錬成大会が終わって、我孫子道院も8月13日と14日の稽古は夏休み
7月以降、少年部の稽古は錬成大会へ向けての練習がメインとなっていたが、少林寺拳法においては大会もまた「行」を修めるための一形態であり、目的ではない
少林寺拳法の大会の目的は
①相互の技術研鑽と向上をはかること
②同志的連帯意識の昂揚をはかること
③部外者の理解と協力の拡大をはかること
たしかに入賞したりすることは、ひとつの目標ではあるにせよ、それが修行の目的ではない
一方、スポーツは、大会・試合に勝つことを目的に、日々の練習に取り組んでいるケースが非常に多い
ちょうどこの時期おこなわれている、甲子園の高校野球などはまさにその典型的な例だろう
そのこと自体の良し悪しをここで論じるつもりはないのだが、
少林寺拳法はあくまで宗門の行であり、単なる武道やスポーツではない
武道とスポーツには、オーバーラップしている面が少なくないが、一番の違いはどこにあるのだろう?
(↑「武道と武術の違い」とともに、門下生によく訊ねてみる質問のひとつ。「武道と武術の違い」については、また別の機会に……)
あくまで私見だが、
試合なら試合、大会なら大会に向けて、技術を磨き、本番で身心のコンディションをピークにもっていくための練習に取り組んでいるのが、スポーツ
逆にコンディションもタイミングも最悪のときに、どれだけパフォーマンスが発揮できるか、ということを考えて、稽古を積み重ねていくのが、武道の修行
(二日酔いだろうが、寝不足だろうが、風邪気味でも、空腹でも、満腹でも、身を守る必要が生じたときに、「待った!」はいえない……)
とワタシは考えている
同じことは、プロフェッショナルとアマチュアの差にも当てはまると思う
NHKの人気番組、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、出演者が最後に「プロフェッショナルとは?」という問いに答える場面があって、とても参考になることが多いのだが、
ワタシが思うに、プロとアマの差は、ピークパフォーマンスではなく、ボトムパフォーマンスの違いにあるのではないだろうか
ゴルフでも写真撮影でも、どんな分野にも、プロ顔負けのハイアマチュアが存在するが、そうした人たちのベストパフォーマンスは、ときにプロをも凌駕する
しかし、ハイアマチュアといってもアマチュアの場合、100点満点に近いときもあれば、ときには30点ぐらいの出来もあったりと、多くの場合出来不出来の波が大きい
一方プロは、最悪の条件下でも75%、少なくとも70%以上の出来は要求される
要は武道家もプロフェッショナルも、地力の高さ問われるわけで、地力を底上げするには、地味な基本の繰り返しが肝要かと……
偉そうにいっても、ワタシ自身がまだまだ修行の半ば(というより、ようやく麓にたどり着いただけ!?)
武の道も、一人前になるのは根気と努力以外に道はなし
来週からの稽古再会が楽しみだ
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『107』