立憲・野田の無能さ加減 | 詩はどこにあるか

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26日、国会で党首討論が開かれた。私はテレビを見ていない。詳細も知らないのだが、読売新聞が報道しているものをみると、あきれかえるほかはない。2025年11月27日(西部版、14版)の「キャナー」を読むと、

対中 首相慎重答弁/立憲・野田氏も深追いせず

 という見出し。
 そのなかに、党首討論後の野田が語ったことばが書かれている。

野田氏は討論後、記者団に「具体例を言わなくなったということは、事実上の撤回と受け止めた」と述べて首相を側面支援した。

 野田が「事実上の撤回」と受け止めれば、中国も「事実上の撤回」と受け止めるのか。中国はすでに国連の場で、高市の発言を問題にしている。これは、もう日本だけの問題、日本と中国とだけの問題ではない。
 野田が「納得」しても、中国が納得しないことには解決にならない。
 さらに、「ポツダム宣言」に関係した国が「納得」しないことには、解決にならない。中国は、まず、「ポツダム宣言」に関係した国々、国連を創設した国々に対して、日本が中国になにをしようとしているかを説明し、日本の危険性を「論理的」に訴えた。
 高市の発言に問題がないというのなら、高市が国連の場で、同じことをはっきり言えばいい。国連で反論すればいい。
 そんな「度胸」が高市にあるか。
 そんな「暴言」を、トランプは容認するか。

 高市から「発言撤退」ということばを引き出せなかったのは、野田が「深追い」しなかったからではなく、深追い「できなかった」からである。高市辞任へ追い込むことが「できなかった」だけである。
 野党第一党の党首である野田が、高市から政権を奪いとる気力がないことが、いまの日本の一番の問題かもしれない。
 読売新聞に「首相を側面支援した」などと書かれて、恥ずかしいとは思わないのだろうか。