読売新聞の「報道」 | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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読売新聞、11月19日朝刊。
その見出し。

日中 溝埋まらず
首相答弁巡り議論 外務省局長

記事は読まなくてもわかるが、私は読む。そして、次のことばに注目する。

日本側は今後も中国側に粘り強く説明を重ね、理解を求めていく方針だ。

「決まり文句」を書き並べているだけだが、いったいどんな「説明」ができるのか。どんな「理解」を求めていくのか。
「高市の発言が正しい」と中国は判断するのか。そんなことは、ありえない。
中国は台湾に対してどんな武力も行使していない。行使するとも言っていない。
架空の話で、高市が、かってに中国を「敵国」と断定した。
高市が、発言を撤回し、辞職しないかぎり、「日中の溝」は埋まらない。
問題は、「日中関係」だけではない。
日本国内でも起きている。
いわゆる右翼(高市支持派)と、そうではない国民の間に「分断」が起きている。
日本国内の「分断」もおさまらない。
高市は、中国と戦争さえはじめれば日本国民は団結すると思っているのかもしれないが、ほんとうに団結できるか。
日本のだれが中国との戦争に参加するのか。参加したい人間は、どれだけいるのか。高市支持派のいったい何人が、実際に、戦争に参加するのか。
読売新聞の記者、あるいは社員は、その戦争にすすんで参加するのか。読売新聞は、読者に向かって、日中戦争に参加しようと呼びかけるのか。
何が起きても読売新聞は、無関係、と言い張るのか。
そうではなくて、(読売新聞の口調をまねていえば)
読売新聞は、高市の発言が間違っていると粘り強く高市に説明を重ね、高市が発言を撤回し、首相を辞任するよう働きかけていくべきだろう。
それが言論機関の仕事だろう。
「日本側は今後も中国側に粘り強く説明を重ね、理解を求めていく方針だ。」というような、無責任な、傍観主義的な記事は書くべきではない。