不撓不屈の「不撓」とは? 達磨祭を執り行いました | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

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我孫子道院 道院長のブログ

今日、10月25日は少林寺拳法創始の日。

少林寺拳法は、1947年10月25日に、香川県多度津町で、開祖宗道臣先生によって創始されました。

(今年で創始71周年です)

 

また、我々にとって10月といえば、達磨祭の季節でもあります。

達磨祭とは、拳・禅二道の祖師、達磨大師の命日(10月5日)またはその前後に、達磨大師の遺徳を偲び、不撓不屈・直指人心、見性成仏の教えのもとに己の一層の精進を誓う儀式のこと。

 

今年も、10月20日に我孫子、流山、野田、柏の6つの道院の指導者と拳士が集まり、合同でこの達磨祭を執り行いました。

 

ところで、達磨大師といえば、不撓不屈、七転び八起きの教えが有名ですが、

不撓不屈の「不撓」の意味はご存知でしょうか?

なかには『不倒不屈』と間違って記憶している人もいるようですが……

(大意は、あながち間違いではないかもしれない!?)

 

「不撓」とは、「(困難に遭っても)ひるまないこと」という意味です。

ちなみに「不屈」は、文字通り屈しないこと。辞書には「苦難に負けず、意志を貫くこと」と書いてあります。

つまり、「不撓不屈」とは、「強い意志をもって、どんな苦労や困難にも決して心がくじけないこと」であり、

当今の言葉でいえば、どんな時でも「心が折れない」ことといったところでしょう。

 

この「折れない」というのは、なかなか難しく、

硬いものは負荷に耐えきれなくなると、ポッキリと折れてしまいます。

かといって柔らかいものは、折れない代わりに曲がりやすい……。

心も同じで、折れない代わりに曲がりやすくてもダメですし、曲がらないけど折れやすいのもダメ。

 

「折れず曲がらず同田貫(日本刀の名刀)」という言葉があるが、

不撓不屈の心も、「折れず曲がらず」が肝心なところ。

 

より具体的には、どんな心理状況が理想かというと……

宮本武蔵の五輪書に次のように記されている。

 

兵法心持の事(水之巻)

心を広く直にして、きつくひつぱらず、すこしもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中に置て、心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし」

 

心は狭くては駄目。広くまっすぐで、きつく引っ張っては駄目。一方で、少しもたるませては駄目。片寄らせてもいけないし、ニュートラルで、不動にならないよう、静かにゆるがせ、ゆるがせ続けることが大事だ、とかの剣聖は教えています。

この「心」は「正中線」にも置き換えられますが、「折れず曲がらず」の不撓不屈の精神を得るには、「きつくひつぱらず、すこしもたるまず」ということが肝心かと。

 

普段の稽古も、張り切り過ぎず、頑張りすぎないようにして、なおかつ少しもたるまないようにし、

一歩一歩、達磨大師に近づいていきたいものです。

 

 

達磨祭の締めくくりとして、みんなで達磨になりきって

「ダルマ受身」

実際に七回転がって、「七転び八起き」の教えを実践・体現してみました~

 

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108』