エリザベスの新シリーズ
スタート
行方市ゆかりの華麗な一族
第1弾 女優の香川京子さんです
昭和の銀幕に輝くヒロインココ
香川 京子さん 本名;牧野香子
旧華族出身
お母さんの実家が麻生でした
生家は、今の麻生陣屋大通り商店街の
大黒屋という旅館でした現在はありません
大黒屋には、麻生藩 新庄氏の精神を
受け継いだ麻生藩校『精義館』ゆかりの時代
の名士がいつも集まっていたそうです
精義館の印のついた瓦
麻生藩15代藩主直敬(なおたか)は廃藩直前となる明治2年(1869)に麻生陣屋内に地坪300坪、建坪50坪の藩校精義館(せいぎかん)を建設させました武士のみならず・豪族や庄屋の子孫も学んでいました
“人の育成こそ財産”
1万石の小藩ながら江戸から明治まで存続し、時代の名士を生み出している
行方市麻生出身の内田信也鉄道大臣
ココ
も大黒屋によく来ていたそうです
戦中、麻生に疎開潮来女子高に通学
東京都第十高校卒業後の1949年
東京新聞
主催の「ニューフェイス・ノミネーション」に合格、新東宝映画
に入社する。1950年
、大日方傳
監督の『窓から飛び出せ』でデビューする
お嬢さんが女優になった
ニューフェースに応募したきっかけは高校卒業時に漠然と将来を考えた際に本来はバレリーナになりたかったらしいのだが、高校生から目指すのは遅すぎて、どうしようか考えあぐねている時に新聞の募集欄が目に止まり応募したと云う。
芸名の香川京子の由来
芸名の香川京子は映画会社で用意されていたものが、しっくり来ず、家族と香川自身が考えたもの。本名の"香"と言う文字はどうしても用いたく、また本名の"きょうこ"という音も用いられるこの芸名にしたと言う。
あの時代にフリー
日本の大手映画会社間の五社協定 (専属契約)がある時代に早くからフリーになれたおかげで、各映画会社の映画黄金期の多くの巨匠たちの作品に出演するという幸運に恵まれている。 この多くの巨匠の様々な役に自身がキャスティングされた事について、本人は個性のない普通の雰囲気が使いやすかったのだと思うと、謙遜して答えている。
女優として開眼
女優として多くの作品に出演しているが『ひめゆりの塔 』(1953年)に出演した事が転機になったようで、この作品に出会ってから女優としての意義を意識するようになったと語っている。
1980年代いっぱいの間、全くのブランクがあったり出演作品が少いのは、結婚・出産・育児そして夫の海外赴任への同行で女優業を全て休止していた期間があったためで、ニューヨーク在住時の1977年にはニューヨーク大停電 を経験している。
九代目松本幸四郎さんの縁結び
藤間紀子さんは松本幸四郎とは遠縁にあたる女優の香川京子
さんの紹介で知り合った
子供に歌舞伎役者の七代目市川染五郎
(当代)、女優兼演出家の松本紀保
、女優の松たか子
がいる
香川京子さん
気品のある日本的美人女優
この霞ケ浦の景色をきっと見ていたので
しょう
皆さんにお聞きしたところ、すごく上品で
綺麗な方でしたと答えてくださいました
その美しさは 現在も続いています
長澤まさみさんが 似ているかも