行方塾を創設しました![]()
東京大学名誉教授 箕輪光博氏
が率いていた「玉藻塾」が名称を「行方塾」
に変更して新たに再出発することになりました
箕輪教授が玉藻塾を率いて
2年が経過しました![]()
令和8年1月11日新春に行方塾設立総会が開かれました![]()
行方塾二代目塾長に平野敬子が選出されました![]()
会議の中で![]()
行方塾は行方を元気にする人材育成、子供の教育、郷土に自信を持たせる場である。また、個人個人の自由な意見の交換、広がりを持って自然にみんなが集まって対話を形成する話し合いディスカッションの場である。市民の意識改革、行方市の振興と発展、人材発掘、歴史的遺産の時代別(古代・中世・近世)現地確認を地元の人々と実施、昔の伝統行事を見直し、地元の意識を復活させる。研修視察、講演会など様々な意見がありました。令和は、昭和、平成と違った新しい観点で進めなければならない。その中で小高城跡を護る会をはじめに着手してはどうかという意見があり、全員が賛同した。小高城跡の現在の地主様の許可を得てから現場調査、その後、小高城跡の整備にかかりたい旨、一同賛同。
小高城跡を護る会
本当に実現を願う夢や希望は、どんなに不可能に思われても、まずは記録する事が大事
言葉で表すことで自分自身に突き付けてみる
他の人に話して自分にプレッシャーをかけ続ける
きっとそれは実現を促すはず
話した人が実現の「懸け橋」になる
そして私にはSNSという強い見方がある
直接会わなくても、ネットの中で夢や希望を語ることで、あってもいない人が「懸け橋」になってくれることもありうるかもしれません![]()
行方塾がはじめに着手するのは、「小高城跡を護る会」です
中世400年この地を護り、現代へと繋げてくれた小高城跡が木々で覆われている現在、私たちは、この歴史ある小高城跡を整備し、伝承し観光資源の復活を図り、更には行方歴史文化の伝承を子々孫々まで語り継ぐ機運の醸成こそが、現在、生きている私達の使命である。2013年に、私が訪れたときには、郷土文化研究会の小高の皆さんが整備してくれていました。しかし、皆さんがお亡くなりになり、現在は荒地となっています。いまこそ、行方市を挙げて小高城跡の整備に注力し、観光の目玉として行方市にある小高城、羽黒城、玉造城の復活をめざす。まずは、行方四頭の長男🌟小高太郎の小高城跡に注力いたします![]()
小高太郎の夢の跡
関東平家の直系である「常陸大掾(だいじょう)氏」は、中世、常陸の国に勢力を持った一族で軍事貴族です。その平清幹の三子がそれぞれ長男盛幹は吉田太郎、次男忠幹は行方次郎、三男成幹は鹿島三郎となり吉田氏・行方氏・鹿島氏となる
この次男忠幹(行方氏始祖)の子、景幹が地頭職に任じられ、行方地方で勢力を拡大し開拓していきました。しかし、このあちこちには鹿島の神宮の領地もあり、争いも盛んに起こったようです。
この景幹には4人の息子がおり、行方氏・島崎氏・麻生氏・玉造氏になっていきます。
長子、為幹が行方(後に鎌倉時代初期に小高に移る)、二子高幹が島崎、三子家幹が麻生、四子幹政が玉造に城を築き、それぞれ地名を名字として、武威を振るった。
この子孫は「行方四頭」とよばれ、中世400年を通じて行方郡の中心勢力となった。
長男 小高太郎
次男 島崎次郎
三男 麻生三郎
四男 玉造四郎
行方塾 始動します![]()




