黒田ナオ『蚊取り線香の匂い』 | 詩はどこにあるか

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黒田ナオ『蚊取り線香の匂い』(空とぶキリン社、2025年07月07日発行)

 黒田ナオ『蚊取り線香の匂い』のなかほどに「しみこむしみこむ」という作品がある。「しみこむ」を繰りかえしているのだが、私は、その繰りかえしの真中にあらわれる「むし」が気になってしようがない。「しみこむ」というタイトルにしなかったのは、隠れている「むし」をだれかが見つけてくれるだろうかと願ってではないのか、とさえ思ってしまうのだ。そして、その「むし」とは黒田自身なのではないか、とも。
 どんな作品にでも、作者は「隠れている」。「私、私、私」と自己主張するひとの作品にも、「私」ということでは言いあらわせない「私」というものが隠れている。私は、そういう「隠れている私」を探すのが、とても好きである。
 で、この作品では、どんな「私(黒田)」が隠れているのだろうか。「むし」としての黒田は、どういう人間なのだろうか。

こぼれるわたし こぼれる
こぼれ落ちてとける
しみこむしみこむ
とてけしみこむ
手がとける足がとける
体じゅうとけて
力がぬける

ああ

とけていいの
とけていい

カエル鳴きつづけ
カエルの声になる
雨の音になる

 「しみこむ」の前に「こぼれる」がある。そしてそれは「とける」にかわる。「とけない」ことには「しみこむ」という運動ができない。「とける」は「それまでの形」がなくなるということである。「それまでの形」がなくなり、「しみこむ」。その「しみこむ」という運動の中に「むし」が一瞬あらわれ、それが次の瞬間には「カエルの声」「雨の音」に「なる」。何かに「なる」ためには、「とける」という運動が必要であり、そのターニングポイントに「むし」がある。
 黒田の詩では、何かが何かにかわる。それは、ちょっと変化の見境がつかない。ターニングポイントが見えない。だから、とても不思議な印象が残る。
 この詩でもターニングポイントは見えないのだが、私の「錯覚(誤読)」として「むし」がふいにあらわれてきたのである。同時に「とける」という動詞が、黒田にとっては重要な運動なのではないかと「直覚」したのである。
 で、詩集を読み返すと、「五月」という作品がある。巻頭の作品だ。

ふる雨、
雨がふっている。
雨が地面にしみこんでしみこんで。
地面の下に、こっそり隠れて
聞いている。
目を覚ましのびる音
誰かが誰かを呼んでいる微かな声
なにもかも溶けて、

 「溶ける」という漢字まじりの表現がある。何かに(地面に、と黒田は明記しているが)「しみこんで」「隠れて」いる。それは「溶けた」状態の黒田の姿であり、そこから黒田はいままでとは違った「存在」になっていくのである。
 「沼女」には、冷蔵庫のなかにいた女が「わたしもプリンが食べたい」という作品だが、

「何もかも溶かしてしまったの」

 という行が二回登場する。女と黒田とプリンが「溶けて」見境がなくなる
 「雨の夜」。不眠症の女のところに男が次々に訪ねてくる。その最終の部分、

男たちの背中を眺めながら
深いため息をつくと
女はようやく毛布に潜り込んで

もうすぐ
夜にとける

 ふたたび「とける」。この「とける」は「一体になる」ということだろう。「しみこむしみこむ」には「カエルの声になる/雨の音になる」と「なる」という動詞が書かれていた。「夜の雨」の最後の一行は「夜になる」ということだろう。「とける」と「なる」は、「それまでの私(黒田)」が「とけて」、別の何かと「一体になる」ということだろう。
 そのターニングポイントとして「しみこむしみこむ」では「むし」があらわれたのである。これは実在の虫ではなく、私の意識のなかに「誤読」としてあらわれた不在の虫なのだが……。

 表題作になっている「蚊取り線香の匂い」。ここには「とける」は登場しないのだが、見えない形で書かれているかもしれない。

 高校二年の夏休み、わたしは学校の宿題をするために太宰治を読んだ。斜陽、を読んだ。感想文を書くために読んだ。名作っぽい感じがしたから読んでみることにした。暑い暑い夏の午後、鈴蘭台駅前にある古い穴倉みたいな本屋で買った太宰治を読んだ。

 「読んだ」が繰りかえされる。ことばの経済学から言うと、この繰りかえしは「むだ」である。整理できる。しかし、黒田は整理しない。それは、同じように繰りかえされる「太宰治」を何度も引っ張りだしてくる。太宰治は、どこかに「とけてしまう」のである。とけてしまった太宰を、黒田は何度も呼び出すために「読んだ」を繰りかえす。あるいは逆かもしれない。「読んだ」という動詞がとけてしまうので、それを引っ張りだすために太宰治を繰りかえしているのかもしれない。どっちでもいいが、それは「とけて」、「読む」でも「太宰治」でもない何かになっている。「一体」に「なってしまっている」。新しい黒田になっている。
 どんな黒田か。
 それがあらわれる、終わりから二連目。ここが、とてもいい。

 同じクラスの男の子と待ち合わせをした。映画を見て、クリームソーダを飲んだ。彼は死にたいとは言わなかった。その代わりに大学の工学部に行きたいと言った。彼は理系男子なので小説はほとんど読まなかった。でも今度、太宰治を読んでみると言った。わたしは太宰治はあまり面白くないから三島由紀夫か夏目漱石にした方がいいと言った。

 ここでは、黒田は「私は太宰治を読んだ」とは一度も書いていない。それ以前の連のように「太宰治を読んだ」と直接的には書いていない。もちろん、一度も書いてなくても、読者はすでに知っている。だから、黒田が「男の子」に対して、その話をしただろうということは想像できる。「男の子」に恋しているから、自分をさらけ出してしまったのか、太宰を読んで太宰が好きになったことを隠すことができない(「隠す」も黒田にとっては、重要な動詞だ)。しかし、これは読者(私)の想像であって、事実ではないかもしれない。そして、その読者の想像したこと、黒田が太宰を読んで、太宰ととけあっている、一体になっているということを「男の子」が感じたからこそ、彼は「太宰治を読んでみると言った」のである。このとき、黒田は「男の子」と重なっている。「一体になっている」。とけあっている。それが、自然につたわってくる。自然というよりも、克明にわかる、とさえ言える。書いていないからこそ、より鮮明にわかってしまう。
 この「男の子」は、ちょっと強引に言いなおせば「しみこむしみこむ」という作品の「むし」なのである。ターニングポイントなのである。
 黒田は、ふと気づいて、太宰ではなく三島か漱石がいいと勧めるのだが、そのときのことを忘れることができない。
 とても完成度が高い作品だ。





 
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