毒親に育てられたのかも…
って思うのって、実は子どもにとってものすごい辛いことなんだよね。
親を毒親だと判定するのにものすごい罪悪感を抱いちゃう。
他人からも下手すると、
愛してもらってきたでしょ
育てて来てもらったんでしょ
って言われちゃうしさ
でもね、待って待って!!
そもそも『愛』と『毒親』って切り離して考えるべきなのよ
そうそれは、
DV夫がどれだけ妻を愛していようが許されるべきではないのと同じ!!
愛があるから何でも許されるわけじゃない
愛しているよって言いながら、殴るDV夫
お金を与えて生活させてやっているだろうって言いながら、妻を思いのままにしようとするDV夫
子どもを愛しているに決まっているでしょって言いながら、親の思うとおりにさせようとする毒親
生活させてやってるんだろ!って言いながら、子どもの心を踏みにじる毒親
一緒やん!!
一緒でしょ?
一緒なのに、何故だかDV夫は周りから見て、「やばいはこいつ」って思ってもらえるのに、毒親は思ってもらえない。
だから余計に毒親育ちって、自分でも分かりにくいし、他人から諭されてしまうなんてことも多発するんだよねー。
さらには、DV夫と同じで、親自身が愛があれば許されると思ってる。
からそれを結局子どもに押し付けて言葉を封じるんだよね・・・
愛があれば、何でも許されるはずないじゃん!!!
金を渡していれば、何でもOKなはずないじゃん!!!
行われた行動、事実
と
愛やお金
は切り離して考えてみて!!
で、事実や行動を見て、『毒親だったんだな』って判断してもいいの!
そこに愛を介入させんでいい!!
愛は愛。
私もここ最近ようやっと、
親は親なりに愛してくれていたんだな、
愛がなければ出来ないよな
って思うようになってきたわけよ。
でもそれと、育てられ方ゆえに私が大人になっても苦しんだことはまた別の問題。
そこをまぜこぜにしちゃうと、どうしても毒親問題ってややこしくなっちゃうわけよ。
そこから抜け出せんの。
育てられ方が正常だったのか、異常だったのか。
もうね、見るところはそれだけ。
で、そこに問題があったのなら、あったなりの対処方法を取っていくってだけなんだよ
シンプルでしょ