禍福はあざなえる縄のごとしといいますが、禍が連続しているような最近です。

先月も母の予想以上の病状がわかり、続いて父の脳梗塞が再発して病院に担ぎこまれたり、私は出勤時に自転車がパンクして遅刻。東海道線は相変わらずの人身事故でまた遅刻。
幸いにして「最悪」は免れていますが、誰もが避けて通れない出来事のひとつでしょうね。

さて、何を打とうか…。


先月何気なく見ていたNHKの番組に釘付けになってしまいました。
ドキュメンタリーとわかりました。

雪が吹き荒れる時期の秋田港。
その近くに自動販売機が並んでいる場所があります。
その中に1台の古い自販機があって、200円を入れると25秒で熱々のそば・うどんが食べられる。地元の人たちに愛されて40年も稼働しているのだという。

長い間稼働しているこの自販機は修理部品も調達できないせいであちこちにガタがきています。出てくるお湯の量が多くなり発砲スチロールの器から溢れ出て味は薄くなっている。
自販機の中にはこれまでに出した数量計がついており数字は407900となってました。
それでも、雨の日も風の日も、吹雪の日でもこの自販機のそば・うどんを食べに来る人達は絶えません。

この番組「ドキュメント72時間」はここに来る人たちの人生模様を浮き彫りにしていきます。
そこを訪れる何組もの人たちをクローズアップしていく中で、私には特に2組の人が印象でした。

猛吹雪の中にやって来たトラック運転手と中学生の息子。
人の良さそうなお父さんは無口な息子の頭をなでながら、一緒に出かける時期はもうないだろうとあちこち連れて想い出を作っているのだという。我が子の成長の嬉しさと寂しさがその表情からにじみ出ているように見えました。

恐らくですがトラック運転手の父は仕事柄普段は息子と接する時間が取れないのではないか。見るからに大人しく控えめな息子に、優しき父は吹雪など関係なく「今」を大事にしているように私には見えました。
 
吹雪が去った翌朝7時、隅のテーブルで一人で食べている53歳の洋菓子職人の男性。若い頃にはよく来ていたという。昨年癌を宣告されて昔を振り返ることが多くなりここに一人で訪れるのだと言う。一緒に来ていた仲間達、当時付き合ってた彼女、今はどうしているのかとつぶやく。

そして、ナレーションではない、この人の生の言葉が私の心に突き刺さりました。
「ひとりなんだけど、ひとりじゃないような気がして…不思議な自動販売機ですよね。」
古ぼけた自販機に今日もだれかがやって来ます。


振り返ると私にも自販機には様々な想い出が蘇ってきます。
中学のとき、銭湯の途中に「オール自販機」だけの店ができました。
6畳ほどのスペースにカップヌードルやサンドウィッチ、ハンバーガーなどが買えて、小さなテーブルもありました。
明るい店内は周囲が暗い分それだけで気持ちが妙に落ち着きました。
学生時代カメラに凝っていた時も、暗い道の脇にボーッと浮き上がる自販機を撮ったりしていました。
今ほどあちこちに設置していない頃でしたしコンビニなんて近くになかったから、家を出て結構歩いて自販機まで買いに行ってました。
缶コーヒーひとつとっても当時はポッカかUCC位で、私は断然ポッカのカフェイン多め(?)の190㎎を買っていました。
もはや今の都会の自販機にほっとするような瞬間はあるのでしょうか。
(その後、しばらくしてGが付く缶コーヒーのCMで山田孝之が雪の季節に両手を温めてホッとするシーンを見てこれだよ、とニンマリしましたが。)

昨年9月、仕事中の車内のラジオから流れたパーシー・フェイス楽団の曲に舞い上がったことを記しました。

今回はそれ以上の舞い上がりです。


我が青春のジェットストリームは、文字通り土日を除いてエアチェック(録音)を繰り返し、聴き入っては宝のような曲を発見するためにこれ以上ない番組でした。

床に置いたラジカセのスピーカーに耳を近づけ這いつくばった姿勢で正味52分間。
エアチェック態勢を維持していました。方法はこうでした。
ジェットで流れるイージーリスニングは、城達也さんのナレーションが入る0時15分と45分のJALのCM、そして25分に始まる「私のレコードアルバム」以外、曲紹介なく立て続けです。そして曲間は確か5~7秒位だったと思います。

先ほどの態勢で私の片手は常に録音ボタンに指がかかっており、基本的に全曲録音対象ですが、すでに録音済みの曲だったり、あまりピンと来ない曲は録音途中で止めてしまい、その曲の始めまで巻き戻して、その上からまた次の録音をかぶせるように続けるものです
そうすることでお気に入りの曲だけがカセットに蓄積されていくという訳です。

それらの曲は(もちろん当時のFMの番組ガイドFMファンや週刊FMにも)曲紹介がないのでわかりません。
当然、曲名は分からねど大変気に入って今でもメロディが頭に染み付いているものがいくつかあります。

その中で、もう、不明曲の私のベストと言ってよい作品がわかったのです

またも、演奏者はパーシー・フェイス楽団でした。

YouTubeにUPしてくれた世界中の誰かに感謝します。

Our Love


すぐさまアマゾンでCDを注文。
私の青春の空白が、また埋まりました。

人生って、ロングタイムのジグソーパズルを解いていく作業なんでしょうか…。



自宅にあるパソコン。

1台前のデスクトップ型はWinXPでした。外付けで使用していたMOドライブが故障してしまい4年位経ちますが、今のPCを買い足してからMOは全く使わなくなりました。
今のWin7に対応できていないのと、時代的に容量が小さいからでした。
最近、MOディスクに残されたデータに必要を感じたためオークションを利用したときの事です。


MOドライブを落札し、同時にWinXPで使っていた時のモニターも廃棄していたので、15インチのモニターもついでに落札しました。モニターは送料は別で¥1,000でした。

MOドライブの出品者は埼玉県の人でとても丁寧な文面をよこす人でした。

製品の箱を開けると、メッセージの書かれたメモが入っていました。
「この度は誠にありがとうございました。このお品がお役に立ちましたら幸いです。
また機会がありましたらよろしくお願いします。」

製品はその所有者の性格を反映しているかのように、外箱と本体は美品、付属品はビニール袋に整然と全て揃っていて新品のようでした。


さらに胸が温かくなったのはモニターを出品した人でした。

彼女は千葉県船橋市の人で、決済条件のやり取りの際に最も配送料の安い方法を伝えていただきました。
驚いたのは、その梱包方法です。
ダンボール箱に詰められたモニターはさらに二重のカバーでダンボールが敷かれており、本体は画面の部分に十分厚いダンボール紙が当てられていました。それをさらに大型のサランラップのようなビニールで四重程に全体が巻かれていたのです。付属のコードも実に綺麗に整えられて両側もゴムで留めてありました。
私はこの何重にも丁寧に巻かれたビニールを剥しながら胸に込み上げてくるものがありました。

たかだか¥1,000の落札代金です。
私ならここまで丁寧に手間を掛けて送る準備をするだろうか?
梱包作業をしながら出品するんじゃなかったと思わなかっただろうか…。

本当はもう少し高い値で落札したかったはずです。
私以外に入札者がいませんでした。他の手段でも品物を処分することはできたはずです。
リサイクルショップやHard OFFなど買い取り専門店に行けばもっと簡単に処分できたはずです。梱包だって必要ない。

それなのにオークションへの出品を選び「これから使う人のことを想い」十分過ぎる誠意を込めてこの品を送り出してくれたのです。そしてこれからは私がこれを使おうとしています。
私には、この出品者は決して品物を粗末にしない、そして次に生かせるようにとバトンタッチをしてくれたように思えたのです。

それなら私はどうか。
日常の道具たる品を普段から粗末に扱ってはいないだろうか。
そしてこの品を使いきる前に手放す時が来た時、次の人に快く渡せるような気持ちを込められるのだろうか…。

ジャンルは何であれ一流と言われる技術者たち、例えばエンジニアや板前さん達は道具をじつに丁寧に扱うと言います。これは全てのことに通じるのではないのか。

そしてまた、顔も知らないで会う事も恐らくないであろう、メールだけのやりとりのほんの短い間の触れ合いが、とても温かく優しいひと時を生んでくれました。

無数にいるオークション利用者たちの中には、そんな温もりを期待して出品、落札している人も、少なからずいるのかも知れません。

私の好きなクリスレアのサントラ、La Passioneから
切なさの心に光が差し込んでくるような曲調。
When the grey skies turn to blueをどうぞ。