ロレーナ・パディージャ監督「マルティネス」(★★★+★) | 詩はどこにあるか

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ロレーナ・パディージャ監督「マルティネス」(★★★+★)(2025年11月09日、KBCシネマ、スクリーン2)

監督・脚本 ロレーナ・パディージャ 出演 フランシスコ・レジェス、ウンベルト・ブスト、マルタ・クラウディア・モレノ

 とても静かな映画。
 気に入ったシーンがいくつもあるが、まず、フランシスコ・レジェスがそこにいない恋人を家に招き、夕食をとるところ。ずーっとカーキ色のスーツだったのに、一回だけ違う色のスーツを着る。それが特別なものであることを印象づける。何も言わないが、それがいい。
 つぎに同僚を裏切ったあとの、自分の部屋をかたづけるシーンの服装。それまできちんとしていたのが、乱れる。カッターシャツがズボンの中にはいっていない。それは、どちらかといえば少しの乱れなのだが、その少しが逆に、とても「大きく」感じられる。
 服装(ファッション)は、どうやらこの映画のなかでは、とても大事な役割を果たしている。女のネグリジェを買うところ、そのネグリジェから女を連想するところは、ちょっと露骨かもしれない。しかし、女のエプロンをつけて料理をするところなどは、気配りが行き届いている。さりげなくて、とてもいい。
 せりふも、なかなか気が利いている。同僚のシャツのインクの染みをを見て、その洗濯方法を説明するシーンなんか、うなってしまう。
 「おまえは副業で洗濯屋で働いているのか」
 「女の雑誌を読め(だったかな?)」
 そう、フランシスコ・レジェスは、「恋人」がどういう人間だったか知るために、彼女が残した本やノートを読んでいるのだ。そこで得た知識なのである。同僚から「副業」という指摘を受けて、主人公は男と女の違いを知る。女がどんなことばを生きているかを具体的に実感することになる。これは恋人のために香水を買うシーンにびっくりするかたちで描かれる。男は恋人がどんな女か(男がどどんな女を思い描いているか)を語るのだが、そこには恋人が好む香りが含まれない。しかし、店員は、その女にふさわしい香水(男がどんな香水の女が好きなのか、ということにつながる香水)を選び出す。このシーンは、さりげなくて、しかし、とても深い。こうしたさりげなさを交錯させながら、プラネタリウムのデートが語られる。(実は、香水選びのシーンの方があとなのだが、逆に書いてしまった。)彼の嘘(夢)は、他人を感動させてしまう。そうしているうちに、主人公にも嘘とほんとうがわからなくなる。
 いいね。
 そして、この嘘とほんとうの交錯は、重い後悔にもなる。彼は、彼の後任になるはずの男についての「評価」で、嘘を言ってしまう。しかし、その嘘は、会社からはほんとうと判断されてしまう。
 とても重大な問題なのだが、彼が嘘をついたことをだれも知らない。どの嘘についても、それが嘘であると、だれも知らない。そして、彼は彼で、私は嘘をついたとは、だれにも言わない。
 これが、とてもおもしろい。(ちょっとイギリス風。メキシコ人は、スペイン語圏のなかではイギリス人的な性格なのかも。脱線したが。脱線を、すこし修復すると……。)
 主人公をチリ生まれでメキシコで生きている男と設定していることも、こういうことに関係があるかもしれない。メキシコとチリは同じスペイン語圏の国だが、そのスペイン語には違いがある。違いがあっても、しかし、通じてしまう。それは、ほんとうの「理解」といえるかどうかは、別問題である。そういうことも考えさせてくれる。
 ところで、メキシコの友人によれば、日本で言う「サラリーマン」のことをメキシコではGodinezというと教えてくれた。これはMartinezと韻を踏む。せりふに非常に繊細な工夫をしているから、タイトルもきっとその繊細さを反映しているといえるだろう。Martinezと聞けば、メキシコ人はGodinezを思い浮かべるかもしれない。
 気がつかなければ気がつかないでかまわない。気がつくひとが気がつけば、それで十分と監督は考えているのだろう。なかなかできるわざではない。そういうことで、★をひとつ追加した。とてもしゃれた短篇である。