高市の「宣戦布告」問題。
岡田が質問通告をし、それにそって官僚が答弁を準備した。それを高市が無視して、暴走した。そこに問題があるのだが。
あるところで、質問通告をし、それに対する答弁を官僚が用意し、高市が読み上げるだけなら国会質疑の意味はない、という意見を読んだ。「シナリオ」があって、それをテレビ中継しているだけ、だから。
ほんとうに、そうか。
岡田の狙いは、どこにあるか。
それが「シナリオ」であっても、かわまない、ということろに狙いがある。岡田の狙いは、高市が、それまでの内閣と同様の姿勢で「台湾有事」に臨む、という「言質」をとることにあるのだ。(あったのだ。)
それは、つぎに高市が何かを起こそうとしたとき、「11月の国会で、従来の政府方針を継承すると言ったではないか」と追及するためである。高市の「次の暴走」を止めるためである。事前に「言質」をとる。こういうことは、いろいろな「交渉」の場でおこなわれる。
従来通りの政府方針継承では、岡田の敗北(質問失敗)に見えるかもしれない。岡田は結局、高市を追及しきれなかったという印象を、テレビを見ているひと(報道を読んだひと)に与えるかもしれない。しかし、それでいいのである。戦争に踏み込ませない(踏み込まない)という「言質」さえとれれば、岡田の「勝ち」である。
なにも、高市に「憲法9条を守ります、自衛隊を海外に派兵することは絶対にありません」という「言質」をとらなくてもいいのである。もちろん、そう言わせることができれば、それはすばらしいが、いまの状況では、それはむりである。そうであるなら、最低限「政府方針に変更なし」で十分なのである。
こんな「あたりまえ」のことが、わからないひとが多すぎる。
それが、こわい。
高市は、強欲だから、岡田に与えるべき「言質」を少しでも自分の思う方向に動かしたかったのだろう。しかし、理性が足りないから、とんでもないことを口走ってしまったのだ。
高市は、「従来の政府方針を継承する(変更はない)」という「言質」をとられたくない。そのとき、高市は、きちんと自分の意図を官僚に伝え、そこで議論を深めればよかったのである。そういうことを、していない。もしかしたら、とても「ずるい」官僚がいて、何か思いついたかもしれない。それが「新しい表現(批判に耐えうることば)」となって結実しなかったのは、簡単にいえば、高市が官僚と「意思の疎通」ができていない、という証明なのである。
私は官僚が用意した「答弁」がすぐれた答弁とは思わないし、官僚に高市の意思に沿った「答弁」を用意してほしいとも思わないが、この「意思の疎通の欠如」は問題だと思う。
意思の疎通がなかったからこそ、高市は、暴走してもかまわない、「私が決めることが全てだ」と思ったのだろう。あるいは、官僚の言うことなど聞いていられるかと思ったのだろう。
ここに、ふたつめの、こわさがある。高市には、信頼できる「相談相手」がいないのである。高市に「助言」するひとが、いないのである。そういう人間が、首相をやっている。
世の中は、こわいことだらけてある。