うわぁ~きれい
巫女の舞は、天女のよう
神殿での巫女舞(みこまい)
雅楽に合わせて、シャンシャンと鈴の音
厳粛な雰囲気と緊張気味の巫女
室町時代からの贈り物
化蘇沼稲荷神社の夏祭
(けぞぬまいなり)
古式ゆかしい舞の披露 巫女舞
最初は、ドキドキしていたみたい
武田地区の小学生の女の子が、ふたり
選ばれます とっても素敵よ
雅楽が鳴り出すと・・・・・・・・・キラリ
巫女の踊りに陶酔してくるお客様
神聖な巫女舞は、まるで天女の舞
儀式が終わって、ほっとする巫女さん
大役を見事に努めてくれました
心が洗われるような巫女舞素晴らしい
「お江戸みたけりゃ武田へ
おいで 武田三宿江戸まさり」-
「武田三宿」とは、現在の行方市立武田
小学校周辺の内宿、両宿地区を指します
今は静かな農村地帯だが、毎年八月二十
五日の例大祭には多くの人が集まるの
江戸時代に化蘇沼稲荷神社の参詣客で
にぎわい、大きな「市」が立った当時の
様子を再現しているようです
守山藩の支配地だった
北浦は、東北諸藩や水戸藩の穀物などの
輸送の重要地点
これが、豪商や神社のにぎわいを生んだ
背景だろう
領主大掾氏が創建、一五三四(天文三)年
に武田氏が再建した。その際、奉納相撲
で五穀豊穣(ほうじょう)を祈願したとされる。
一七八八(天明八)年に、火事で焼失。
その後、「帆津倉」の豪商・河野涼谷が村人
の協力で再建しました
河野は醸造家。「亀甲正」の商標をつけた
醤油は大消費地江戸に船で運ばれ大繁盛
一方で江戸から多くの参詣者が帆津倉に
上陸し神社に向かったという。
河野は俳人でもあり、交流のあった・・・・
小林一茶が同地を訪れている
また境内には、松尾芭蕉と涼谷の作を並
べた句碑も建立されている
「武田三宿」今に伝える・・・・・・・
伝統の奉納相撲を高めた。北浦町史によると、帆津倉村
出身の河野三五郎は江戸相撲の力士と
なって活躍 「鹿島灘」のしこ名で前頭六
枚目まで進み、第五代秀ノ山親方となっ
ているのです
三年間、大相撲の佐渡ケ嶽部屋の
力士が同神社を訪れ、相撲を奉納した
現在土俵周りにある屋根付きの立派な
四本柱は、その時に作られました
前に子供相撲を始めてから、盛り返し
たという。小学生から大人まで約が出場
する今年も、特設の「さじき席」から往時
と同じ歓声が境内に響き渡りました
エリザベス
がんばれ~
一番、一番が、すごい歓声
奉納相撲、巫女(みこ)舞で盛り上がり、
往時のにぎわいを伝える化蘇沼稲荷神社
もおっ すごく 楽しかったわ