刑務所の中で、真剣に、そして、生き生きと勉強する男性の姿が、ニュースで取り上げられていました。

アメリカでは、2016年から受刑者への学費支援が行われていましたが、2023年7月からは、いよいよ全米での適用が決まったそうです。
 

全米で収監中の学生にも学資援助プログラムを適用(英文)米国教育省 July 26, 2022 

 

収監中の教育プログラムは、雇用を改善し、再犯を減らすことが実証されています。

日本でも、罰への信仰より、教育の効果が認められていくといいなと思います。


参考記事:
教育省、投獄歴のある学生にペルグラントを支給するパイロットプログラム参加大学67校を発表 2016年

自分自身も、自分のいる社会も、その社会の中で生きている人もみんな生きている価値がない、消えてしまっていい、消してしまっていいと考えてしまうのは、どういう心境からなんでしょう。
久しぶりのブログなのですが、そんなことを、つらつらと考えてみます。

あなたは、自分がいるこの世界をどう見ていますか?

私は、正直言うと意味があるかどうか分かりません。
でも、「意味がない」と思いたくないなと思っています。

何か意味があると思いたい。

たぶん、自分の生を生ききった先に、その答えがあるんじゃないかなと思って、それが分かる日を楽しみにして生きているようところがあります。

あと、「意味がない」と考えることが怖いです。

「世界に意味はない」は、「自分が存在することも意味がない」し「自分が大切にしていることや人たちのことも意味がない」ということを含むような気がして、そんな悲しいこと、絶望的なことは、感じたくないから、そう考えないようにしているんだと思います。

「この世界には意味がない」そう言い切る背後には、ものすごい「絶望」があるように見えますよね。

そう思うまでに至った、何らかの体験があったような。

それは本人しか分からない、心の中での体験かもしれません。

トラウマの勉強をする人がバイブルのように読んでいるジュディス・ハーマンという精神科医の本の中に、こんなことが書かれています。

「世界には意味があるという信念は、他者との関係において形成され、その開始は誕生直後に遡る。最初の親密関係において築かれる基本的信頼がこの信仰の基礎となる。法・正義・公平などの感覚はそれより後にできてくるものであって、児童期に、世話をしてくれる人と友人仲間の双方との関係の中で発達する。」

世界には意味があるという信念は、周りの環境や体験から形成されるものなんですね。私やあなたが、今、世界には意味がないと思ってないとしたら、「意味があるんじゃないかな」とか「意味があってほしいな」と、なんとなくでも思わせてくれるような、人との出会いや関わりがこれまでにあったということなのでしょう。


逆に、今もしも、「世界には意味がない」と感じるなら、これまでどこかで、意味がないという信念を持たざるをえなかった程の人との出会いや、体験をしたのかもしれません。

自分のいのちや存在の根幹にかかわるようなことほど口に出すのは難しいし、思ったり考えたりすることも簡単ではないんですよね。

なんで、世界や自分には意味はないと信じるまでに至ったのか、聞かせてもらえるような関係にまでその人と関われるようになれたらいいな、育めたらいいなと思うこの頃です。

引用:
ジュディス・L・ハーマン著 中井久夫訳 1999 心的外傷と回復<増補版> 


 

「こどもの権利と新型コロナ」という絵本を、昨年発刊された長瀬正子先生のお話を聞きました。

 

こどもが持つ、「聴かれる権利」という内容が印象的でした。

子どもの未来や夢、そのために何をするか、何が必要かを考えることも大事なのだけれど、子どもの「今、ここ」の気もちを大切に扱ってあげることも、とっても大事、だという言葉。そうだな~と、思いました。

 

この絵本も含め、他にも先生が紹介されている絵本のいろいろをこちらで見れますよ。

とっても素敵なサイトだし、役立つと思います。

 

長瀬正子先生の「ちいさなとびら」

 

私はつい、「今ここ」より、少し先のことを見て、心をアップダウンさせがちです。

 

未来の方が「今ここ」より大事な気がして、未来のために、「今ここ」は我慢しないといけないような気がして、今の自分の本当の気もちを、置き去りにしたりすることが、ちょくちょくあるんです。

 

こどもの権利の中の、気もちを「聴かれる権利」って、大人も大事にしたいですよね。

自分の気持ちを自分に聴くっていうのもそうだし、人に、安心できる場で、聴いてもらうっていうことも必要。

 

人に、聴いてもらって、ようやく初めて自分で気が付いたりして。

案外、自分では気づいてなくて、なんとなく、何かが胸につかえているような、もやもやしたものはあるんだけど、ことばにまではなってない

みたいな気持ち、結構ありませんか?

 

別に、無理に出す必要はないんですけど、出してみると、以外に、その時の自分が欲しかったもの、本当のニーズに気がついて、次の行動が出しやすくなったり、人との関係が良い方に向かったりして。

 

気持ちはサイン

気持ちを知ろうとすることは、本当のニーズを知ろうとすること

 

子どもたちも、親、先生、支援者、会社の社長さんも、みんな、気持ちに目をむける時間や、気持ちを聴いてもらう場が、持てるといいなと思います。

 

ただ、気持ちって大事なものだから、出すのも慎重になりますよね。

 

言っても分かってもらえない、間違って受けとられたらどうしよう。

 

怒られたり、心配されたり、ダメな奴って思われたりするのが心配。

 

相談したときに、「よくきたね」「よく話してくれたね」と言ってくれたら、その先が伝えやすくなる気がします。


社会的擁護のこどもや若者を支援する活動に、長年取り組んでおられる長瀬先生。

お話の中で、子どもと貧困の問題にも触れ、怒られていたお姿も、国際ソーシャルワーク連盟のソーシャルワークの定義を出されていたのも、ムネアツでした。

 

ありがとうございました!

 

自分が疲れても休めなかったり、やらないといけない仕事を抱えすぎたりすると、知らず知らずのうちに、周りの人を見る目が厳しく批判的になったり、そこにあるいいもの、美しいものに気づけなくなったり、判断力が鈍ったりしますよね。


人を責めるか、自分を責めるか、考えることを止めるか、どんな対処方略をとるかは人によっても場面によっても違うと思いますが、総じて、ストレスの多い場は、人間関係がぎすぎすしてきますよね。

 

ちょっと気がかりなことや聞きたいことがあっても気軽に言いにくくなるし、不安や弱音も言いづらくて、ぐっと飲みこんでその場を離れちゃう。
 

みんな、利用者さん、患者さん、子どもさん、患者さんのご家族、子どもさんの保護者さんには、細心の注意を払って、少しでもいいケアや教育をしようと頑張っているのに、なぜか、そうなっちゃう。

大人から支えられているという「実感」が、子どもの健康や成長にほんとうに大事なんだなって、今、電話相談のお仕事をしながら感じてることなんですけど、それって、大人もそうですよね。


周りから支えられているという実感があると、へこんでもまた頑張れる。

 

安心して疲れたり、へこんだり、傷ついたり、できる気がします。

セルフケアは大事っていいますが、自分以外の人からケアされることも大事ですね、いい仕事をするために。

アメリカの児童福祉分野で働く人のための研修資料を翻訳していたら、中に8つの必須ポイントというのが示されていて、その2番目に、職員が受けるトラウマティックストレス影響を理解し対処しよう、というのが挙げられていました。2番目です2番目。
 

自分を置き去りにせず、状態を知ってそのニーズに応えることが、支援の質を上げることにつながるということなんですね。


安心して、疲れて、へこんで、傷ついた自分を、言い表せることばを持っていますか?
 

安心して、それを出していい人や場所ってありますか?
 

大切にしたい人にとって、自分は、出してもいい人になっているでしょうか?

成長するに従って、学校でも仕事でも、私たちはネガティブな気持ちを言わないで飲み込むことを学んできたように思います。
 

出すときは、ポジティブなものに転換して、それができないなら、黙っている方がいい、と。

でも、辛い時は辛いし

足を踏まれたら、痛い

失ったら、悲しいし

注意されたら、恥ずかしい

 

蓋をしたり、見ないようにすること以外の選択肢もあるほうが楽ですよね。

 

あることを認めてもらえない気持ちは、転換も昇華もされずに胸の中や体の中に残り、時には、回復や成長の妨げになることもあるとか。
鎧を脱げる安全な場所、いろんな場所で作っていきたいですね。

 

わたしも、弱音を吐きつつ、頑張ります。

 

参考:

 

NCTSN(アメリカ国立子どもトラウマティックストレス・ネットワーク)
 

TIPSセンター  一次的、二次的トラウマティックストレス、共感疲労


 

この数年で、トラウマインフォームドケアを、わかりやすい言葉で伝えてくれる資料がどんどん増えてきましたが、その中でも、これは何度でも読み返したいなと思うような資料に出会えたので、紹介します。

 

トラウマインフォームドケアをもっと知るために-TICガイダンスー

 

 

このガイダンスが掲載されているのは、トラウマレンズ-こころのケガに配慮するケアというタイトルのWebサイトです。

 

ガイドや動画もいいなと思ったので、ぜひ見ていただけたらと思いますが、実は、私が心惹かれたのは、「このホームページを訪れて下さった皆様へ」という最初の挨拶のことばでした。

 

ちょっと抜粋しますね。

 

「トラウマインフォームドケアは、トラウマ体験を聞きだそうとするものではなく、トラウマ体験があると分かっている人にだけ特別なケアを提供しようとするものでもありません。すべての人にトラウマ体験の影響があるかもしれないということを念頭に置いてケアを行おうとする考え方です。つかみにくくて、語られにくい、でもとても多くの人が経験しているものだから、みんながトラウマ体験を持っていることを前提にして考えてみよう、ということです。

 

「「トラウマのメガネをかける」ことは、私たちのこころの健康を守り育むうえで、そして居心地の良い組織やコミュニティを作るうえで、とても大切なことではないかと私たちは考えています。

このホームページの動画やリンクを活用していただいた方々が、「トラウマのメガネを少しかけやすくなった」と感じていただけたら、そして私たちと一緒にトラウマインフォームドケアについて学びを深めていく仲間が増えたら、とても嬉しく思います。」
 

知るほどに、説明が難しいと悩んでしまうトラウマ事なのですが、こんな風に、分かりやすい言葉で、やさしく包み込まれるように説明されると、ちょっと感動してしまいます。

 

これらを作成されたのは、この研究事業のチームの皆様です。

これから折に触れ、参照させていただきたいと思います。感謝感謝。

 

厚生労働科学研究費補助金(障害者政策総合研究事業)
「精神保健医療福祉施設におけるトラウマ(心的外傷)への対応の実態把握と指針開発のための研究」
研究代表者:西大輔先生(東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野)

 

 

朝、アフガニスタンの自爆テロのニュースを知り、胸がぎゅっとつかまれるような気持ちがしました。

新しく分かった情報やそれに対する声明やコメントが次々と伝えられます。

 

その都度いろんな立場の人の言葉や反応に触れ、それぞれの怒りや驚きや悲しみや恐怖を、知らず知らずに受け取りますね。


それを聞いた自分が、どんな気持ちでどんな状態になっているのか分からぬまま、情報や情報の中にある様々な人の感情や思惑の渦に、飲み込まれていくようです。

おぼれてしまわないように

自分の気持ちを置き去りにしない

 

そうしてみることにしました。

現場にいた人がおそらく感じたであろう、衝撃や、痛みや、悲しみや、くやしさが想像されて、自分自身もまた悲しく辛い気持ちになったとしたら、その自分は、既に周辺にいる小さな当事者です。
 

「もっと悲しんでいる人がいる、自分ごときがただ悲しんだとして何になる、自己憐憫でしかない。悲しんだことを人に伝えたとして何になる?悲しんでいる間があるなら、動け、働け」という、内なる声も聞こえるけれど、少し脇で休んでてもらいます。
 

今この瞬間は、悲しんでいい。悲しむ自分を受け止める。悲しんで、祈る。

 

そういう時間を数分とり、少し涙が出て、しばらくして深い呼吸がふぅっと、出てきました。
 

そうしてやっと、自分の仕事にとりかかれると思いました。

事件を知ったとき、他人事として全く考えないようにするという道もあります。
 

でも、たとえ遠く離れた国の出来事だとしても、暴力の連鎖が繰り返されないよう、できることは何なのかと考えるという道もあります。
それを考えることが、少しでも自分の心の健康や活力や人生の充実に役立ちそうであれば、それをする道を選べます。

 

修復的正義という概念を、紹介します。

知っている人は、もうずっと前から知っている、目新しいことではないのですが、私の場合は、最近になって知りました。トラウマインフォームドな修復的司法という本(Trauma Informed Juvenile Justice in the United States)を通して。大学で教えてもらいました。今年上半期は、その本に、たくさん考えさせられ、叱られ、癒され、大事な道を示してもらいました。

 

 
 

そこには、こんな問いが書かれています。

1. Who has been hurt? 

傷ついたのは誰か
 

2. What are their needs? 

その人たちのニーズはなにか
 

3. Whose obligation is it to meet those needs?

ニーズを満たす責任を負っているのは誰か
 

4. What are the root causes?

何が根本の原因なのか
 

5. Who needs to be involved in a justice process ? 

司法のプロセスに誰が参加する必要があるのか
 

6. What is the best process for making things as right as possible?

よい方向に向かうために最善のプロセスは?

傷ついたのは誰か、そこから出発し、ゴールの基準もそこにおきます。

傷ついたのは誰か、今回は誰でしょう。


犠牲になった方、その場の治安を守ろうとしていた米軍で働いていた人、犠牲になったアフガニスタンの市民、アメリカやそのほかの国の市民、その方の家族、その友達、負傷した人、その家族、友達、爆弾を爆破させた人、その家族、友達、アフガニスタンという国、国民、ニュースをその場で報道している人、報道を編集する人、報道を受けとった人
 

・・・ 見落としていたら、どうか教えて下さいね。

 

報道を見て、圧倒されるような気持ちになって、つらいなと思ったとき、私が使ったのは、コレモの体に気づくというスキルでした。

涙や深い呼吸は、神経系のバランスが取れ始めましたよという、体の切り替わりのサイン。

それを知っているからふっと楽になりました。もしこれを、身近な人と一緒にすることができたらもっといいでしょう。

こちらを参考にしています。

 

コミュニティーレジリエンシーモデル(コレモ)

 

おうちに、どうしようかなと思っている、

本、CD、ゲームソフトはありませんか?

役立てる方法がありますよ~!

 

 

本で広がる支援の輪-ホンデリング

 

書籍やCD、ゲームソフトなどを送っていただくと、

その代金が自動的に

認定NPO法人犯罪被害者支援アドボカシーセンター

への寄付になります。

 

この団体は、事故や事件に遭遇したり大切な人を

亡くしたりした時、一人では行きにくい裁判所や

警察、検察庁や医療機関へ付添ったり、

誰にも言えない胸の内を聞いたり、

いろんな社会資源につなげたり

支援できる人を育てることを

95年から、ずっと、地道に市民が中心になって

行っている団体です。

 

なれたらいいな・・・、なりたいな・・・

でもなれるかな・・・なんて、3年間、不安と期待

の間を行ったり来たりしていましたが、

なんとかなれました。

 

Certified Community Resiliency Model® Teacher
(コミュニティ・レジリエンシー・モデル公認講師)

 

コミュニティ・レジリエンシー・モデルというのは

誰もが自然に持ち、無意識に使っている、

体の生理学的な仕組みを活かした

心と体の健康法です。

 

毎日のセルフケアや、対人支援の現場で役立つ

知識とスキルのセットで、今、30以上の国々で

心理、福祉、教育、医療、人材育成、子育て、警察、

災害救済支援の現場で幅広く使われています。
 

きっかけは、2018年、ロサンゼルスで、

気候変動とトラウマについてのセミナーに出たとき、

その場でたまたま考案者のエレイン・ミラーカラスさんの

レジリエンスに関する講義を聞いたことでした。

 

英語もよく分からないから、目立たないように

一番後ろの方に座ってたんですけどにやり

でも、すぐに後悔しました。

 

細かなことまでは分からないけれど、

なぜか、話を聞きながら、同時に、

その話を聞いてもらいたい人の顔が

次々と頭に浮かびました。

 

講義の後、一言エレインさんにお礼を伝えたくて

勇気を出して挨拶に行くと

エレインさんは、私に日本人の友人を紹介したい

と言って、その場ですぐ電話をかけました。

相手はカリフォルニア州在住の臨床心理士

服部信子さん。

 

信子さんは、コミュニティ・レジリエンシー・モデルを、

「コレモ」として日本に紹介した人です。

 

その後、信子さんやエレインさん、

そして Trauma Resiliency Institute

スタッフの方たちに助けられて、なんとかこのたび

日本で二人目の公認講師になれた次第ですほっこり

 

コレモはいつでもどこでもできるのがいいです。

老若男女、言葉や文化が違っても、

文字が読めなくても、お金をかけなくても、

いまそこにあるもの、自分がもっているものを使って

できるのが、いいところです。

 

ご興味のある方、こちらにどうぞ

 

コミュニティ・レジリエンシー・モデル(コレモ)