池井昌樹『理科系の路地まで』(思潮社、1977年10月14日発行)
池井昌樹の『理科系の路地まで』について何が書けるか。わからないけれど、書いてみたい。これは、池井の第一詩集である。中学生のときから大学を卒業して働き始めたころまでの作品がおさめられている。
巻頭作品は「雨の日のたたみ」。この作品で、私は池井昌樹の名前を初めて記憶した。旺文社の学芸コンクールで一席だった作品。選者は山本太郎だった。こんなことまで、私は覚えている。
祖母のあけるたんすの引き出し
古い冷たいうめき
あきたくないたんすの因縁
先祖の吐息が
縁の下のみみずのはう土の中から
どろりと流れ出て来る
雨の日の家
にごったしずくのついたとの様がえるが
くさりかけの家にさまよって来る
日清戦争の紙風船
裸電球の
悪いだいだい色の光にあせて
茶色くなったかさかさの絵
くぼんだたたみがぎゅっときしむ
暗いにおい
古い宿屋の箱膳のにおい
田んぼのにおう水に流された
かえるの鳴く声が
麻のゆかたを
かびのにおいにしめらす
たんすの引き出しの
古いうめきが
じっとりと聞こえて来る
雨の日のたたみの室
色あせた紙風船が
何でもないように
ぱっさりところがっている
なんとも、暗く、じっとりとしている。畳は新しい畳ではなく、池井が書いているように踏めばへこむような畳だろう。その感触。いや、それ以上に、繰りかえされている「におい」が放つ陰湿な感じ。「かびのにおいにしめらす」を気持ちがいいと感じるひとはいないだろう。
私は、ただただ気持ち悪かった。
中学生だった私は「気持ち悪いもの」が詩であるとは、考えたことがなかった。だから、強い印象となって、この詩が記憶に残った。
こんな詩だけは書くまい、と思った。
しかし、同時に、この世界は奇妙に、その当時の私の生活と重なってもいた。「紙風船」「裸電球」。「日清戦争」はことばでしか知らないが、あの当時、私の家には蛍光灯はなかった。すべてが裸電球だった。そして、売薬がおいていく紙風船は、たいせつなおもちゃだった。そういうこともあって、たぶん、詩が、池井のことばが、私の家(生活)をそっくりすっぽり包み込んでしまうような感じがした。それが、私には我慢がならなかった。こんな貧乏な家にいたくない、というのがそのころの私の切実な願いだった。私の世界が、詩になって固定化されるのはいやだ、と思ったのかもしれない。中学生だったころは、もちろん、そこまでは「ことば」にできなかった。
ただ、湿気を含んだ、くさりかけたにおいがとてもいやだった。
しかし、こんなに「いやだ」「嫌いだ」と書きながら、私は池井の詩を読みつづけてきている。どこに惹かれたんだろうか。音のやわらかさ、リズムのなめらかさ。それが、私の知っている「日本語」そのものだからかもしれない。「意味」ではなく、何かが、私の「肉体」とつながっているからだろう。
いや、「意味」にも惹かれているかもしれない。というより、「意味」をつくりだす、ことばの運動にも惹かれているところがある、というべきか。。
祖母のあけるたんすの引き出し
古い冷たいうめき
あきたくないたんすの因縁
書き出しの三行。その三行目の「あきたくない」の「あきたく」に池井は傍点を打っている。この「あける」と「あきたくない」の向き合い方に、私は、ことばにできない刺戟を受けた。「引き出し」が「あきたくない」という意思を持つわけではない。しかし、池井は、引き出しに意思があるかのように書いている。
それはさまざまな「におい」を発するものも、そうかもしれない。雨の日の家は、それぞれが生きていて、自分の意思で呼吸している。「におい」は、その証拠かもしれない。池井は、物言わぬ者たちと「会話」している。少なくとも、物言わぬ者たちが何事かを言っているのを聞き取っている。
これは不気味であるかもしれない。しかし、何かこころ惹かれる。人間ではないものとの「対話」にこころ惹かれる。
私は山の中で育ったので、木々を見ていると、何かが聞こえるような気がしたことが何度もある。そんなことも関係しているかもしれない。
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