与謝野晶子新発見
「やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君」
明治・大正・昭和を生きた与謝野晶子の処女歌集『みだれ髪』に収められた、あまりにも有名な一首である
現代においてこそ、女性の自立、女性の主張も市民権を得、当然のことであるが、明治34年の世に、女性の立場で艶麗な官能、奔放な情感をうたいあげたこの浪漫的な歌集は非常にセンセーショナルなものであった
与謝野晶子<新発見>
霞ヶ浦観光のメッカ「桃浦」を訪ねた
『みだれ髪』で有名な歌人与謝野晶子が昭和初期関東地方にその美しさが轟いていた霞ヶ浦湖水浴場「桃浦」を訪れ歌を残しています。
桃浦で読みし和歌1首
桃浦に古船待てリ乗るべきか いかに
鹿嶋のことぶれも無し
『深林の香』(常陸の旅にてと詞書あり)
与謝野晶子は、このような大戦前の穏やかな社会状況の中、昭和6年に家族で桃浦ほか茨城への旅に出たのでした家庭では11人の子の母、鉄幹の妻として大正、昭和の動乱期を生き抜いた
行方市羽生の「桃浦」は桃源郷のような水辺の里を意味し、大正末期に会社が設立された鹿島参宮鉄道の拠点駅として設けられたものです
日本の原風景が行方にある
ゆったり過ごす小さな旅のススメ
廃線になった鹿島鉄道
2007年4月1日に廃止された。かしてつ
1968年 日本車輌 製。関東鉄道が発注した国鉄DD13形ディーゼル機関車 の同型車。関東鉄道が4路線で構成されていた1965年6月1日 - 1979年 3月31日 における、事実上でも名義上でも唯一の新造車である。
思い出すわあのかしてつ
鹿島鉄道はJR常磐線石岡から鉾田までの27,2キロを走る非電化の私有鉄道。関東平野の田園地帯をノンビリ走るローカル線でした。
途中 霞ヶ浦の側を通り景色のいい所がたくさんありました。
経営が悪化し続け、頼みの自衛隊百里基地のジェット燃料輸送も廃止となり、平成19年4月1日をもって廃止となりました。
本当にさみしかった
青春を彩った かしてつ
名勝桃浦駅跡は いま
かつての桃浦駅(2006年5月撮影)無人駅
当該鉄道は、常磐線石岡駅から常陸小川駅間が第1期線で工事が進められ大正13年6月8日に開通しました。次いで、大正15年8月15日に常陸小川と浜間が開通しました
霞ケ浦に最も近かった桃浦駅付近
筑波山が絶景でした
大正15年桃浦駅はこのとき設置され、遠浅の砂浜と紫峰を望む景観のすばらしさから安全な湖水浴場として開設され、「桃浦観光協会」も発足し、当時としては珍しいプールや貸しボート、多彩なイベントが開催されました。その他の施設も駅近くの天神山にはキャンプ場やバンガロウまで設置され、現在より本格的な観光地として賑わっていたのでした
現在は遊泳禁止の霞ケ浦 桃浦
しかし、今も絶景の桃浦の湖岸です
与謝野晶子は明治11年(1878年)大阪堺市の老舗の羊かん屋の3女として生まれた
堺女学校を卒業、女学校時代から文学、-特に日本文学に親しみ家事を手伝い、帳場に坐りながら寸暇をさいて『源氏物語』などをひもといた。
明治34年、来阪した与謝野鉄幹と出合って、新詩社に加わり、翌年には鉄幹との結婚のため家を捨てる等、私生活に於ける彼女の生き方も作品と同じく情熱的であった
昭和17年(1942年)鉄幹におくれること7年、64歳で華やかにも美しい浪漫詩人の生涯を終えた
エリザベス
あこがれの情熱の歌人
すっごい素敵な体験ができそう
ぜひ 来て 見て
私もママチャリで行こうかな
霞ケ浦をサイクリング