ミゲル・ゴメス監督「グランドツアー」(★★★)(2025年10月11日、キノシネマ天神、スクリーン1)
監督 ミゲル・ゴメス 出演 ゴンサロ・ワディントン、クリスタ・アルファイアチ
婚約者(男)が結婚式の前に逃げ出す。それを女が追いかける。これが、「ストーリー」。しかし、映画には、ストーリーはいらない。もちろん「スティング」のようにどんでん返しのストーリーが楽しい映画もあるが、それだって「映像」が魅力的でなければ、映画の意味がない。
この映画の魅力は、アジアの湿気を含んだ空気の映像化。中国のシーンでは、ジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」を思わせる空気が描かれるが、この感じは、たぶん「カンヌ好み」なのかもしれない。だから、ミゲル・ゴメスのこの映画も「監督賞」を撮っている。というのは、まあ、余分な「偏見」かもしれない。
旅に出る。
そこでときどき経験するのは、自分と他者とのあいだにある、あいまいな膜、といっても、サランラップのように抵抗感があるのではなく、蒸気のようにはっきりした手応えのない膜に出会うことである。しかも、それは蒸気のようなものだから、揺らぐ。そして、その揺らぎというか、風が引き起こした「切れ目」から、思いもかけず、何かがくっきり見えたりすることがある。あ、これが、「この土地」「ここに生きるひと」なのだと思い知らされることがある。それが自分の生まれ育った国ではなく、外国だとなおさらそういう印象がある。
この映画は、そういう印象を呼び覚ましてくれる。
映画の主人公は何人か。はっきりしないが、ヨーロッパ人である。そのふたりがモンスーンのアジアをさまよう。雨が降っていなくても、空気のなかには湿気があり、それが全体をくすませる。モノクロのシーンが多いのだが、まるで古くなって劣化したフィルムのようである。しかし、それが、妙に美しくて、せつない。網膜に、むりやり映像をおしつけてくる感じがしない。ああ、たしかに、世界が(風景が)こういう感じに見えることはあるなあ。
それは人間関係も同じ。だれかと会う。その瞬間も、へんな「膜(蒸気)」がまわりにあって、はっきりとした関係がむすべない。何かが揺らぐ。しかし、たいていは、それで間に合うのだから、それでいいのだろう。「欲望」が押し通されてしまったとしても、まあ、仕方がないなあ、何とかなるだろう、という感じ。
この映画が最大におもしろい点は、前半が「逃げる男」が接する世界であり、後半が「追いかける女」が見る世界なのだが、それが共通した「膜(蒸気)」につつまれていることだ。主人公がかわるということは「視点」がかわるということなのだが、「男」と「女」を登場させないことには、その「変化」がわからない。それくらい似ているのである。そのため、あれっ、この映画、途中から男が登場しないのに、男が登場しないということを忘れてしまいそうになるなあ、という気持ちになる。いや、実際、私は、後半に登場する女は、実は、実在の女ではなく、男が空想している女かもしれないとさえ思った。言い換えると、前半の逃げる男も実在はしていなくて、女が空想している男なのかもしれないと思った。ふたりは「空想」のなかで「逃げる男/追いかける女」という関係を思い浮かべながら「グランドツアー」をしていると錯覚するのである。
途中に、女が、その街にある全部のホテルあてに、「私は到着した」という電報をうつシーンがある。男は追いかけてくる女に困惑するのだが、いつも電報が届くのは、女が全部のホテルに電報をうっているからである。どこにいるか明確に知っていて電報をうっているわけではない、という「種明かし」があるが、これなどは「逃げる男/追いかける女」が「一体(ひとり)」であることを隠す(否定してみせる)ためのトリックであり、だからこそ、私は「逃げる男/追いかける女」が「一体(ひとり)」であると信じるのである。
これは私の体験に照らし合わせて言えば、たとえばスペインを旅する。そのとき、私はスペインを見ているのか、それともスペインを見ている私を見ているのかと考えるのに似ている。そんなことは考えなくてもいいのだが、ふっと感じてしまうのである。こんなふうに見えたのは、私がこんなふうな考えを持っていたからであると反省する感覚に似ている。もっと違う「見え方」があってもいいはずなのに、それができない、と悩む感覚にも似ている。
で、どちらかというと、「哲学的」な映画。
とても刺戟的なのだが、★が4個、5個にならないのは、「時代設定」が遠い過去だからである。現代ではないからである。現代は情報社会だから、私が書いたような「膜(蒸気)」があらわれることはとても少なくなっている。現代を舞台に描くと「こんな感覚はありえない」と批判されるかもしれない。それを避けるために、古い時代にしたのかもしれない。それが、とても残念。「いま、世界はどう見えるのか」を描かないと、映画としては物足りない。
でも、映像の美しさは、私はとても気に入っている。