「先生にお目にかかって、少林寺拳法は信頼できると思いました」
親子で入門を検討中の、とあるお父さんから、最近いわれた言葉です
いや~、嬉しいことをいってくれるではありませんか
しかし、人格、識見、人徳ともに、そこまで高い評価をされるほど、ワタシはたいした人間じゃない!?
武道家としての勘が、「鵜呑みにするとアブナイ」とアラームを発したので、もう少し詳しく訊ねてみた
すると
「いや~、大人から子供まで、男女を問わず学べる、合理的で理想的な護身術といわれても、その先生が筋肉ムキムキの大男だったら、なんか説得力がないじゃないですか。その点、先生は中肉中背(?)の標準的な体型なので、護身術として信頼できると思ったんです」とのこと
なんと、体型のことだったとは!
(ふう~ アブナイ、アブナイ)
なんだか妙な説得力だが、それで少林寺拳法の評価が高まるのなら、嬉しい限りです
嬉しいので、ついつい調子にのってしまい
「少林寺拳法は、力の強さよりも、不要な筋肉、不要な力みをいかに弛緩させるかが、肝要なんです。筋力だってないよりはあったほうがいいので、若い人の筋力トレーニングは否定しませんが、力むことより脱力する方が何倍もむずかしいので、筋肉に負荷をかけて緊張させるトレーニングをしたら、その緊張を解きほぐして、弛緩させるトレーニングにも取り組まないと、効果が半減どころか相殺されてしまうんですよ」
と、ちょっと能書き(私見)を垂れてしまった
お父さんは、感心してくださった様子だが、現時点で入門手続きは…………
(入門してくれるといいな~)
余談だが、「妙」や「微妙」は、真理の素晴らしさを形容する仏教用語だった言葉で、
「イマイチ」といった否定的なニュアンスで使う言葉ではなかった
ちなみに中国でも「妙」や「微妙」は、真理や智慧の深遠さ、美しいほどの不可思議さを表現する単語だそうです
(参考文献 白鳥春彦 仏教「超」入門)
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『106』