池井昌樹『理科系の路地まで』(31) | 詩はどこにあるか

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池井昌樹『理科系の路地まで』(31)(思潮社、1977年10月14日発行)

 「熟爤ホテル」。熟して、爛れたホテルか。

焦茶いろの熟爤ホテルの四階の
緑青が砂糖のようにまぶされた唐草模様の銅の間へたく
 みに挿み込まれた古い硝子に
わたくしたちのおちこむだような貌貌がうつっておりま
 す
ふるびたなごり湯のような濃いねばりけのあるともしび
 のなかで
腸氏はそばの壁土をじくじくと削り取ってはなかのしめ
 りけの匂いを嗅ぎ
昔のゆうじんは冷めかけたゆあみのようなこえでカフェ
 インのひとわんを注文します

 「腸氏」には「わたし」とルビがある。
 このしつこい、ねばねばした文体は、とても気持ちが悪いが、どこまでもしつこい感じが充実していて、それはそれでいい。文体が持続することで、初めて見えてくる世界がある。もっと見てみたい(読んでみたい)という気持ちになる。
 「酒場に穴のある夜」もおなじ感じ。

男のくちのあなから獣からとれた白い液体がぶるぶると
 ながしこまれ
よおくくちもとを見てるとながしこまれる白い液体に混
 じって注文もしていない瑪瑙の肉や猫目石の肉や鳥々
 の石の肉や肝がみるくにうかんだ果物の身のようにさ
 ざめいているのだ

 「鳥々」には「とりどり」のルビ。
 「よおく……見てると」と池井は書くが、そんなものを「よおく見なくてもいい」と言いたくなる。いや「よみく」なんか見るな、と言いたい。
 「してはいけない」ということをするのが子供であり、「書いてはいけない」ことを書くのが文学なのだから、これでいいのだが。
 私は、池井の書いている世界を書きたいとは思わないが、だからこそ池井には書いてもらいたい。