朝、アフガニスタンの自爆テロのニュースを知り、胸がぎゅっとつかまれるような気持ちがしました。

新しく分かった情報やそれに対する声明やコメントが次々と伝えられます。

 

その都度いろんな立場の人の言葉や反応に触れ、それぞれの怒りや驚きや悲しみや恐怖を、知らず知らずに受け取りますね。


それを聞いた自分が、どんな気持ちでどんな状態になっているのか分からぬまま、情報や情報の中にある様々な人の感情や思惑の渦に、飲み込まれていくようです。

おぼれてしまわないように

自分の気持ちを置き去りにしない

 

そうしてみることにしました。

現場にいた人がおそらく感じたであろう、衝撃や、痛みや、悲しみや、くやしさが想像されて、自分自身もまた悲しく辛い気持ちになったとしたら、その自分は、既に周辺にいる小さな当事者です。
 

「もっと悲しんでいる人がいる、自分ごときがただ悲しんだとして何になる、自己憐憫でしかない。悲しんだことを人に伝えたとして何になる?悲しんでいる間があるなら、動け、働け」という、内なる声も聞こえるけれど、少し脇で休んでてもらいます。
 

今この瞬間は、悲しんでいい。悲しむ自分を受け止める。悲しんで、祈る。

 

そういう時間を数分とり、少し涙が出て、しばらくして深い呼吸がふぅっと、出てきました。
 

そうしてやっと、自分の仕事にとりかかれると思いました。

事件を知ったとき、他人事として全く考えないようにするという道もあります。
 

でも、たとえ遠く離れた国の出来事だとしても、暴力の連鎖が繰り返されないよう、できることは何なのかと考えるという道もあります。
それを考えることが、少しでも自分の心の健康や活力や人生の充実に役立ちそうであれば、それをする道を選べます。

 

修復的正義という概念を、紹介します。

知っている人は、もうずっと前から知っている、目新しいことではないのですが、私の場合は、最近になって知りました。トラウマインフォームドな修復的司法という本(Trauma Informed Juvenile Justice in the United States)を通して。大学で教えてもらいました。今年上半期は、その本に、たくさん考えさせられ、叱られ、癒され、大事な道を示してもらいました。

 

 
 

そこには、こんな問いが書かれています。

1. Who has been hurt? 

傷ついたのは誰か
 

2. What are their needs? 

その人たちのニーズはなにか
 

3. Whose obligation is it to meet those needs?

ニーズを満たす責任を負っているのは誰か
 

4. What are the root causes?

何が根本の原因なのか
 

5. Who needs to be involved in a justice process ? 

司法のプロセスに誰が参加する必要があるのか
 

6. What is the best process for making things as right as possible?

よい方向に向かうために最善のプロセスは?

傷ついたのは誰か、そこから出発し、ゴールの基準もそこにおきます。

傷ついたのは誰か、今回は誰でしょう。


犠牲になった方、その場の治安を守ろうとしていた米軍で働いていた人、犠牲になったアフガニスタンの市民、アメリカやそのほかの国の市民、その方の家族、その友達、負傷した人、その家族、友達、爆弾を爆破させた人、その家族、友達、アフガニスタンという国、国民、ニュースをその場で報道している人、報道を編集する人、報道を受けとった人
 

・・・ 見落としていたら、どうか教えて下さいね。

 

報道を見て、圧倒されるような気持ちになって、つらいなと思ったとき、私が使ったのは、コレモの体に気づくというスキルでした。

涙や深い呼吸は、神経系のバランスが取れ始めましたよという、体の切り替わりのサイン。

それを知っているからふっと楽になりました。もしこれを、身近な人と一緒にすることができたらもっといいでしょう。

こちらを参考にしています。

 

コミュニティーレジリエンシーモデル(コレモ)