認するために、

あるとき、胡亥の前に鹿を献上して、「馬です」といったのです。


二世皇帝の胡亥は群臣に「鹿を馬と言うとは、趙高はどうかしている」と笑って話しかたが、

群臣は、押し黙る者、趙高を恐れて「馬でございます」と言う者、正直に「鹿でございます」と答える者と、三つのグループに分かれた。

その後趙高は、「鹿」と答えた家臣たちを敵とみなし、適当な理由をつけて処刑した!

そのため、秦国内では誰も趙高には逆らわないようになったのだが、

その後、強大な国家だった秦はたった数年で、攻め滅ぼされてしまったんだ……。

 

この「指鹿為馬(鹿を指して馬となす)」の故事から、矛盾したことを押し通すこと、社会的な常識にひどく欠けていることを、「馬鹿」というようになったという(諸説あり)。

 

要するに、「悪いことは悪いとはっきり言え、それをやめさせることができる人」がいなくなったら、

どんなに強い国でも、どんなに立派な組織でも、あっという間に滅ぶということ。

 

少林寺拳法で教えている『本当の強さ』とは、

まさに「悪いことは悪いとはっきり言え、それをやめさせることができる人」

であり、

「うぬぼれではない自信と勇気と行動力を持ち、よりどころとできる自分を作ること」

 

『忖度』なんてしていると、あっという間に国が滅びてしまうので、少林寺拳法を学ぶ皆さんは、

ぜひ、本当の強さを身につけてください』

 

こんな話をさせていただきました。

 

 

馬は馬、鹿は鹿……

いいことはいい、悪いことは悪いとはっきり言える世の中を守っていきましょう。

 

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『105