新年はじまって日本国内は哀しみと怒りが毎日のように情報の波に翻弄されて、そのはけ口を見つけられずに虚ろな表情の人たちは、交差する駅構内の雑踏の中でどれも人形のように私には映ります。
きっと私も人形のようになっているのでしょう。
ブログを更新する意欲は日ごとに小さくなっています。
当初は自己のPRもできて声や喋りを生かした「縁」を期待していました。
不思議なものでブログを始めた当初は様々なブログ仲間の方とコメントをやり取りして小さくも温かい縁が生まれる兆しがあったように思えました。
しかし、それ以上のものはなくやがて仲間は次々と止めていき、または触れ合いが遠ざかりました。
ナレーションもすっかり遠ざかり、目まぐるしく変わる仕事環境に疲れ果てているのを実感します。
最近、ファンである山折哲雄さんの「わたしが死について語るなら」のポプラ社新書を買いましたが、自宅に帰り厚表紙の同じタイトル本が積み置きされてるのを目にした時にやっぱり感がありました。以前買った本をまた買ってしまうことはしょっちゅうです。
少し前までは鎌田實さん玉村豊男さんもよく読んでました。もう、何と言いますか、人生の酸いも甘いも十分味わってその中で「生を楽しんでいる潔い姿勢」を感じるのです。
でも彼らのような信念は私は持ち合わせていない…。
休日BOOKOFFのバザール店というのでしょうか、楽器やら衣服などが売ってる店に出かけてきました。店中には家族連れで、不要になった衣類や日用品を買い取ってもらう行列ができて、高齢者がジャンパーを物色していたり、子供たちがおもちゃコーナーではしゃいでいたりと結構な賑わいでした。
楽器コーナーに行くとおきまりのギターはもちろん、ボンゴやらキーボードが所狭しと置かれています。その店は割合バイオリンが多く並べてありました。
もしやと思い、ある楽器を探しましたがやはりありませんでした。こういったお店でつい探すのは「オーボエ」です。なにしろ高価な楽器です。おいそれと見つかるはずはない。
専門の中古楽器店なら見つかるかもしれませんがしかし手が出る値段じゃあない、きっと。
この楽器の魅力は音色に限りない美しさがあることですね。
このような店で中古でも手に入れてから練習をとひそかに思っているだけで、ここでも信念の弱さが想いだけで終わっています…。
オーボエの美しさをモリコーネの名曲でどうぞ。
きっと私も人形のようになっているのでしょう。
ブログを更新する意欲は日ごとに小さくなっています。
当初は自己のPRもできて声や喋りを生かした「縁」を期待していました。
不思議なものでブログを始めた当初は様々なブログ仲間の方とコメントをやり取りして小さくも温かい縁が生まれる兆しがあったように思えました。
しかし、それ以上のものはなくやがて仲間は次々と止めていき、または触れ合いが遠ざかりました。
ナレーションもすっかり遠ざかり、目まぐるしく変わる仕事環境に疲れ果てているのを実感します。
最近、ファンである山折哲雄さんの「わたしが死について語るなら」のポプラ社新書を買いましたが、自宅に帰り厚表紙の同じタイトル本が積み置きされてるのを目にした時にやっぱり感がありました。以前買った本をまた買ってしまうことはしょっちゅうです。
少し前までは鎌田實さん玉村豊男さんもよく読んでました。もう、何と言いますか、人生の酸いも甘いも十分味わってその中で「生を楽しんでいる潔い姿勢」を感じるのです。
でも彼らのような信念は私は持ち合わせていない…。
休日BOOKOFFのバザール店というのでしょうか、楽器やら衣服などが売ってる店に出かけてきました。店中には家族連れで、不要になった衣類や日用品を買い取ってもらう行列ができて、高齢者がジャンパーを物色していたり、子供たちがおもちゃコーナーではしゃいでいたりと結構な賑わいでした。
楽器コーナーに行くとおきまりのギターはもちろん、ボンゴやらキーボードが所狭しと置かれています。その店は割合バイオリンが多く並べてありました。
もしやと思い、ある楽器を探しましたがやはりありませんでした。こういったお店でつい探すのは「オーボエ」です。なにしろ高価な楽器です。おいそれと見つかるはずはない。
専門の中古楽器店なら見つかるかもしれませんがしかし手が出る値段じゃあない、きっと。
この楽器の魅力は音色に限りない美しさがあることですね。
このような店で中古でも手に入れてから練習をとひそかに思っているだけで、ここでも信念の弱さが想いだけで終わっています…。
オーボエの美しさをモリコーネの名曲でどうぞ。