今年も新年を迎えることができました。
昨年はすっかりここから遠ざかり、もう止めようかなとも思っていました。
まぁでもいろいろ考えを吐き出す場がせっかくあるのだからと割り切れば
それでよいのかも知れません。
さて新年早々ですが…年賀状
毎年決めてることですが、必要最小限にすることにしています。
年々その成果(?)が出始めて今年は10枚を切りました。
「今年もよろしく」と書き添えてもう何十年も再会や進展のない今の現状を見つめて見ると慣習という単なる惰性でハガキに刷り込んでるだけでしかない。
「今年は会いましょう」とかもう、それ以上言葉の浮かばない決まり文句は書きたくなくなりました。
私は、相手に伝えたい事が自然と浮かんでくる、それが感謝であったり、行事の想い出であったり、これからも良い関係を保ちたいと素直に感じられる人に送った方が良いと決めております。それだから筆も自然と進んでしまう。これが私の年賀状です。
1度、妻の熱意に負けて「プリンスエドワードの旅行写真を編集し」光沢紙に刷り込んで出した事がありました。これは私の方としては失敗でした。
自分の家族の写真を何枚も加工して刷り込んでくるものが相変わらず混じって来ます。
そんなことくらいしか相手に伝えたいことがないのならもう、関係は終わっていると見た方が良い。
最悪なのは「たった一言の肉筆さえ」記さない、まるで放り投げてよこしてきた様な年賀状です。そういうハガキの送り主には、(最初の数年は我慢して出していましたが)贈り先リストから既に外しました。やがて先方も気付いたのかそれで音信は完全になくなります。私はそれでいいと心底思っています。
そんな年賀はハガキの無駄。ゴミが増えるだけです。
よく、年賀状は「あなたを忘れていませんよ」という証しみたいなことを言っていた人がいました。だから受け取った人は嬉しくなるのだと言う。
でも何年も、何十年も「何もない」んです。
考え方ひとつで悪しき惰性の慣習にもなれば、心ある良き慣習にもなるのだと思います。
ハガキの対価の問題ではありません。
自分へのケジメです。
さて新年始めは、これも何度も鑑賞している「グラディエーター」のテーマ曲。インストヴァージョンです。
冬だというのにカッコ良いタンクトップを2着も買ったことだし、
この曲をBGMに今年もビルドアップを目指すか。