青柳俊哉「けむる」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年08月08日、09月15日)
受講生の作品ほか。
けむる 青柳俊哉
しゅううの川 葦の原生林の
家 みずがめにとまる白鶺鴒
うしの背をはう蝸牛 浮沼
にひしめく菱 あめが烟る
稜線がきえてみずはうつらす
まつげの陰に あしのいえの
中に ほとばしる雨のいと
舟をかわにうかべつり糸を
たれる人 かこもなもなく
雨景にとけてそらにかかる
かたりかけるあめと雨の声
けむるねむる糸のひとの空
漢字とひらがなが交錯している。いくつ見つけることができるか。講座で、そういう問いかけをしたとき、全員が見落とした組み合わせがあった。青柳が「うしの背」「蝸牛」も書き分けている、と教えてくれた。
他の組み合わせは「音(読み方)」がおなじだから気がつきやすいが「うし/蝸牛」は凝った組み合わせといえる。
そういうことと関係するかもしれないが「糸/いと」「人/ひと」は、「糸/人(いと/ひと)」のあいだでゆらぎをみせて、最後の一行は、とてもおもしろい。「ねむるひとのいとの空」と読んでみたい。
似たことは、「稜線がきえてみずはうつらす」の「うつらす」にもいえる。ここには、不思議な揺れがある。「うつる」は「映る」(写る)か「移る」か。晴れているときは水面に映る稜線が、雨のために映らない。水面が鏡のようではなくなったためか、それとも稜線が雨によってどこかへ移されたためか。
「うつらす」はこわれた日本語だが、その「こわれた」もののなかに、まだ何かが残っていて、それが想像力を刺戟する。
*
筑豊の火の川の流れは絶えずして 堤隆夫
たとえばわたしが 今
「追われゆく坑夫」の立場であって
「写真万葉録・筑豊」のリスク現場を生きて
毎日毎日が メメント・モリであったならば
その流血の地底の修羅場において
わたしは なにを詩作するというのか
わたしに なにが創造できるというのか
ガス爆発で救出不能の 落盤下
閉ざされた石炭スクリーンに描きし
鶴嘴戦士の阿弥陀佛
空蝉の閉山坑夫の背中の 慈母観音のタットゥーよ
そは死者を追慕し
深く静かに泣いているではないか
田川石炭・歴史博物館の 暮れなずむ落陽の慈愛の光の中で
坑口浴場のペンペン草の跡地で
わたしは 今
黒衣の鴨長明の無常を知る
たとえばわたしが 今
筑豊飯塚の女郎花だとして
その女郎花を摘む女衒を殺して
八木山峠を命からがら 夜もすがら
八甲田山の雪中行軍さながらの 死の彷徨の果て
辿りつきしは 博多 柳町
が 彼の地も此の地も「世間胸算用」に変わりはなかった
時代をこえての怒り 時代をこえての笑い
そして
時代をこえての カナシミノココロ
最終連に「時代」ということばが出てくる。これはなんだろうか。筑豊炭鉱の歴史、方丈記(鴨長明)、八甲田山の雪中行軍、さらに西鶴(世間胸算用)も出てくるから、この「時代」は「歴史」とおなじ意味かもしれない。
しかし、私は「歴史」ではなく、「わたし(堤)」と重ねて読んでしまう。
わたしをこえての怒り わたしをこえての笑い
そして
わたしをこえての カナシミノココロ
堤の書いているのは「わたし」の思いだが、それはいつでも「わたし」を超えて、別のものになる。「わたし」とつながっているが「わたし」だけのものではない。「通時」と「共時」が交錯して、詩になる。「わたし」と「社会」が交錯して、詩になる。
ずるい現代詩人なら「時代」に「わたし」というルビをふるかもしれない。そういう正直が、堤の詩にはある。だからこそ、この「時代」は、ほんとうは「わたし」なのではないですか? と私は問いたくなるのである。
*
のはら 内田麟太郎
たん
たん
たん
ぽぽ
たん
たん
たん
ぽぽ
たんぽぽさんが
なわとびしている
「たん/たん」が「たんぽぽ」になるところが、それこそ「なわとび」の動きとつながりおもしろいが、この詩を魅力的にしているのは、それだけではない。「たんぽぽさん」の「さん」がとてもいい。「たんぽぽさん」と呼んだときから、それは「たんぽぽ」ではなく「ともだち」になる。ともだちだから「たんぽぽ」ではなく「たんたんたんぽぽ」とからかって呼んだりする。