“間”が悪い!? | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

『己だけが正しい、あいつは認めない、これは誤りだと私は思う。世の中はそれほど単純にできてはいません』

(開祖法話より)


震災復興に向けて、多くの人が、さまざまな形で支援をはじめている


その一方で、スリーマイル島の原発事故を超えて、ついに「レベル6」に相当する段階まで悪化した福島第一原発の事故はまったく楽観できる状況ではなく、海も放射能で汚染され、野菜や酪農、さらには200km以上はなれた首都圏の飲料水まで脅かされている……


こうした状況下で、買占めなどに走る行為は論外として、

「これぞ正解!」というのはひとつもない


避難勧告の出ている原発から20~30kmエリアの人はともかく、少なくとも関東エリアの人ならば、普段どおり過ごすのも、屋内退避をすることも、遠方へ疎開するもの、テレビとインターネットにかじりつくのも、いつも以上に陽気に振舞うのも、どんな行動もありだと思う


また、被災地への支援にしても、直接援助物資を送るのも、義援金を寄付するのも、メールやツイッター等で応援メッセージやエールを送るのも、地元で被災者を受け入れるのも、節電するのも、ガソリンを節約するのも、前から欲しかったものを、予定通り購入するのも(経済を停滞させないため)、何でもかんでもありだと思う(千葉市が送った支援物資の中には、気晴らし&コミュニケーション用のトランプもあった)

それぞれが信じることを、良かれと思うことを、やれることからやり始めるだけ


「モンスター・ボランティア」なるエゴイストな善意や、親切の押し売りも問題視されているので、本当に意味で「自己確立」と「自他共楽」の精神が問われているし、気持ちだけではどうにもならないという意味で、「力愛不二」の行動のあり方も試されている


そのうえで、できるだけ復興支援にしても、被災地からの退避や疎開にしても、みんなが一極集中化するのは望ましくない


例えば、電気も水もガスもないところに、カップラーメンが山ほど送られてきても役立たないし、下着がないと聞いたからといっても、寒さに震えている人たちには、下着以前に毛布の方がありがたかったりするだろうし、避難といっても一斉に一箇所に集中すればパニックになるだけ……


だから、復興支援も避難や疎開も、できるだけ多彩に展開するのが一番いい!

(そもそも、生物界は多種多様であるほど、生存率が高まるのが掟 つまりリスクヘッジ)


定型の正解がなく、しかも多彩である方が望ましいとなれば、人に迷惑をかけないのなら、天邪鬼だってむしろ大歓迎


逆に一番邪魔なのは、せっかくみんながバラバラの形で、支援や避難をしているのに

「それは間違っている!!」

と叫ぶ存在


本当に危険な場合は別として、少々「効率が悪いから」とか、「すぐに役に立たない」とかいって、自分の考えを押し付ける御仁が、もっとも迷惑(そして必ずそういう人は現れる)


こういう場合、

「間違っている」は禁句なのだ


他人と違って大いに結構!

(危険なケースや、他に害をなす場合を除く)


「間違っている」とはいわずに、「自分とは違うな」と思えばいいだけ


つまり

「間違っている」=×

「違っている」 = ○

ということ


違いは「間」のあるなしだけだが、その違いが大きな違い


先賢曰く

「人間」 = 人と人の間

「時間」 = 時と時の間

「世間」 = 世の中の間

万事、「間」が肝心……


拳士なら、「攻防の間合いと機会」の重要性は、技の修練でも、学科においても、身に染みてよくわかっているはず

「間」を誤れば、すべて台無し


難局とは、簡単に答えが見つからないからこそ、難局なのだから、違うことをやる人を、まず大いに認めよう


かといって、プロ野球がナイトゲームにこだわったような、無神経さは認められないが、なんでも自粛すればいいというものでもないはずだ


というわけで、ワタシは計画停電とガイガーカウンターの数字を横目で見ながら、稽古を再開し始めました


「こんなときに稽古?」という声がないわけではないが、我々がやっていることは単なるスポーツや武道ではない

あくまで「人間完成を目指す行」なので、逆にこうした状況だからこそ、伝えなければならないことがあると考えている


先日、稽古再開にあたり門下生にも話したことだが、おそらく今回の災害のダメージから日本が立ち直るには4年や5年では足りないはず

10年、20年のスパンで考えていかなければならないことなので、そうなると、本当に意味で日本再生を担っていくのは、いまの高校生、中学生、小学生の世代になっていくに違いない

その世代に慈悲心と勇気と正義感を植えつけ、他人と連帯し協力して行動できる人づくりの運動が、我々の少林寺拳法だと自負しているので、ここで立ち止まるようなことはせず、むしろこれまで以上に積極的にやらなければと思っている


だから誰がなんというと、少林寺拳法を行ずることは、ワタシなりの復興支援と思っていただきたい!


最後にもうひとつ開祖の法話を引用しておく

「自分の頭で考えたら、みんな正解だぞ」


信仰とは「肚をくくること」

皆さん、自分の信じたことをやっていきましょう!!


本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『110』