帰山合宿初日の午後は、少林寺拳法発祥の地へ
桃稜公園の中腹にそびえ立つ、現在の総本山が建設されるまでは、多度津町の中心街(?)にあるこの道場が、少林寺拳法のメッカであり、出発点だった。
上掲写真、左奥に見える一軒家こそ、戦後、中国から引き揚げてきた開祖が、1947年に「少林寺拳法」の看板を掲げた最初の道場。
普通の自宅の一室=六畳間に、半間の祭壇兼押入れを設けた道場だったので、「五畳半道場」といわれている。
少林寺拳法は、69年前、ここで産声を上げ、来年創始70周年を迎えるのだ。
その右隣の建物が、本部道院(旧道場)
開祖生誕100年の記念事業として、全面改築され、今年の春リニューアルされたばかり。
その真新しい道場で、我々も道衣に着替え、稽古をさせていただいた。
ここでは、本山職員で、現在の本部道院副道院長の富田先生がお出迎え。
新しい本部道院や、多度津町のこと、地元の拳士たちの様子について、解説してくださいました。
帰山合宿に参加した、我孫子道院の女性拳士だけで、パチリと一枚
そしてここでは、とても豪華なスペシャルゲストも!!!
教範やカッパブックスに掲載された開祖の技術写真を撮影された稀代のカメラマン、宮野義久先生と、奥様の倫子様。
宮野先生は、36期(1952年3月)入門の開祖の直弟子でもあり、正拳士四段)の大先達。
改築前の旧道場や、五畳半道場にも非常にご縁の深いお方。
奥様も、女性拳士の先駆者で、若かりし頃は、あの田村道明先生と組んで、各地の公開演武会で、開祖の前で演武を披露された実力者でもある。
「建て直された新本部道院には、まだ入ってみたことがない」ということだったので、我々の帰山に合わせ、
暑い中わざわざお越しいただけました。
上の写真は、現在の本部道院の二階。
旧道場の梁や柱を再利用しているので、「ここは、かつての旧道場の面影が残っている」と宮野先生。
続いて、五畳半道場へ
こちらでは、宮野先生と奥様に、少林寺拳法 創成期の頃のお話を拝聴。
こんな贅沢、他にあります???
道場の裏手には、桜川が流れている。
この川にいたアヒルたちが、拳士の“締法”の練習台にされたというのは、有名なハナシ!?
むかしは、水運の拠点で、こんぴらさんへの参拝客や、米などの積み荷が、行きかっていたらしい。
恐れ多くも、奥様にはジュースの差し入れまで頂戴し、
夕方4時過ぎまで、修練、見学、宮野先生と奥様の歴史講義を堪能しました。
今回の帰山合宿のテーマは、
来年の創始70周年を目前とし、
「原点に帰る」
としていたので、この五畳半道場と、本部道院の見学・修練だけでも、かなり目標達成!?
そういえば、改装された本部道院の壁には、「開祖生誕百年記念寄付者御芳名」という、このようなものが……。
以前、この本部道院の立て替え保存費用の寄付を募ったとき、それに応じた方々のお名前が、刻まれておりました。
本当に寸志(一口)のみ寄付させていただいた、ワタシの名前も末席にあり……(大汗)
ちなみに、これは我々の到着する、ほんの2時間ほど前に掲げたばかりのできたてホヤホヤだったそうで、関係者以外で、これを目にしたのは、ワタシたちが第一号でした!
この新本部道院、エアコンも効いていて、居心地がよく、ずっと修練していたり、宮野先生のお話を聞いていたかったのですが、地元我孫子を出発して、はや12時間近く経過していたため、この後ひとまず宿へ移動。
今回は、合宿らしく、みんなで大部屋に泊まりたいということで、ホテルではなく、
多度津町内の少林寺拳法指定旅館「ちぐさ」さんに、チェックイン。
(こちらは、ワタシが道院長研修会の際、お世話になっている定宿(?)です)
荷物をほどいて、一息ついて、シャワーを浴びたら、
こちらは春と夏の本部での大学拳法部合宿に参加する、学生拳士たちの御用達のお店!
美味しくて、安くて、深夜(午前1時頃?)までやっている、拳士にとって頼れる名店。
本部職員の方々にもよく遭遇します(じつはこの日も……!?)。
昼から我慢していたビールも、いよいよ解禁!
カンパーイ
(ごくごくごく)
オヤ(大人)は、(骨付)鳥から。
子供たちは、鳥の唐揚げとお好み焼き+ジュースで、団体宴武スタート!
宿に帰って、もう一回戦、団体宴武を飲りましたが、
夜はぐっすり眠れた拳士が、多かったようです。
(一部、おじさん拳士が、”組宴武”(三次会)にも臨んだそうですが……)
夜明け前の、少年拳士たちの寝相(笑)
(本番編 其の二=二日目へつづく)
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『118』