青柳俊哉「パイナップルノート」ほか | 詩はどこにあるか

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青柳俊哉「パイナップルノート」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年10月20日)

 受講生の作品、ほか。

パイナップルノート  青柳俊哉
 
かおる音節をノートにしるして種を交配する
 
パイン アップル ペン プラム チューリップ
 
赤土の広大な斜面に綴りをはなす
うめのあめがふりはじめる
 
鋭い葉の中からほそながくペンの茎がのびて
先端にチューリップの花がひらく
 
やしの木の林檎の実のようなパインのうめのふうみ
 
パリから渡って来る交配日誌があめにぬれる
葉陰の幼虫の蛾がみつをもとめる
 
土用の日のあめあがり 下葉に垂れるみつのあめ
 
たべのこした幼虫の葉をぬれたノートへもどして
かおりだすチューリップルの実

 音の種の「交配」から生まれる新しい音とイメージ。「パイン アップル ペン プラム チューリップ」から最終的に「チューリップルの実」に結実するのだが、もっと「非実在」というか、架空をとりこみ、「音楽」そのものにしてもいいのではないか。「意味」は音の中から、読者が探す。その「探す」を読者にまかせてみてもいいかもしれない。
 カタカナの音とひらがなの音が分離してるように思える。最終行は「かおりだすチューリップルの実」はひらがな、かたかな、漢字が交錯するのだが「チューリップル」以外は、そのままひらがなの「意味」、漢字の「意味」になっているのが残念。



かすかな声に  堤隆夫

かすかな声に 耳を傾けること
幸せだった遠く幼い頃の
半世紀前の鈴虫の声が
かすかに聞こえてくる

それは あなたの声だったのかもしれない
本当の声は 大きくはないよ

よろこび かなしみの かすかな声に
耳を傾けることが これほどまでに 
今も生きている 私の心の糧になるとは

さまざまな時代の暴力を超えて
わたしたちには
分かち合えるものがある

それを あなたの声は教えてくれた
本当の声は 大きくはないよ

普通の暮らしが 危機にさらされている今
時の横暴権力が期待するのは
わたしたちの 分断と追従と無関心

いちばん大切なことは ふつうの日々の中で 
声にならない かすかな声に 耳を傾けること

それを あなたの声は教えてくれた
本当の声は 大きくはないよ

 「あなたの声は教えてくれた/本当の声は 大きくはないよ」ととじられる詩。そのときの「あなたの声」は、どういう声だったか。確信に満ちた「大きな声」だったか。おしつけがましくなく、「かすかな声」だったに違いない。
 詩は、そうやって「循環」してとじられるのだが、「かすか」であるから、その「閉じる」には「拒絶」がない。むしろ、「誘い」がある。そっと耳を傾けるものに対してだけ、それは「開かれている」。
 「開かれている」から、いつでも、その「声」の場所へ行くことができる。よりどころ、「心の糧」になる。

*

生体  井坂洋子

至近距離で
顔を見
見るだけで声にはならず
気持がつたわったような気になって
別れた
(あなたは怒ると笑うような表情になる)
あまり近くで見詰めていたので
視界の修整がきかない
駅の階段を
背中だけの人が大量に降りていく
みんな上手に低くなって
地下鉄に乗りこみ
先をきそって
目を閉じる

轟音が怒りを敷いていくようで
疲れたからだが鳴っている
車窓には首のない生体が揺れる
(一度でも思いだしておかなければ
二度と思いだせないことばかりだ)
駅名を告げられる前に
獣のように膨張した頭をゆり起こす
それから
弾力を求めて
人の波にぶつかっていく     (『男の黒服』から)

 初期のころの井坂洋子。どの行も、ふしぎな含みをもっている。それは私には若い女性の「肉体」のやわらかさにも感じられるが、井坂の肉体はただやわらかいだけではなく、芯があり、拒絶することも知っている。
 「駅の階段を/背中だけの人が大量に降りていく/みんな上手に低くなって/地下鉄に乗りこみ」の「上手に」は佐多稲子にも書けないかもしれない。(男は、絶対に書けないだろう。)新しい冷静さがある。
 終わりの二行もいいが、「上手に」には、いくら頭で考えても出てこない個性がある。たしかな視点がある。